昔の出来事を事実と異なるかたちで記憶していた、という体験はないでしょうか? 私はあります。昔からB'zが大好きなのですが、妹が先にB'zファンになり、その影響で私も好きになった――そんな思い出がありました。以前妹とその話をした際に「お兄ちゃんが『B'zカッコいいぞ』って言ったから聴き始めたんだよ」と言われて、まったくの記憶違いをしていたことを知ったのでした。
本作は、そんな過去の記憶違いを発端に動き出していく物語です。序盤のあらすじを追いかけつつ紹介していきましょう。
主人公は、クラスでも目立たない、退屈な日々を過ごす男子高校生・青間(あおま)はじめ。クラスメイトから「地味ーズ」と呼ばれるくらいには影の薄い存在です。
当然、恋人もいません。しかし、はじめには初恋の人がいました。
子供の頃に出会った可愛らしい女の子、名前はオト。
あの日交わした、何とも微笑ましい子供の約束。甘酸っぱい記憶を思い出したはじめでしたが、まさに明日が「10年後の6月4日」すなわち、約束の日。とはいえ、これはあくまで子供の頃の話。今はどこにいるかもわからない女の子との、決して果たされることのない契りだとわかってはいても、いまだ引きずっているはじめ。
しかし、その日の夕方。帰宅した際、突如はじめの前にひとりの人物が現れます。
美しい女性へと成長したオトに驚き戸惑い、そして気持ちが昂(たか)ぶるはじめ。再会を懐かしむなかで、オトははじめにこんなメッセージを送ります。
10年前、背比べをしたあの木の前で交わした結婚の約束を、オトも忘れていなかった。顔を赤らめ、ドキドキが止まらないはじめです。
10年ぶりの再会を終え、はじめの家を後にするオト。
一見すると、結婚の約束をするほど仲が良かった友達の愛犬に挨拶する、なんてことないシーンですが、とても不穏な空気を漂わせています。カエルの鳴き声も一役買う、不吉な未来を予感させる印象的なページ。
幼い頃、結婚の約束をした女の子とまさかの再会を果たし、なおかつ「約束覚えてる?」とまで言われてしまう。ついさっきまで地味な高校生活を送るカースト下層男子だったはじめにとって、目の前に広がるはバラ色の日々。
しかし、物語はここから、はじめの想いとは異なる方向へと転がっていきます。翌日、オトとの約束の場所であるあの木のもとへ向かう道すがら、10年前、最後にオトと会ったときのことを思い出すはじめ。
子供には対処が難しいこのシチュエーション、はじめでなくても、荷が重いですね。胸がチクチクするような記憶を抱えながら目的地へと向かうはじめですが、気味の悪いことに、カエルの死体を踏みつけつけてしまいます。しかも死体はひとつじゃない。
無数に転がるカエルの死体、その先にあったのは――
このとき、はじめはあることを思い出します。それは、可愛らしい女の子の別の顔。記憶違いだった思い出が上書きされる瞬間でもありました。
物語がひっくり返る、読んでいてゾワゾワする圧巻のコマ。うだつの上がらない男子高校生が謎にモテるラブコメかと思いきや、とんでもないサスペンスホラーの開幕です。
冒頭でも書いた通り、本作の序盤は「記憶」がキーワードになります。結婚の約束をした初恋の女の子であるオトの、本性とでも言うべき恐ろしい姿が、少しずつはじめの記憶の中からよみがえってくるのです。
たとえばこんな記憶。
オトに監禁・拷問され、無理やり誓約書のようなものを書かされた記憶。オトが言う「10年前の約束」とは、結婚のことではないらしい……?
そもそも子供が子供を監禁する時点でゾッとしてしまいますが、このように少しずつ、はじめはオトの別の顔を思い出していくのです。その記憶が正しいか、正しくないかの判断がつかないまま。
記憶の狭間で揺れる想い。「10年前の約束覚えてる?」の問いにはじめが「結婚」と答えた際の、オトの表情をもう一度確認してみましょう。嬉しくて驚いたようにも見えますが、読み進めたうえで見返すと、「嬉しい」とは別の感情が浮かび上がります。また、私たち読者が最後に生前のケンを見たあの場面でカエルの鳴き声を挟み込み、次の展開でカエルの死体を描くなど、物語のあちこちに小さな恐怖や不穏さを散りばめることで、ドキドキ度やザワザワ度も上昇。
オトが言う「約束」とは一体何を指すのか。まだ掘り起こされていない、はじめの記憶の中にいるオトは、どんな人物だったのか。「思い出」と「今」がどう繋がっていくのか。そしてこれからどんなゾワゾワな恐怖展開が待っているのか。
続刊が出たら、前の巻まで戻って読み返しながら細部まで楽しみたいと思います。人の記憶なんて、曖昧ですから――。
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(レビュアー:ほしのん)
- 懐かしく思う君は誰 1
- 著者:染谷リキ 濱田一
- 発売日:2024年04月
- 発行所:講談社
- 価格:759円(税込)
- ISBNコード:9784065351666
※本記事は、講談社コミックプラスに2024年4月26日に掲載されたものです。
※この記事の内容は掲載当時のものです。