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濃密な生と官能とともに「人はなぜ生きるのか」を描く 『しろがねの葉』千早茜インタビュー

千早茜さん

戦国末から江戸初期の石見銀山を舞台に、愛する男を重ねて失いながらも、敢然と生きる女性の生涯を描いた千早茜さんの『しろがねの葉』。「銀山の女は三たび夫を持つ」という言葉をきっかけに、この時代、この場所でしか生まれ得ないドラマを色濃い生と官能とともに写し出した作品です。

本作で初めて歴史長編に挑戦した千早さんが、書くことで見つけたかった「答え」とは? 実際に石見銀山を取材された時の写真とともに、千早さんのインタビューをお届けします。(写真提供:新潮社)

千早 茜
ちはや・あかね。1979年北海道生まれ。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は2009年に第37回泉鏡花文学賞も受賞した。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞を、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞を受賞。他の小説作品に『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』『さんかく』『ひきなみ』やクリープハイプの尾崎世界観との共著『犬も食わない』など。食にまつわるエッセイも好評で「わるい食べもの」シリーズ、新井見枝香との共著『胃が合うふたり』がある。

 

しろがねの葉
著者:千早茜
発売日:2022年09月
発行所:新潮社
価格:1,870円(税込)
ISBNコード:9784103341949

戦国末期、シルバーラッシュに沸く石見銀山。天才山師・喜兵衛に拾われた少女ウメは、銀山の知識と未知の鉱脈のありかを授けられ、女だてらに坑道で働き出す。しかし徳川の支配強化により喜兵衛は生気を失い、ウメは欲望と死の影渦巻く世界にひとり投げ出されて……。生きることの官能を描き切った新境地にして渾身の大河長篇。

〈新潮社 公式サイト『しろがねの葉』より〉

 

“3人の夫”を看取る銀山の女の人生とは

――本作は、千早さんが長年温められてきた題材を元に書かれたそうですね。

千早 私は篆刻をやっているのですが、デビュー間もない頃、その教室のみんなで山陰方面に旅行したことがありました。ちょうど当時、石見銀山が世界遺産に登録されたばかりで、今もそうなのですが熱心なボランティアガイドの方がたくさんいらして、特別にお願いしなくても歩いているとすぐに説明してくださるんです。

その時に、ガイドさんの一人が「石見の女性は夫を3人持ったと言われている」という話をしてくださいました。史実としてそういう資料が残っているわけではなくて、鉱山病によって男性が短命だったことのたとえなのだと思いますが、そのように何度も愛する男を看取る人生はどのようなものだったのだろうと考えていて。とはいえ当時は書ける気がしなくて、50歳くらいになったときに作品にできたらいいなとぼんやり思っていました。

――それが、10年近く早まって執筆されたのですね。

千早 デビュー作の『魚神(いおがみ)』は長編ですが、そのあとは連作や短編集が多くて、長編の2作目である『男ともだち』を書いたのがデビューして5年ほど経ってからでした。『しろがねの葉』は時代物ということもあり、人間の一生を描くようなものはもう少し筆力が上がってから書きたいと編集さんに話したら、「今、書けばいいじゃない」とあっという間に石見への取材と「小説新潮」での連載が決まってしまい、書かざるを得なくなりました。

――主人公のウメは夜逃げの途中で家族とはぐれ、迷い込んだ山で天才山師である喜兵衛と出会います。夜目が利き鬼娘とも呼ばれるウメは、その向こうっ気の強さで少年たちに交じって坑道の下働きをするようになりますが、彼女の野性味あふれるキャラクターはどのようにして生まれたのでしょうか。

千早 小説の書き方の話になってしまいますが、本作は三人称一視点で書きたいという思いがありました。ですが、女性を主人公にすると、間歩(まぶ・銀を採掘した坑道)の中の様子が書けなくなってしまう。石見銀山の話なのにそれはちょっと困るので、どんな女性だったら間歩に入るだろうかと考えて、ウメの設定ができていきました。

――女性が間歩の中に入ることは禁忌だったそうですね。

千早 当時の資料を見ていても女性の名前というのはほぼ残っていなくて、でてきたとしても「誰々の娘」などと書かれています。名前のない存在を描きたいという思いがあったので、なおさら女性を主人公にして書こうという気持ちが大きかったです。

▲石見銀山遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道・龍源寺間歩を見学中の様子

 

▲紺屋間歩の入口を撮影中

 

「人はなぜ生きるのか」と、死と背中合わせの性を描く

――銀山の女となったウメの人生にも“3人の男”が登場します。喜兵衛のほかに、幼馴染である隼人や寡黙な龍など、それぞれまったく違うタイプの男性ですね。

千早 皆さんにお聞きしているのですが、誰がお好きですか?

――私は喜兵衛ですね。磊落で剛健と書かれている通り、豪胆でありながら人情に厚く知性もある。喜兵衛の手下であるヨキも魅力的です。

千早 私もヨキは好きで、そうおっしゃってくださる方が多いです。ヨキという名前は魔除けや守り刀のイメージでつけたのですが、資料を調べていたら間歩の中で死人が出たときに、入口に組んである丸太にヨキ(手斧)を打ち付けて魔除けしてからでないと死人を外に出してはいけなかったという記述があって、自分の考えと一致していて驚きました。そういう符合があるのが歴史物のおもしろさですね。

――銀山では常に死がすぐそばにあるからこそ、作中で発せられる「人はなぜ生きるのか」という問いかけが重みを増しますね。

千早 石見銀山に行ったときに私が感じた疑問なのです。間歩で採掘作業をしていれば、毒気に侵されて命を縮めることは誰もがわかっていたはずです。それなのに掘り続けるのはなぜなのだろうと。

