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不条理と戦う女性刑事を通して“人間”を描く|『月下のサクラ』柚月裕子インタビュー

柚月裕子さん『月下のサクラ』

一つではない正義を前に、「自分は正しいのだろうか」との問いを抱きつつ、不条理に立ち向かう女性警察官の成長を描いた柚月裕子さんの『月下のサクラ』。5月15日(土)に発売され、即重版が決定するなど話題となっています。

2015年刊行の『朽ちないサクラ』に続く、「サクラ」シリーズ第2弾となる本作。警察小説として、また人間ドラマとしても読みごたえたっぷりの本作について、柚月さんにお話をうかがいました。

柚月裕子
ゆづき・ゆうこ。1968年、岩手県生まれ。山形県在住。2008年、『臨床真理』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、デビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『最後の証人』『検事の本懐』『検事の死命』『検事の信義』『蟻の菜園―アントガーデン―』『パレートの誤算』『朽ちないサクラ』『ウツボカズラの甘い息』『あしたの君へ』『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』などがある。

月下のサクラ
著者:柚月裕子
発売日:2021年05月
発行所:徳間書店
価格:1,870円(税込)
ISBNコード:9784198651534

STORY
事件現場で収集した情報を解析・プロファイリングをし、解決へと導く機動分析係。
森口泉は機動分析係を志望していたものの、実技試験に失敗。しかし、係長・黒瀬の強い推薦により、無事配属されることになった。鍛えて取得した優れた記憶力を買われたものだったが、特別扱い「スペカン」だとメンバーからは揶揄されてしまう。
自分の能力を最大限に発揮し、事件を解決に導く――。
泉は早速当て逃げ事件の捜査を始める。そんな折、会計課の金庫から約一億円が盗まれていることが発覚した。メンバー総出で捜査を開始するが、犯行は内部の者である線が濃厚で、やがて殺人事件へと発展してしまう……。

〈徳間書店 公式サイト『月下のサクラ』より〉

 

「そういえば泉がいる」がシリーズ化のきっかけ

――本作は、『朽ちないサクラ』の主人公である森口泉の活躍を描く物語です。前作で、ある事件に関わった泉の4年後が描かれますが、シリーズ化は当初から構想されていたのですか?

結果的にシリーズになっているものもありますが、私はどの作品も、完結した一冊として書いています。それは『朽ちないサクラ』も同じでした。

――前作の泉は警察官ではなく、県警の広報広聴課に勤める事務職でした。警察署に勤める人はほとんどが警察官なのかと思っていたのですが、一般事務をはじめ組織を支える仕事に従事している人も多いのですね。

私も最初はそのように思っていましたが、捜査に携わる警察官と職員と呼ばれる方は、同じ警察署内で働いていても、役割も立ち位置もまったく別なのだというお話を聞きまして。実際に事件には関わらないかもしれないけれど、かといって無関係ではないというポジションが興味深く、書いてみたいなと思いました。

――『月下のサクラ』は刑事となった泉が難関を突破し、「捜査支援分析センター機動分析係」に配属されるところから始まります。捜査情報を解析し、プロファイリングをする専門的な部署を舞台に選ばれたのはなぜですか?

実在の捜査支援分析センターが、駅のホームで起きたある事件を速やかに解決したという記事を見かけたことがあり、印象に残っていたのです。それともう一つ、2019年に広島県警の金庫から大金がなくなったという事件が頭にありました。

徳間書店さんから執筆のご依頼をいただいたときに、捜査支援分析センターと県警の現金盗難事件という、関心を抱いた2つをモチーフにしようと思いつきました。それなら舞台は警察になると考えたときに、「そういえば泉がいるな」と思い出しまして(笑)。そこから構想を組み立てていきました。

 

主人公をあえて孤立無援の状態に

――前作が完結しているとはいえ、同じ米崎県警が舞台でありながら、登場人物たちはほぼ一新されていますね。事件解決に協力してくれた同期の磯川刑事など、登場を楽しみにしていた前作のファンも多いのではないでしょうか。

本作の発売にあたっていくつか取材をお受けしているのですが、皆さんなぜか磯川を気にしてくださいます。今回の構想にはまったくなかったキャラクターだったので、かなり意外なご質問でしたが、それだけ彼に思い入れを持ってくださったのだなとうれしく思っています。

本作は、泉が新しい部署で、自分一人の力で居場所を見つけていく物語でもあります。そのためには前作に出てきた“味方”を登場させると、アンフェアになるのではないかと考えました。あえて孤立無援の状態からスタートさせ、泉に成長してもらいたかったのです。

――機動分析係のメンバーは、優秀ですが曲者ぞろいです。それぞれ校長、生徒会長、問題児など位置づけが学校に例えられていて、キャラクターがすっと頭に入ってきました。

捜査はチームで行われるので、彼女が単独で活躍する場はさほど多くはありません。周囲の人物がどういう人間で、泉とどう関わっているのか。それぞれのキャラクターや関係性をうまく表現できれば、このメンバーがまとまっていく姿を読者の方に無理なく受け止めていただけると思いました。

