書店にまつわる思い出やエピソードを綴っていただく連載「書店との出合い」。
今回は、研究者、エンジニア、軌道ステーション職員といった人々を主人公に、人間と科学への信頼を持って描かれた11編を収録したSF短編集『まるで渡り鳥のように』が、11月29日(金)に発売された藤井太洋さんです。
藤井さんは、前作『マン・カインド』が単行本化前の『SFマガジン』の連載で2度目の星雲賞日本長編部門を受賞するなど、多くのSFファンに熱く支持され、SF小説の旗手として活躍しています。
今回は、そんな「SF作家を育てた書店」について、故郷への思いとともに綴っていただきました。
藤井太洋
ふじい・たいよう。1971年鹿児島県奄美大島生まれ。2012年、電子書籍のセルフ・パブリッシングで発表した『Gene Mapper』が注目を集めデビュー。2015年に『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞と第46回星雲賞日本長編部門を、2019年には『ハロー・ワールド』で第40回吉川英治文学新人賞、2022年には『マン・カインド』で2度目の星雲賞日本長編部門を受賞している。
SF作家を育てた書店
転勤行脚が終わった私たち一家は、サトウキビ畑に囲まれた徳之島の教員住宅から、奄美大島の南端にある父の故郷の港町に引っ越すことになった。
植え込みに潜むハブを恐れることもなく、牛の糞を踏む心配もなく歩き回ることができたその町には、書店が2つあった。
薄暗い土間に帯をかけた教科書を積んだ久保書店と、町の本屋さんの重野書店だ。久保書店で本を買ったのは破れた教科書を買い直した時だけだが、壁一面の本棚にびっしり本が並んでいた重野書店は、私が初めて出会った書店らしい書店だった。
重野書店には入り口が2つあり、店の中央は天井まである本棚で仕切られていて、店主は銭湯の番台よろしく仕切りの突き当たりの帳場に座っていた。店の左側には子供と女性のための本が並んでいた。低い本棚には、絵本と婦人向けの雑誌が並び、上の本棚には、料理のレシピ本や園芸書と、資格取得者向けの参考書が並んでいた。右側は大人の空間だ。雑誌の棚には週刊誌や将棋、釣りの雑誌が並び、仕切りの側の文庫棚には巻の揃った歴史小説と冒険小説が並んでいた。好きな空間だったが、重野書店で買ったのは定期購読の雑誌と、父母が取り寄せた本だけだった。
自分の場所だと思える本屋ができたのは、引っ越してから2年後のことだった。
「ワキャ(俺の)家で本屋するっちょ。今日開店どぉ」と、同級生が教えてくれたのだ。酒屋だった彼の家が本屋になった姿を想像することもできなかったが、防波堤の手前にある彼の家を訪れると、確かに店の左半分が書店になっていた。
品揃えに私は目を見張った。奥にある雑誌棚には、島で放送されていない番組の載っているテレビ誌が並んでいた。上の棚にはアイドルの写真集とバンドブームに当てこんだ楽譜やギター教則本がずらり。しかし私が目を釘付けにしたのは、3分の1ほどしか埋まっていなかった左の壁の本棚だ。そこには、ハヤカワ文庫にスニーカー文庫、緑の背のソノラマ文庫が並んでいた。
私は本が売れたり新しい本が入ったりすれば気づくほど通い詰めて、小遣いを全て本に注ぎ込んだ。
ライトノベルに触れたのは吉谷書店だった。菊地秀行の〈吸血鬼ハンター〉シリーズや、夢枕獏の作品に没頭した。しばらく経ってから文庫棚の一角を占めた青い背の文庫本は、人気映画のノベライズだった。映画館のない島で、私は「E.T.」や「ターミネーター」、「エイリアン2」、「グーニーズ」を小説で楽しんだ。初めて本を注文したのも吉谷書店だ。東京創元社から出ていたゲームブック〈ソーサリー〉シリーズを同級生たちと一緒に注文して、回し読みした。
「真面目な本」を置かない吉谷書店に親や教師の風当たりはきつかったが、今にして思うと相当な目利きが覚悟を持って仕入れていたのだろう。大学生のいない島で小中学生と高校生読者に賭けた書店は、少なくともSF作家を一人育ててくれた。
島に帰るたびに恩返しをしたいと思うのだが、故郷の港町に書店はない。
久保用品店はブリキ張りの雨戸で締め切られていた。重野書店は私の同級生が経営する惣菜屋に代わっている。吉谷書店にはコロナ禍の前まで本棚があったが、スリップの挟まった写真集に「古書」の札を並べて売っていた。新刊の仕入れは随分前に止めていたらしい。古書とCD、ゲームも扱う書店ができたこともあるが、長続きしなかった。
いま、故郷の港町から最も近い書店はバスで1時間20分走ったところにある奄美市の大型書店だ。その店で、私はこの冬講演とサイン会を行う。持っていく本は早川書房から刊行された『マン・カインド』と、東京創元社から刊行された『まるで渡り鳥のように』の2冊。どちらも吉谷書店なら仕入れてくれたはずの本だ。調整をしていたら嬉しいニュースが飛び込んできた。重野書店の跡地で惣菜屋をやっている同級生が、サイン会のポスターを町中に貼ってくれているのだ。その中には吉谷書店のウインドウもあるという。
町の子供が話を聞いて、一人でも小説を書いてくれたなら、子供に賭けてくれた吉谷書店への恩返しになるかもしれない。
著者の最新刊
- まるで渡り鳥のように
- 著者:藤井太洋
- 発売日:2024年11月
- 発行所:東京創元社
- 価格:2,090円(税込)
- ISBNコード:9784488018474
伝染病流行下の難民キャンプ、屍人の軍隊を率いる黒人奴隷の傭兵、宇宙空間の春節――新世代SFの旗手としてもっとも活躍が期待される作家のエッセンスが凝縮した11編。
(東京創元社公式サイト『まるで渡り鳥のように』より)
- マン・カインド
- 著者:藤井太洋
- 発売日:2024年09月
- 発行所:早川書房
- 価格:2,420円(税込)
- ISBNコード:9784152103185
史上初! 単行本化前のSFマガジン連載で、星雲賞日本長編部門を受賞
2045年、国際独立市テラ・アマソナスの指導者チェリー・イグナシオが、軍事企業〈グッドフェローズ〉の捕虜を銃殺する。この虐殺をレポートしようとした迫田城兵は事実確認プラットフォームにより配信を拒否されてしまう。果たして人類に何が起こっているのか?(早川書房公式サイト『マン・カインド』より)