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【鈴木涼美さんの書店との出合い】“伊勢佐木町の夜”から私を本の世界へと連れ戻した待ち合わせ

元AV女優であり、修士論文を元にした著書『「AV女優」の社会学』で高い評価を集めた鈴木涼美さん。初の小説である『ギフテッド』に続き、2作目となるAV業界を舞台とした『グレイスレス』も、2022年下半期の芥川賞候補に選ばれ話題となりました。

子どもの頃は本に深く親しんでいたという鈴木さん。一時期、読書から離れていた鈴木さんを本の世界へと呼び戻したのは、ふと立ち寄った書店だったそうです。現在へとつながるその出合いについて、綴っていただきました。

鈴木涼美
すずき・すずみ。1983年7月13日東京都生まれ、神奈川県鎌倉市育ち。2007年、慶應義塾大学環境情報学部卒業。2009年、東京大学大学院学際情報学府社会情報学修士課程修了。2009~2014年、日本経済新聞社勤務、以後執筆活動に入る。近著に『JJとその時代 女のコは雑誌に何を夢見たのか』、『娼婦の本棚』、『ギフテッド』、『8cmヒールのニュースショー』、『グレイスレス』などがある。

 

本と情けの灯がともる

19歳の女というと目の前の現実が実にエキサイティングに展開するので、虚構への欲望と想像力は相対的に小さくなり、ともすれば忘れさえする。港ヨコハマと謳われた歓楽街の周縁でそんな年齢を迎えた私も、目の前の現実だけに集中し、過去や未来への興味が極めて希薄な、標準的な19歳の女だった。要は遊んだり恋したりお洒落したりしていれば毎日は十分刺激的だと思っていた。

大学の授業が終わる頃にようやく目覚めて、お金がなければ飲み屋に出勤して、日払い分を持って友人たちと遊びに行った。そこに文字が入り込む余地はなく、女子高生の頃は買わない月のなかったファッション誌でさえ滅多に開かなくなった。震えるほどの幸福はないし、どこか満たされないけれど、なんとなく楽しく過ごしていた。

私の住んでいたのは横浜の関内駅から馬車道を数分歩いて左にいくつか伸びる、雑居ビルだらけの小さい通りの一つで、飲み屋の仕事の後に関内駅前からイセザキ・モールを歩いて横切ることもあったが、いずれにせよそんな時間には、コンビニやチェーンの飲食店を除いて、モールの店は寝静まっている。だから久しぶりに会う父親に呼び出され、ほとんど初めて夕方前にその辺りを歩いてみたとき、しょっちゅう深夜の待ち合わせをしていた角に、大きな書店のビルが建っていることにようやく気づいた。

30分ほど時間を潰そうと書店に入り、1階で雑誌をいくつか捲ってみると、私がかつて日光のように当たり前に浴びていた本のシャワーが全身にふりかかり、私は自分の身体が長らく飢えて乾いていたのだと思った。私は太陽の光も本の光も、すでに1年近く十分に浴びずに過ごしていたのだった。

何か文字を手に入れようと階段を登ったり、いくつかの書棚の間を歩いたりしてみるものの、私はすでに色々な感覚を忘れていて、どこから何を探していいのかよくわからない。何か読みたいけれど、背表紙は延々と並んでいるだけで、何の想像力も使わずに目の前の刺激だけで生活してきた若い女に、何か語りかけてはくれない。

遅刻にうるさい父親との待ち合わせ時間は近づくばかりで、結局すぐそばにあった新書のコーナーで平積みになっていた3冊だけレジに持っていき、前日にお客がくれたタクシー代で買った。『バカの壁』と『フランス映画史の誘惑』、あと1冊は何だったっけ。

子どもの頃は、翻訳家の母に連れられてクレヨンハウスや教文館に行き、本に夢中な母親の姿を確認しながら、気になる表紙を引っ張り出して捲った。だんだんどのあたりに自分好みの本があるのかわかってくる。動物図鑑やファンタジーの棚は混んでいたけれど、私が最初に好きになったのは『世界の子どもたち』シリーズだった。

中学に上がると電車通学になり、エンタメ施設の少ない鎌倉駅前で頻繁に島森書店に立ち寄った。最初はファッション誌を立ち読みするだけだけど、そのうちなんとなく好きな作家が言えるようになった。

高校時代は夜遊びに出かける前に、渋谷のブックファースト5階のトイレを着替えに使っていた。ついでにエスカレーターで降りながらぐるぐると店内を見渡し、気になる本が目に入ると時折手に取った。鈴木いづみコレクションを1冊ずつ買い集め、初めて岩波文庫を買った。思えば、その頃の私の日常には目の前で打ち上がる花火のような現実以外にも、もっと刺激的で面白い世界への繋がりがちゃんと組み込まれていた。

父親と寿司屋で何を話したかなんて覚えていないけれど、あれから私は少なくとも夕方前に伊勢佐木町に行くことが増えた。有隣堂伊勢佐木町本店をぐるぐる歩いているうちに、再びなんとなく好きな本や作家ができた。実家を出た頃に読みかけだった金井美恵子のエッセイ集を段ボールから引っ張り出し、他の著作も注文してみた。

しばらくして、私は夜の街に出る時間を半分にして、しばらく門すらくぐっていなかった大学へ戻って行く。父親に呼び出されていなかったら? 待ち合わせの前に本屋さんに寄らなかったら? 急いで新書を買わなかったら? 私はもしかしたらあのまま、なんとなく満たされない伊勢佐木町の夜にとどまっていたのかもしれない。

(「日販通信」2023年3月号「書店との出合い」より転載)

 

著者の最新刊

デビュー小説『ギフテッド』に続き、芥川賞候補に選ばれた第2作。主人公は、アダルトビデオ業界で化粧師(メイク)として働く聖月(みづき)。彼女が祖母と共に暮らすのは、森の中に佇む、意匠を凝らした西洋建築の家である。まさに「聖と俗」と言える対極の世界を舞台に、「性と生」のあわいを繊細に描いた新境地。

〈文藝春秋BOOKS『グレイスレス』より〉

 

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