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ブレイディみかこが『リスペクト』で描く、オリンピック後の日英の共通点とリスペクトの大切さ

ブレイディみかこさん

8月7日(月)に発売されたブレイディみかこさんの小説『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』。7月13日(木)には、発売に先立ち、ブレイディさんを迎えた本書のZoom試読会が開催されました。

本作は、2012年ロンドンオリンピックが開催された翌年に始動した、「FOCUS E15運動」に着想を得た小説です。FOCUS E15運動では、政治や運動などにはまったく馴染みのなかったシングルマザーたちが、理不尽な理由で住む場所を奪われたことをきっかけに、自らの尊厳と権利を守るために立ち上がりました。

奇しくも今年は東京オリンピックの2年後にあたり、オリンピックをきっかけとした再開発問題に起因する日本の状況に、「当時のロンドンを思い出す」とブレイディさんは語ります。本書は、日本に住む私たちにとっても決して無関係な物語ではありません。

試読会では、小説の元となったFOCUS E15運動の概要や執筆の経緯、本書に込めた思いなど、ブレイディさんがたっぷりと語ってくれました。
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リスペクト
著者:ブレイディみかこ
発売日:2023年08月
発行所:筑摩書房
価格:1,595円(税込)
ISBNコード:9784480815736

この物語は、2013年にロンドン東部で始動したFOCUS E15運動と、同運動が2014年に行ったカーペンターズ公営住宅地の空き家占拠・解放活動に着想を得たフィクションであり、小説であります。

著者におおいなるインスピレーションを与えてくれた若きシングルマザーたち、そしてこの反ジェントリフィケーション運動の関係者たちに感謝を捧げつつ、いまだ彼女たちがしたことについて知らない日本の読者たちに本書をぶち投げます。

(『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』冒頭より)

※ジェントリフィケーション(gentrification):都市において、低所得の人々が住んでいた地域が再開発され、お洒落で小ぎれいな町に生まれ変わること。「都市の高級化」とも呼ばれ、住宅価格や家賃の高騰を招き、もとから住んでいた貧しい人々の追い出しに繋がる。

 

FOCUS E15マザーズによる公営住宅占拠運動とは

ロンドンの東部は100年以上前からごく貧しい労働者階級の街として知られていたのですが、そのエリアを2012年のオリンピックを契機に再開発して、オリンピックパークにしようと決められてしまいました。まさにその地域に若年層向けのホームレスを対象としたシェルターがあって、その名前が「FOCUS E15」でした。

その建物を管理していたのは、公営住宅の管理や所得の低い人たちのシェルターを運営している住宅協会ですが、その住宅協会からFOCUS E15に住むシングルマザーたちは突然出ていけと言われてしまいます。「子どももいるのにどうしたらいいのか」と自治体の福祉に相談すると、マンチェスターなどの北部であれば住宅補助でなんとかなるだろうから、そちらに引っ越したらと勧められます。

そんな遠いところに、子連れで一人で行ってどうするのかと困惑したシングルマザーたちは、毎週末、スーパーマーケットの前の広場でスピーチを始めます。その場所は活動屋台と呼ばれるようになり、子どもたちが遊べるようなテントを作ったり、賛同してくれるほかの社会運動家たちが集まってきたり、区長に嘆願書を渡したりしますが、いくら運動が注目を集めてもらちが明きません。

(彼女たちが占拠した)カーペンターズ公営住宅は、オリンピックパークのすぐ近くにあって、再開発のために住人を引っ越しさせていて、買い手がつかないまま、空き家だらけになっていました。そこで、彼女たちは「自治体は私たちを住まわせる家がどこにもないといっているけれど、空き家はごろごろしている」と、その公営住宅を占拠したんです。

 

