人生詰んだキャラクターたちがハッピーエンドを見つけるまでの物語──
本書は日本中にいる「死にたい」仲間へ、優しさを手渡す小説なのだ。
「死にたい」という言葉は、他人に言いづらい。なぜならそんなこと言っても他人は何もできないことを知っているからだ。解決策を提示されたいわけじゃない。慰められたいわけでもない。だけどどうしようもないことを、他人に伝えたい。本書は、世間のどこにも優しさを見つけられなかった人々が、人生のどうしようもなさを他人と共有できるようになるまでの物語である。
主人公の奈月は、人生でどこにいても自分の居場所だと思えるコミュニティを見つけられなかった。現在派遣として働いているものの空回りばかり。ある日、彼女は「生きづらさを克服しようの会」と称して、誰かと生きづらさを共有するサークルを立ち上げることを決める。当日そこへやってきたのは、たしかに生きづらそうな男性だった。はたして二人は生きづらさを克服することができるのか?
衝撃的なタイトルだが、安心して読んでほしい。どこかシニカルで、しかしユーモア溢れる読後感を保証したい。
友達がいない、恋人がいない、家族とうまくやっていけない、お金がない、仕事がうまくいかない、人生に楽しいことが何もない。おまけに周りを見渡すと、このSNS時代には皆がなんだか人生うまくいっているように見える。そんな登場人物たちは、どうやったら幸せを見つけられるんだろう? 本書を読み始めたとき、正直「作者はどういう結末を彼らに用意しているんだろう?」と緊張したことを覚えている。というのも、彼らはいわゆる現代で「詰んだ」といわれる状況が重なった人生を生きているから。詰んだというのは最近の言葉だが、要は手を尽くしきってそれでもうまくいかないということだ。彼らは決して努力していないわけではない。というか、じゅうぶん努力している。しかしそれでもうまくいかない。彼らの状況は、私たちの常に隣にある「努力してもどうしようもない状況」そのものを見せられているような気になる。
最後まで読んでも、彼らに宝くじが当たるとか魔法をかけられるとか、そんな大逆転は起こらない。それでも私は本書の辿り着いた場所を、ハッピーエンドの一種類だと感じるのだ。
奈月たちが、生きづらいままで、それでも何か癒されるものを他人と共有できた時、私たち読者もまた、ほんの少し自分の生きづらさが和らいでいる感覚を得られる。今、誰にも「死にたい」という言葉を伝えられずにいる人に読んでほしい、作者の優しさが届く一冊である。
「小説推理」(双葉社)2023年3月号「BOOK REVIEW 双葉社 注目の新刊」より転載