傑作ミステリーは、漫画になってもやっぱり傑作だ。第71回江戸川乱歩賞、2026年本屋大賞第6位に輝いた『殺し屋の営業術』のコミカライズ版が、文句なしに面白い。「営業スキル」だけで裏社会の頭脳戦を無双する――。原作の面白さは折り紙付きだが、このぶっ飛んだ設定はやはり漫画というメディアと相性抜群だ。鳥井や耳津のビジュアルも解釈一致で嬉しくなる。魅力的な原作が、作画と演出の力でさらに洗練された、必読の一作だ。
虚無を抱えた男の「命を懸けた商談」
鳥井一樹は、たぐいまれなる営業スキルを持つ男。心理テクニックを自在に使い、時には違法スレスレの工作も厭わず、圧倒的トップの成績を更新し続けている。

しかしその笑顔の下には底なしの虚無が広がり、どんな目標をクリアしても達成感を感じない。

人当たりはいいのに親しい人はなく、有能なのに周囲にはうっすら疎まれながら、虚しい日々を送っていた。

では、もっと高い目標をクリアすれば生きる実感が持てるのか?
そんな思いから明らかにきな臭い見込客にも、会社に隠れて対応する鳥井。しかし、呼び出されたその家は、反社の二人組・風間と耳津による殺人の現場だった。気づけば鳥井は山中で拘束され、銃口を向けられている。その瞬間、鳥井は虚無でしかないと思っていた自分の中の強烈な生存本能を自覚する。
鳥井が口にしたのは、感情的な命乞いではなく「ソリューション営業」だった。

この殺し屋コンビは、行き当たりばったりで計画性ゼロ。それゆえ「ノルマ未達により組織から消されかけている」という課題を抱えているらしい。鳥井は自身の卓越した営業力があればその課題は解決できる、と確信したのだ。

自らの命とノルマ達成を天秤にかけ、極限状態での商談を成立させた鳥井。現実のビジネスフレームワークが裏社会の死地にピタリとはまった瞬間だ。
需要は必ず眠っている

うっかり消されるピンチは脱したものの、風間たちに課せられていたノルマは想像以上に厳しい。
この漫画の見どころの一つは、鳥井が裏社会の底辺組織を、一般社会で鍛えた営業スキルで動かしていく過程にある。風間たちの所属する「極凍コンサルティング」は、組織とは名ばかり。ノルマ達成のための戦略もなく、暴力で威圧するのがせいぜいである。
しかし、顧客リストすらない中、鳥井はターゲットを決定する。

風間が「支払い能力なし」とみなしていた零細不動産会社の社長・守見屋は、鳥井の目から見れば億単位の金をむしり取れる「案件」だ。

表社会の営業について語っているような、この「なぜなら――」に続く言葉の説得力たるや。数日前まで堅気だったとは思えない適応力だ。
さらに、表社会では「マシーン」だった鳥井を、「おもしれーおっさん」と呼ぶ男がいる。殺しの「実行部隊」耳津だ。卓越した心理計算、思考力、度胸で事態を動かす鳥井の異質さにいち早く気づき、あからさまに期待の目を向け、肩入れし始めるのだ。

実務能力を持たない殺し屋と、暴力を持たない営業マン。この2人が実質的なバディとして動いた時から、展開は一気に加速する。
忌み嫌った天職が、死地で牙をむく

営業のフィールドを、命の危険が伴う裏社会に移した鳥井には、明らかな生気が宿っている。とってつけたような笑顔の会社員時代が嘘のようだ。
表社会では「マシーン」と笑われた合理主義や計算高さが、裏社会では魅力になり、強力なサバイバルツールになる。鳥井自身、死と隣り合わせの環境で初めて自身の能力の使い道を見出したように見えるのだ。この「本人は嫌気がさしているのに、営業は細胞レベルで染み付いた最強の天職で、裏社会でさらに輝くことになる」皮肉なズレが、鳥井というキャラクターのたまらない魅力になっている。
タイムリミットまであと2週間。いかにして2億円という絶望的なノルマを達成するのか。天賦の才で裏社会に適応しはじめた鳥井の次なる一手から目が離せない。
(レビュアー:中野亜希)
- 殺し屋の営業術 1
- 著者:野宮有 藤
- 発売日:2026年09月
- 発行所:講談社
- 価格:792円(税込)
- ISBNコード:9784065449585
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※本記事は、講談社|今日のおすすめ(コミック)に2026年10月3日に掲載されたものです。
※この記事の内容は掲載当時のものです。