『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』を小説として書いた理由

PR誌「ちくま」で連載が始まったのが2021年のコロナ禍で、ロックダウン中のイギリスでは取材ができないということもありましたが、理由としてもっとも大きかったのは、作中に史奈子と幸太という日本人を登場させたことです。この事件に実際に日本人が絡んでいたわけではないのですが、このような話を書くと、「私たちとはまったく違う考え方をする、外国の人たちのすることで、私たちとは関係ないよね」とスルーされてしまう気がしました。

たとえば以前出した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が広くたくさんの人に読まれたのは、母親が日本人の子どもが主人公だったから。もし英国人の家庭や日本以外の国から来た移民の子どもだったりしたら、皆さんはあそこまで入り込んでくださらなかったのではないかと思います。イギリスと日本は大きく違う部分があるので、その架け橋となってくれるような日本人のキャラクターが必要だと考えたときに、小説として書くしかないのではないかと思いました。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
著者:ブレイディみかこ
発売日:2021年07月
発行所:新潮社
価格:737円(税込)
ISBNコード:9784101017525

 

なぜ今日本の読者に向けてこの物語を書こうと思ったのか

東京オリンピック後の今の日本の状況を見ていると、10年前のイギリスと同じようなことが起きていると感じます。イギリスではこういう運動が起きたということを日本の人に知ってほしかったですし、日本人も心意気というか、ガッツを見せるのは「いまなんじゃないの?」という思いがありました。

日本はビジネスでも社会のあり方でも政治でもなんでもそうですが、とにかく「ボートを揺らさない」ことを大事にしていると感じます。

ボートって、方向や速度を変えるときは必ず揺れますよね。物事が良くなる前には揺らすことが必要なのに、「たとえ沈んだとしても揺らさないのが一番」という感じが全体的に蔓延しているような気がします。「確かに生きづらいけれど、ハグしあってがんばっていこう」と同じことをしているだけでは何も変わりません。

イギリスはこれからプライド(LGBTQのパレード)のシーズンです。「プライド・イン・ロンドン」は昨年50周年を迎えて、今年も、昔から関わっているリーダー格の人が雑誌に登場したり、テレビでドキュメンタリーが放送されたりしています。ある記事を読んでいたら、「戦うことなしに何一つ変えられなかった」「いちいち騒ぎを起こしてきたら、少しずつ変わってきた」と当初から運動に関わってきた方がおっしゃっていて、まさにその通りですよね。

イギリスと日本ではメンタリティが違うのではないかとよく聞かれますが、メンタリティの問題ではなくて、そういう面倒くさいことをやる気があるかどうかだと思います。よく「ギリギリのところまで行ったらやるのではないか」と言われますが、すでに結構ギリギリのところに来ているのではないでしょうか。

 

日英で共通するオリンピック後のジェントリフィケーション

日本でも、最近都内のマンションの値段がバブル期以上に上がっていると聞きます。物の値段が上がるのは買う人が多い時ですよね。物価高で、賃金もずっと上がらなかった国で、突然人々がお金を貯めて家を買うようになるかというと、そうは思えません。

もし海外の投資家による住宅の買い占めが始まっているとしたら、オリンピックによる再開発のあった、10年前のロンドンと全く同じです。マンションの価格が史上最高に値上がりして何が起きたかというと、テムズ川のほとりを歩いていても、高層マンションはみんな電気が点いていない空き家になっていました。でも、住宅は株券のような、値上がりしたら転売するためのものではない。住宅は人が住むところで、貯金箱じゃないでしょうというのが、この本に書いたテーマの一つでもあります。

東京オリンピックのときにも、新国立競技場建設のために明治公園の無宿者を追い出したり、明治公園に隣接する都営アパートが解体されて、多くの人たちが住み慣れた場所から移転することを余儀なくされたり、宮下公園のホームレスの人たちを排除して開発し、高級ファッションブランドが何十件も軒を連ねる商業施設エリアになったりと、ロンドンと全く同じことが起きています。そのように、都市から貧しい人たちを追い出して再開発して、お金持ちのテーマパークにしてしまうことをジェントリフィケーションと言います。