歴史上の人物たちは、理不尽な状況であっても危険を顧みず戦ったりしますよね。現代より医療も発達していなかったはずで、死も身近だったと思います。なぜ人は死ぬとわかっているのに一生懸命に生きようとするのか、嫌になってしまわないのだろうかとよく考えるのです。その答えが知りたくて書いているところがあります。

同時に、この作品においては死と背中合わせの性を書きたいという思いも強くありました。現代物でそのテーマを極めようと思うとなかなか難しいですが、好きな男を3人も看取る人生を描くのであれば、その部分がしっかり描けるのではないかと思いました。

担当編集者も、当初は本作に「生きることの官能を描く」というコピーを付けてくれていたのですが、それを言われてすごくしっくりきました。なぜ人は生きるのかという疑問から書き始めた作品ですが、書いていくうちに性の部分が強く出てきて、まさに生きることは官能なのだなと感じました。

――幼いウメが見せる嫉妬や独占欲、恋慕の情や、同世代の男との夫婦としての営み、母性をも感じさせる年下の男との交わりなどさまざまな男女の情が描かれる本作ですが、ウメが喜兵衛といるときに感じさせる強烈な官能が、その関係性もあって印象に残りました。

千早 そうなの?(と編集者に確認。うなずきを見て)それは気がつかなかった……。

最初から“3人の男”のうち1人目は年上、2人目は同世代、3人目が年下というのは決めていましたが、意図していないところに官能があったという感じですね。

(担当編集者の新潮社・小林由紀さん) 先日、新潮社のPR誌の「波」で村山由佳さんと千早さんに対談していただいたのですけれど、村山さんも「書いている本人がそう思っていない部分がすごく官能的だ」とおっしゃっていましたよね。

千早 今後は気をつけようと思いました。筆で止まっていればいいけれど、普段の行動で無自覚に漏れでてしまうとよくないので……。

(小林) 村山さんは、「官能性を作品の中に全部置いてきているのではないか」とも……。

千早 それなら安心ですが、なんかちょっと悲しい……(苦笑)。

 

取材で体感した肌感覚を伝えたい

――当時の銀山を中心とする町の活気や庶民の暮らしも活き活きと描かれています。間歩の中はもちろんですが、鉱山病のもととなる粉塵や油煙で男たちが真っ黒に汚れてしまうような様子もリアルでした。

千早 石見の資料については、徳川の支配になってからはきっちりシステム化されるので多く残っているのですが、戦国時代の尼子や毛利が支配していた頃の資料はあまりなくて、言い伝えの形で残っているだけなのです。

細かいことはやはり現地に行かないとわからないと思い、実際に間歩に入って山を登って、(銀鉱石を産出した)仙ノ山から温泉津(石見銀山の外港として栄えた港町)までの道も歩こうとしたのですが、途中で挫折しました。沢を越えたり、獣道を歩いたりの危険な道だったので。▲深い森の中にある、港町・温泉津(ゆのつ)までの道はまさに獣道

 

――作中でもウメが歩いた急峻な山道ですね。

千早 はい、ごうろ坂ですね。そういった道を歩いたときに感じた肌感覚や、おそらく間歩と言ってもわかる人は少ないと思うので、地中の水や砂の匂いや人力で掘っている岩のざらっとした感じが伝わればいいなと思って書いています。

――間歩や奥深い山をはじめとして闇のイメージが強い物語でもありますが、それも取材を通して感じられたことが活かされているのですか?

千早 本当にありがたいことに、世界遺産にしてくださったおかげで銀山はいまも昔の景観を残しています。電信柱もコンビニもないし、自動販売機も木枠で覆われています。現地に宿泊もしたのですが夜は怖いくらい真っ暗で、星がすごく綺麗に見えました。星はきっとウメにとっては珍しいものではないでしょうから、本作で描写はしていないのですが、電気のない闇の暗さは伝わるように描いたつもりです。▲銀の山だった「仙ノ山」を取材する著者

 

―― 歴史小説はこれからも書いていきたいと思われますか?

千早 資料や文献を読んで歴史にはこういう解釈があるのかと考えるのは好きですが、自分が物語を書くときには誰でもない人の物語を書きたいのです。普段書いている現代物も有名人の人生を描いているわけではない、「誰でもない人の物語」なんですよね。

私は、人はなぜ生きるのか、なぜそんな行動をしたのか、そこにある心の動きに惹かれます。取り組みたいテーマがあって、それがその時代、その場所でしか物語にできない、歴史小説という形でしか書けないのであればまた挑戦してみたいと思います。

――本作も「人はなぜ生きるのか」が起点となっているとのことでしたが、この作品でその答えは見つかりましたか。

千早 それはぜひ本作を読んで、感じていただきたいですね。

とはいえ、明確な答えはないのかもしれないとも思います。私も「なぜ生きているのか」と問われたら、はっきりとした答えは出せそうにないですし、本作に出てくる銀掘の長老である岩爺も「そがなこと考えてはいけん」と言っています(笑)。

でも作家はそういう考えても仕方のないことを考える職業なので、私はこれからも「考えてはいけん」ことに向き合いながら書いていくのだと思います。

――遠い昔の営みを描いた物語でありながら、その問いが現在の私たちにも通じるからこそ強く心を揺さぶられる。それは歴史小説だからこその魅力でもありますね。本日はありがとうございました。

 

新潮社「波」での村山由佳さんとの対談はこちら