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先日近所の画廊で、ボローニャ・ブックフェア(世界的な児童図書展)派生の「世界の絵本展」という企画が開催されていたので覗いたところ、「あの船」が表紙の絵本が2冊飾られていました。
一冊は原書(イタリア)、もう一冊は日本語翻訳版で、翻訳版は広島の「きじとら出版」というJRC発売・日教販扱いの出版社が、本年7月に刊行したばかりのものでした。
表紙を見た瞬間に反射的に思い浮かんだのは、
ある朝、眼を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。私はインドのデリーにいて、これから南下してゴアに行こうか、北上してカシミールに向かおうか迷っていた。
『深夜特急』(沢木耕太郎/新潮社/1986年)第1巻のこの有名な冒頭文でした。というのも、『深夜特急』のハードカバー版第3巻(文庫版では第5巻)の表紙と同じ船だったからです。
表紙のこの船は、フランスのアール・デコの巨匠―A・M・カッサンドルが『ノルマンディ号』というポスターに描いた船です。私はこのポスターを20年ほど前の「カッサンドル展」で鑑賞しましたが、優雅であり、逞しさもあり、「機関車トーマスのキャラだとゴードンだな」と思ったことをよく覚えています。ただ、実際のカッサンドルのポスターに比べると、『船を見にいく』のノルマンディ号はかなり小ぶりです。
『船を見にいく』の舞台は、アドリア海の港町・アンコーナの造船所です。アドリア海といえばジブリ映画の『紅の豚』(宮崎駿/1992年)の舞台で、いかにも陽気なイメージがあるのですが、本作の季節は冬。そのせいか色彩も全体的に重く、また、引きの構図が多用されている割には空も海も狭く、主人公の少年もほとんどのシーンで小さく描かれています。そして少年の顔も2カットしか登場せず、表情も乏しかったりします。と、このように、著者は明確に「少年の孤独さ」を演出しています。
そこに横たわる、孤独な少年による一人語り。「少年、どうしたの?」と思わず心配になります。少年は船のこと、造船所のことを静かに語り、続いて中盤、両親との最近のやりとりを吐露します。どうもうまくいっていないみたいです。この年頃の児童にとって「親」は世界の大部分を占める要素であり、この吐露は、そこから自分を放ち、世界を広げていくプロセスが目前に迫っていることを予感させます。
……と、 この表紙から受ける印象とは全然違い、本作は実に内省的な内容で、とてもわかりやすいメタファーとして「船」が使われています。絵も文もメッセージがストレートで、対象としてはヤングアダルト層の方が合いそうです。
イタリア人の著者は、自分の著作と極東の小説が同じ「あの船」を表紙にしていることを知っているのでしょうか。そして、その小説が「自分の世界を広げる」という、同じテーマを扱っているということを。ふらっと寄った画廊でそんな空想に浸りました。
『深夜特急』が好きな方は、ぜひ手に取ってみてください。