でも、その都市を回していくのは、たとえば看護師や介護士などの賃金が高くはない人たちで、家賃の高騰によりその人たちが住む住宅がなくなってしまう。東京の高円寺商店街などでも反ジェントリフィケーションのデモなどが行われているようですが、そういう運動を盛り上げていったほうがいいですし、メディアでももっと報道してほしいですね。

 

タイトルはアレサ・フランクリンの代表曲「リスペクト」から

ご存知の方も多いと思いますが、「リスペクト」はもともとはオーティス・レディングが1965年に発表した男性の曲なんですよね。

「お前が欲しいものは、お前が必要なものは、もう持ってるじゃないか。だから、俺が家に帰った時ぐらい、ちょっとは俺をリスペクトしてくれよ」と歌った歌詞を、2年後にアレサ・フランクリンが少し変えてカヴァーしたらそちらの方が大ヒットしてしまった。どう変えたかというと、「あなたが欲しいものも、あなたが必要なものもわかってる。私が言いたいのは、家に帰ってきたら、少しでいいから私のことをリスペクトしてほしいってこと」と男の人に言っていて、R・E・S・P・E・C・Tとスペルアウトする部分があります。

これは、アレサ・フランクリンのバージョンにしかなくて、「リスペクトっていう言葉をあなた知ってる? 知らないんだったらスペルアウトしてあげるわよ」という啖呵を感じさせます。この曲は、フェミニズムを代表する曲としてずっと愛されてきました。

私は以前、エンパシーという言葉について、たとえ自分が共鳴できないような、賛成できないような相手のことでも、その人の靴を履いて想像してみることなのだと書きました。「リスペクト」のほうがエンパシーと比べて日本でも使われていると思いますし、知っている人も多いと思うのですが、改めてその意味をケンブリッジ英英辞典で調べてみました。

①良い考えや資質を持っていると自分が信じる誰かや何かに対して感じたり、示したりする称賛、➁重要だと見なされている誰かや何かに対して示される礼儀正しさや敬意、配慮、➂何かが正しい、または大切であり、それを変えようとしたり、害を与えようとしたりすべきではないという気持ち。そして、④異なる慣習や文化は自分のものとは違うと受容し、それらに対して侮辱することのないよう振る舞うときに見せる思いやり、と出てきます。

この④がいまの世の中に必要なことなのではないかと考えていて、自分と違う習慣や文化、考え方と出合うことは当然あります。その人たちの靴を履いて想像してみる、その上でその相手を不快にさせないような態度が、エンパシーから一歩進んだ、必要とされる「リスペクト」なのだと思います。

本書では、史奈子は最初、運動に参加している人たちのことを、「自分たちが所有してるわけでもない団地を勝手に修繕して住み始めるのは、犯罪なのではないか」と考えます。その考えを彼女はずっと引きずっていますが、それでも「相手の靴」を履いていろいろ見ていくことによって、こういう考え方ややり方があるとリスペクトしています。

そのステップによって、史奈子は「こうであらねばならない」と思っている自分でいるために、自分に嘘をついて我慢をしてきたけれど、それは自分をリスペクトしていたのだろうかと疑問を持ちます。セルフ・リスペクトという言葉もある通り、彼女は今の自分を認めてリスペクトすることで、新たな一歩を踏み出します。

本書も、いま壁にぶつかっている人や、つらい思いを抱えている人、自分の思いとは違うことを義務感でやっている人などに読んでいただき、自分をリスペクトしようと思っていただければいいですね。

 

〉〉試し読みもできる、『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』特設ページはこちら

 


【プロフィール】ブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞、Yahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞などを受賞。ほかに、『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(ちくま文庫)、『THIS IS JAPAN―英国保育士が見た日本―』(新潮文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『女たちのポリティクス――台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く――アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)など著書多数。