――最初はなかなかメンバーに受け入れられなかった泉ですが、記憶力や集中力を武器として、徐々に捜査に貢献していきます。

取材の過程で、警察官はとにかく「覚えること」を求められる仕事だということが印象に残っていました。

前作では、泉に特に際立った能力があるとは設定していません。でも、人には何かしら得意とするものがあります。さきほどもお話ししたように、泉には自分の努力で身につけたもので勝負してもらいたかったので、あくまでも訓練で得たものとして、その力を持たせました。

また警察小説を書く上で、科学捜査は切っても切り離せないものになっています。しかし、データから推理し、答えを導くのはあくまでも人間です。同じものを見ていても、人とは違う勘が働く。全力で培った記憶力を自分のものにして、事件に関わっていく。そういった泉の姿は意識しました。

 

“個”だからこそ考える人とのつながりや絆

――公安警察と刑事警察の対立も、2作品を通したテーマのひとつですね。

公安はテロなどの脅威から国を守り、刑事警察は人々の安全を守ります。それぞれ守るべきものがあり、巨大な権力を持っているが故に、相応の責務を負っています。そういった2つの組織の摩擦を書いてはいますが、日常生活においても同じような図式は繰り広げられていると思うのです。

たとえば本を一冊出すにしても、2種類のカバーの候補があったら、それぞれがそのカバーを推す理由があるはずです。どちらが正しい、間違っているではなくて、お互いが良かれと思って主張する時に起きる摩擦は、答えが出ない分、解消は難しいのだろうなと。それは、規模が小さかろうが、国単位であろうが同じではないでしょうか。

そういった中で、「自分は、正しいのだろうか」と疑問を抱きつつ正しい道を追い求める姿を、刑事警察と公安警察を並び立つものとして書きたいなと思いました。

――確かにそれぞれが難題に悩む姿には、職業や規模は違えど自分の経験が思い起こされて、親近感を覚えました。

古今東西いろいろなフィクションが書かれてきましたが、書き手も読み手もいなくなることはありません。それは、ストーリーは日常的でなくとも、小説の中に生きる登場人物の喜怒哀楽に共感できる、そのおもしろさがあるからではないでしょうか。

私自身も、人物たちのささやかな喜びや悲しみといった、いわば人間臭い感情をおろそかにせず、これからも大事に書いていきたいです。

――柚月さんの作品には、「本当の正義とは何か」と揺らぎつつも信念を追い求める人物が多く登場します。そういった葛藤を警察小説で書くことのおもしろさについて教えてください。

警察は大きな権力と使命を負う組織ですよね。その背負っているものと、個人の感情の間の摩擦も、書きたいテーマではあります。同時に人間は、生まれた時から必ず何かしらの“組織”に組み込まれています。家族や幼稚園、学校といったコミュニティから、やがて社会の一員になる。

そういった過程で組織と向き合う中で、人はいろいろな価値観や正義とぶつかって、何を信じればいいのか、どこに向かっていけばいいのか常に模索しているのだと思います。答えが出ないから迷うけれど、これだと思った時には前に進む強さを得られる。泉にも警察という組織の中で自分を大切にしながら、悩みつつも少しでも前に進んでもらいたい。そういう気持ちで書きました。

――そうやって前に進む登場人物たちの覚悟も、柚月作品の魅力です。書かれる柚月さんも、相当な覚悟を持って作品に取り組まれているのではないでしょうか。

「あれは自分のせいじゃない」「ああいうことがなければ」と思うことは誰しもありますよね。私もそうです。でも、そうであっても自分が決めたことに納得することで、初めて前を向けるのではないでしょうか。

現実でも小説の中でも、多くの人はよかれと思って行動していると思います。それでもボタンの掛け違えや、震災や新型コロナの感染拡大といった災難で、予期せぬ結果になってしまうことがある。それもまた人生であり、そういったさまざまな生き方を小説の中に組み込んでいくことで、読者の方それぞれの読み方で受け取っていただければと思います。

――新型コロナのお話がでましたが、いまはまさに何が正しいのか、誰もが揺さぶられている時期だと思います。こうした状況は、今後の創作活動にどのような影響を与えそうですか?

私は以前から、人は“個”だと思っています。親子であれ、どんなに親しい間柄であれ、相手のすべてを理解することは難しい。その中で、賛成はできなくともお互いの価値観や考え方を理解していくことが、人間関係を築くことだと思っていました。

その上で、今回の新型コロナは一人ひとりの身体や仕事の状況、生活環境、価値観、ひいては死生観まで踏み込んだ形で“個”を実感させられました。

私は岩手県出身なので特に思うのかもしれませんが、ちょうど10年前の東日本大震災の時は、「みんなで絆をもとう」「団結しよう」という言葉が多く聞かれました。それがコロナ禍では人との物理的な接触は避けなくてはいけませんから、社会的なつながりが分断されがちですよね。

だからこそ、人との絆やつながりとは何なのだろうと日々思いをめぐらせています。それを踏まえて、自分が人生において求めるものは、大切なものは何か。そうやって考えたことを、作品に書き込んでいきたいと思っています。