書店にまつわる思い出やエピソードを綴っていただく連載「書店との出合い」。
今回は、6月4日(水)に最新エッセイ集『パパイアから人生』が発売された、俳人の夏井いつきさんです。
人気番組「プレバト!!」(TBS系)をはじめとするテレビやラジオでも活躍中の夏井さんですが、創作活動に加え、俳句の授業「句会ライブ」などの俳句の種蒔き活動や、「俳句甲子園」の創設にも携わるなど、俳句の普及に幅広く取り組まれています。
今回は、そんな“俳人・夏井いつき”に大きな影響を与えた書店について、幼少期からの読書体験とともに綴っていただきました。
夏井いつき
昭和32年生まれ。松山市在住。俳句集団「いつき組」組長。第8回俳壇賞受賞。第72回日本放送協会放送文化賞受賞。第4回種田山頭火賞受賞。令和5年度文化庁長官表彰。松山市文化スポーツ栄誉賞。俳句甲子園の創設にも携わる。帝塚山学院大学客員教授。松山市公式俳句サイト「俳句ポスト365」等選者。2015年より俳都松山大使。句集『伊月集 鶴』、『夏井いつきの「今日から一句」』、『瓢箪から人生』等著書多数。
2つの原風景
私が生まれた愛媛県南端の村の集落には、そもそも店というものが3軒しかありませんでした。ミーおばちゃんの駄菓子屋、移動販売もやっていたナカガミのおっちゃんの店、そして農協だけでした。
本は、当時1時間半以上かかる隣の隣の町・宇和島のキング堂が、月に1度届けてくれました。父は読書家でしたから、自分の本の外に、私たち姉妹に子供向けの月刊誌や毎月配本される『少年少女世界の名作文学』などを注文してくれました。
特に、『少年少女世界の名作文学』は、妹と争うように読んでおりました。姉の権威で先に読み始めるのですが、隣で妹がせかすものですから、とにかくガンガン読む。一通り筋を読み、妹に渡し、妹が読み切った後で、再びじっくり味わって読む。これが私の読書スタイルになったのも、子供時代に身についた習性かもしれません。
初めて本屋さんに連れていってもらったのは、宇和島の岩崎書店。JR宇和島駅にも程近い本屋さんです。(当たり前のことですが)本だけが並んでいる店内の様子に、うっとりしました。父は「好きな本を選んでいい」と言ってくれました。妹は、あっという間に何冊かを選び出しましたが、私は長い時間かけて一冊も決められませんでした。どれを買ってもらっても、その横の「買わなかった本」に心が残りそうで、店内をウロウロし続けました。結局バスの時間がきて、父から勧められた子供用の推理小説(たしか江戸川乱歩)を抱えて帰ったことを覚えています。
私は、父の母校である宇和島東高校に進学しました。当時、私たちの住む村からバスで通う生徒はいませんでした。皆、下宿をしていたのです。私は、家が大好きでしたし、バスに乗る時間も楽しかったので、村初めてのバス通学生となりました。放課後、バスの時間待ちを1人でよく過ごしたのが岩崎書店でした。書店は、憧れの場所でした。本の匂いを嗅いでいるだけでシアワセな気持ちになれました。お小遣いに限りがありましたが、「欲しい本があればいいなさい」というのが、我が家の有難いルールでした。
やがて2歳下の妹も、同じ高校に進学。バスに弱い妹のために、私にとって高校最後の一年間は2人で下宿しました。入学早々妹が仲良くなった友人の中に、ユミちゃんという小柄で明るい子がいました。なんとその子が岩崎書店の娘さんであることを知った時、私は心ひそかにユミちゃんに嫉妬しました。だって、自分のお家が本屋さんだなんて、素敵すぎるじゃないですか!
後年、ユミちゃんは同級生のアカマツ君と結婚し、今も岩崎書店を守るべく奮闘していると聞いています。私にとっての岩崎書店は、我が読書体験の原風景でもあるのです。
大学を卒業した私は、中学校国語教諭として、郷里の村の隣町に赴任しました。町には本屋さんが1軒ありました。勤務の帰り、時折寄り道をしました。当時俳句を始めたばかりで、俳句関係の本を手に入れたかったのですが、俳句の棚はありませんでした。行く度に欲しい本を注文し、引き取りに行く時に次の注文をすることを繰り返しておりました。一度だけ本屋のご主人らしきオジサンに「お若いのに俳句ですか」と声をかけられたことはありましたが、特に親しく会話するわけではありませんでした。
赴任して半年ほど経った頃、運動会が終わり一息つき、久しぶりに件の本屋さんに寄りました。と、なんと、店の片隅に俳句の棚が出現しているではありませんか。思わず、レジにいるオジサンを振り返りました。彼はちょっと照れたように笑い、頷きました。
後日私は、この書店の俳句の棚にあった俳句雑誌の特集によって、我が師黒田杏子の作品に出会い、衝撃を受け、「この人の弟子になる」と勝手に決め、そこから私の俳句人生が動き出したのです。
そんなご恩のある本屋さんなのに、書店名がどうしても思い出せません。何十年か経って訪ねてみましたが、もうその本屋さんはありませんでした。これもまた幻の原風景です。
著者の最新刊
『パパイアから人生』
著者:夏井いつき
発売日:2025年6月4日
発行所:小学館
定価:1,870円(税込)
ISBN:9784093898102
大人気番組「プレバト!!」でお馴染みの俳人・夏井いつきさんが綴った、愉快痛快にして心に沁みる最新エッセイ集!
夏井さんが全国各地で行う句会ライブや俳句甲子園で出会った人たちとの交流や心動かされた出来事から、はたまた家族との日常のよしなしごと、大切な人との別れまで、時にユーモアたっぷりに、時には痛切な思いをまっすぐに、俳句とともに、変幻自在に綴ったエッセイをたっぷり109編収録。
前著『瓢箪から人生』以上に、自作の俳句をはじめ、佳句、笑句も多数紹介していますので、気がついたら俳句が作りたくなっていること請け合いです。
(小学館公式サイト『パパイアから人生』より)