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大切な人と向き合っていく決意を与えてくれた『かんむり』:わが店のイチオシ本(vol.53 紀伊國屋書店新宿本店)

全国の書店員さんが、もっともお勧めの本を紹介する連載「わが店のイチオシ本」。

第53回は、東京都新宿区にある紀伊國屋書店新宿本店の文学担当・臼井沙輝子さんのご登場です。

今回、臼井さんが紹介してくだったのは、彩瀬まるさんの4年ぶり書き下ろし長編である『かんむり』。10代から70代までを共に過ごした夫婦を妻の視点から描いた物語です。

書店員としての視点を忘れ、物語に没頭したという臼井さんにある“決意”を与えてくれたという本作の魅力について、熱のこもった文章でご紹介いただきました。

 

“光”が自分の未熟さとともに照らし出してくれたもの

書店員という職は幸運なことに、発売前の本をゲラやプルーフで読ませていただけることがある。そういったものは、すでに出版社の編集や営業の方々が絶賛しているお墨付きの本が多く、発売日から店頭での販促に役立てて欲しいという意図も含まれている。そのバトンを手渡された売り手として、物語の魅力をどのように書店へ足を運んだ人々に伝えようかと、単なる読者とは別の俯瞰的な視点が、読書中に混ざり込んでくるのが常だ。

彩瀬まるさんの『かんむり』を2022年の夏に初めて手にした時もプルーフだった。読み初めは、ある男女の生活と結婚に至るまでの日々がとても丁寧にリアルに描かれていると感じた。そして2人の間に息子が生まれ互いに親となり、ひとつの問題に直面した時、物語は別の角度を向いて動き始める。

その頃にはもう、ただ読むことだけに集中していた。いつも意識せざるをえなかった客観的な視点は存在せず、文字通り物語に没頭していた。こんなことは初めてで、自分の意識と感情が散らばってしまったかのように感じて、読後はまずそれらをかき集めるのに必死だった。

なぜ、『かんむり』という小説は、私の心をこれほどまでに揺さぶったのだろう。たとえば、主人公が自分と同じような境遇で似たような悩みや葛藤を抱えており、それに懸命に向き合い乗り越えていくというストーリー展開ならば、共感もするし、強く心を動かされるのも分かる。

しかし、『かんむり』の主人公の光さんと私の共通項はほとんどなく、生き方も考え方も感じ方も重なるものは多くなかった。この物語がどうしてこれほどまでに自分の中に強烈に残っているのか分からなかった。その理由が分からないままに、この本をどうしても読んで欲しいと、私は数人に勧めていた。

そして、後から気付いたのは、その感想を伝えてくれた全員が、自分よりも人生の先輩であり、尊敬する相手であるということだった。私は、無意識のうちに、光さんと世代の近い方にこの小説を勧めていて、自分とは違う観点からの感想を聞きたかったのだ。私がこの小説を読んで痛切に感じたことは、己の未熟さだった。

光さんのように、夫と自分の知覚している世界がどうやら違うようで、決定的な嫌悪感を抱くことがあったとしたら、きっと私は、彼と向き合うことが出来なくなるだろう。けれど、彼女は夫がそのような世界を知覚している要因を考え、夫と向き合おうとしていた。

幼いころ、私たちは母や身近な大人から、「相手の立場になって考えてみなさい」と教えてもらったはずなのに、そんな大事なことをずっと忘れてしまっていた。誰かと衝突したとき、私はひたすら自分を守ることだけに精いっぱいで、相手と分かり合おうとはしてこなかった。光さんにだって、育児や仕事での不安なことや、うまくいかないことはたくさんあった。それでも、彼女は心を閉ざすことや背を向けることはけっしてしなかった。

人の根本は変わらないとか、絶対に分かり合えないことがあるとか、それも本当かもしれない。けれど、それでも大切な人と向き合っていこうという決意を与えてくれたこの小説は、私に希望をもたらしてくれた。この感情を忘れなければ、待ち受ける困難のいくつかはきっと乗り越えていけると思ったのだ。自分を大切に思うことで、自分は変わることができる。誰かを大切に想うことで、その関係性も変えることができる。彩瀬まるさんの繊細で温もりのある言葉たちが、光さんを通して、私のこれからの人生を照らしてくれた。

◆作り手からのメッセージ◆
「派手じゃない」。彩瀬さんは時々自分の小説のことをそう言います。しかし、毎日の何気ない瞬間、目の前に当たり前にいる人、他愛もない言葉のその全てがいかに尊いものか――と痛感するこの小説は、紛れもなく唯一無二。自分の頭上に輝くかんむりを見つけられる本作は、眩いほどの名作です。(幻冬舎 第三編集局編集第一部 宮城晶子さんより)


紀伊國屋書店 新宿本店(Tel.03-3354-0131)
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-17-7


(「日販通信」2023年1月号「わが店のイチオシ本」より転載)