ライフワークとして長年にわたり出版業界を取材し、数々の著作を世に送り出してきたフリーライターの永江朗さん。そんな永江さんの人生を変えたのは、ある本屋さんとの出合いだったそうです。
今回は永江さんに、その出合いについて文章を寄せていただきました。
永江 朗
ながえ・あきら。1958年生まれ。北海道旭川市出身。法政大学文学部哲学科卒。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。主な著書に『菊地君の本屋』『インタビュー術!』『批評の事情』『平らな時代』『メディア異人列伝』『本を読むということ』『筑摩書房 それからの四十年』『「本が売れない」というけれど』『小さな出版社のつくり方』ほか。
本屋さんがぼくの人生を変えた
それは1978年の夏、20歳の夏でした。ぼくは西武美術館で開催されていた「ジャスパー・ジョーンズ回顧展」を見に行きました。じかに見るポップアートの作品群は大迫力で心底感動したのだけれど、さらに圧倒的だったのは美術館の下の階にある西武ブックセンターでした。西武美術館はのちのセゾン美術館、西武ブックセンターはのちのリブロ池袋本店です。
西武ブックセンターは西武百貨店池袋店の中にありました。11階をメインに10階と12階にも売場があり、広々として、本が多くて、その並べ方・見せ方がかっこよくて、本棚の前に立っているだけで気分が高揚しました。池袋は生活圏から外れていましたが、以来、西武美術館とブックセンターを覗くためだけにしょっちゅう池袋に行くようになりました。
西武ブックセンターは本屋さんのなかに本屋さんがありました。詩の本の「ぽえむぱろうる」、絵本・児童書の「わむぱむ」、和洋美術書と現代音楽の「アールヴィヴァン」、演劇書の「ワイズフール」。
「ぽえむぱろうる」は内装が真っ黒で、それまで見たこともない詩集がずらりと並んでいました。奢灞都館から出ていたマンディアルグの『満潮』をここで買ったのを覚えています。大学のサークル仲間のあいだでは、バタイユとかマンディアルグがブームだったんですよね。「ワイズフール」には戯曲や評論書がそろっていて、舞台で使う化粧品も置いてあったはず。
「本屋さんのなかの本屋さん」ではない部分、文芸書や人文書の売場も光っていましたね。特に人文書は、「現代思想」(青土社)や「エピステーメー」(朝日出版社)で紹介されたばかりの最前線の本が目立つように並んでいる。「まるでオレのためにつくられた棚だぜ」と思いました。
池袋リブロの人文書というと、今泉正光さんが担当した「今泉棚」が有名ですが、今泉さんが池袋店に異動してくるのはもう少し後のことで、ぼくが一発で魅了されたころはまだ「今泉棚」前です。それでもじゅうぶんかっこよかった。
そして「アールヴィヴァン」。ブックセンターの一部でもあり、西武美術館のミュージアムショップでもある書店。エレベーターで12階に上がると、このフロアだけ照明が暗い。しかも床はチャコールグレーのカーペット敷き。環境音楽が流れています。
並んでいるのは世界中の画集や写真集。もちろん日本の出版社から出ている豪華な美術全集のたぐいも全巻並んでいます。西武美術館で展覧会を見た後は、美術書を立ち読みするのが楽しみでした……というか、滞在時間でいうと展覧会を1時間見た後、3時間立ち読みしているぐらいの感じでした。
「わむぱむ」のある10階にはレコード売場の「ディスクポート」があり、その奥のカフェ「シティ」ではときどきライブコンサートが開かれました。11階には「カフェ・フィガロ」。ぼくでも顔を知っているような有名作家がひとりでエスプレッソを飲んでいたり、編集者らしき人と話していたり。
さて、タイトルの「本屋さんがぼくの人生を変えた」です。ぼくは留年して2度目の4年生の春から西武美術館でアルバイトを始めました。休憩時間はいつも「アールヴィヴァン」で立ち読み。ある夏の日、「アールヴィヴァン」の芦野公昭さんから「うちで働きませんか」と声をかけられました。かくしてアールヴィヴァンの洋書・レコード部門を担当する株式会社ニューアート西武に就職することになったのです。もしも西武ブックセンターがなかったら、違う人生を歩んでいたでしょう。
アールヴィヴァンとリブロでは多くのことを学びました。1冊の本を平台のどこに置くかで売れ行きが変わること。1冊の本の隣にどんな本を並べるかで印象が変わること。本棚と平台はひとつの宇宙であること。書店の原点はどんな本を選択し、どのように並べるのかにつきます。それは時代が変わっても普遍的なことだと思います。
著者の最新刊
- なぜ東急沿線に住みたがるのか
- 著者:永江朗
- 発売日:2022年08月
- 発行所:交通新聞社
- 価格:990円(税込)
- ISBNコード:9784330055220
東急電鉄が「目黒蒲田電鉄」として産声を上げたのは1922年9月のこと。「住みたい」、そして「住み続けたい」「出かけたい」「商売したい」サステナブルな街として成長を続けてきた沿線のさまざまを、永江朗氏が正直ベースで書き下ろした。愛すべき街々の描写を中心に、東急沿線に「住みたがる」理由がわかる1冊。
〈交通新聞社 公式サイト『なぜ東急沿線に住みたがるのか』より〉