『きらきらひかる』『神様のボート』『号泣する準備はできていた』などの小説をはじめ、児童文学、エッセイ、海外絵本の翻訳など幅広い作品を手がけ、やわらかく繊細な描写で多くの読者の心をとらえてきた江國香織さん。そんな江國さんは、実は「書く」よりも「読む」時間のほうが長いくらい、“読んでばっか”な毎日を過ごしていらっしゃるのだそうです。
今年6月に筑摩書房から発売された『読んでばっか』は、これまでに発表された読書にまつわるエッセイや書評などをおさめた、江國さんの“読んでばっか”な一面をみることのできる一冊。
今回は、そばに本があることの幸せが詰まった本書について、その幸せを“本以外のかたち”でも人々の日常に届けることを目指すブランド「文学を纏う」の文学ネイル企画メンバーがお聞きしました。
- 読んでばっか
- 著者:江國香織
- 発売日:2024年06月
- 発行所:筑摩書房
- 価格:1,980円(税込)
- ISBNコード:9784480815798
──「読む」にまつわる時間には、本に出会った瞬間や、次々に手にとってみて選ぶ時間、読む時間、読み終えたあとに反芻したり誰かと話したりする時間などさまざまありますが、江國さんが、ご自身の“読んでばっか”な日々のなかで、特に重きをおいていらっしゃるのはどんな時間ですか?
「読む時間」ですね。読んでいる時間がとにかく純粋に楽しいです。本当はね、書かなきゃいけなかったり、掃除しなきゃいけなかったりもするんですけど、読むことが逃避にもなっていて、つい読んじゃいます。
── 一日のなかに必ず「読む」があるのですね。
毎朝2時間はお風呂のなかで本を読んでいます。それ以外にも1~2時間くらい。その日によりますけど、止まらなくなっちゃう本があると一日中読んじゃったりもします。
読んでばっかりで、現実を生きている時間が少ないなと思いますね。いつも、読んでいるか、飲んでいるか、書いているかです。『読んでばっか』にも書きましたけど、読むことって旅に似ていて、コロナ禍や戦争、円安、現実には旅に出づらい要因がいろいろあるなかで、読むことでいろんなところへ行かれるのが楽しいです。本棚を眺めると「いろんなところへ行ったな」と思います。
── 書くことも旅に似ていますか?
旅ではないけれど、ここではない場所へ行っている感覚はあります。飲んでいるときも、「旅」ではないです、やっぱり現実を生きてはいないかな(笑)。
── エッセイに、“そばに置いておくだけで落ち着く本”というのがあって、お仕事場に何冊か置いてあると書いていらっしゃいましたが、仕事机以外にもそういう場所はありますか?
ありますね。ベッドのそばには児童書を置いています。ムーミンの本をセットの箱ごと、とか。仕事場では、座ったままでもすぐ手にとれるところに置いてあることが多いです。
── その一方で、あまり本は読み返さないとも書いていらっしゃいました。
読み返したいんですけど、新しい本を読みたくて、それで読み返すことが少ないです。それに、読み返したい本って、置いてあるだけでもいいんです。それだけで心強い。
それに、もしも物理的にそばに置いていなくても、たとえば私でいうと、ムーミンのシリーズや、佐野洋子さんの本や、石井桃子さんの本などがそうですが、もう自分のなかに持っているもの、自分の一部になっているものがたくさんあって、それらは私を強くしてくれていると思います。人前に出るときや、緊張する場面でも「大丈夫、ムーミンも石井さんもついている」って、勝手に思っています。
── 私たちが手がけている「文学を纏う」のネイルポリッシュも、そういう“お守り”をかたちにしたいという思いから企画したものなんです。私は、本そのものの存在はもちろんですが、とりわけそこに書かれた一節や言葉に日々勇気をもらっていると感じることが多くて。本を持ち歩けないときに、そういう言葉を想起できるようなものはないかなと考えて、指先を彩るネイルポリッシュをつくりました。
なるほど。
── それから、本ではないかたちで摂取するからこそ、新しい発見があったり、作品と出会い直す体験があったり、もう一度読みたくなったり、そういうことが起こるんじゃないかとも思っています。
おおいにあると思います。私はベッドのそばに、ムーミンのグッズやマドレーヌちゃんの人形も置いてあるんですけど、それってまさに“物語のかけら”を所有しているみたいで、とても楽しいですよね。それらは本のなかから出てきたもの、本の世界から来たものなので、ほかのぬいぐるみとはまったく別の意味をもっている。
“摂取”という言葉はまさにそうで、私も、たとえば読んでいる本においしそうな食べものが出てくるとすぐ食べたくなっちゃって、その日の献立にしたり、外食したときに同じものを食べたりします。
それがまだ知らない食べものだった場合、どんな食べものか想像できていないわけですよ。それでも、なんだかときめく。まして、子どもの頃に読んだときの憧れようったらないですよね。
── すごくわかります。
言葉じゃなく写真で見たらおいしそうだと思わないかもしれないし、実際に食べたらおいしくないかもしれない。言葉だからときめいた。そういう、「言葉が喚起するもの」ってあると思うんです。
自分自身の作品についても、文字で受け取っていただくことを前提として書いています。
──「文字でなく別のかたちで出会っていたらときめかなかったかもしれない」というお話にどきっとしました。私たちはネイルポリッシュをつくるにあたって、どんな色で、どんな質感のネイルにするか、どのシリーズをつくるときもそれぞれの作品を何度も読んで考えるんですが、今回の江國さんのシリーズを、読者の皆さんはもちろん、江國さんご自身はどう思われただろうなと。
『きらきらひかる』生きづらい苦みを内側にかかえながら寄り添い合う辛螺色
『すみれの花の砂糖づけ』奔放で繊細で儚げな、あの日の自分を解き放つ菫色
『号泣する準備はできていた』いまにも降り出しそうな薄曇りの空鼠色
『つめたいよるに』いくつもの季節を越えて巡り合う不思議な運命の桜色
『東京タワー』もう後戻りできない甘く熟れた果実の緋色
【くわしくはこちら】
お話をいただいてからイメージしていたものと近かったのは、『号泣する準備はできていた』と『すみれの花の砂糖づけ』です。『つめたいよるに』は、イメージとはちょっと違っていたけど、普段づかいしやすい、日常に溶け込む色ですね。
── 物語を読んでいて、色をイメージされることはありますか?
どうだろう……。でも、物語に出てくる色そのものにはすごく反応してしまいますね。夜の色、朝の色、トーストの色……、そういうものをいちいち読みたいです。読みながら「この場面はこんな色のイメージ」と考えているわけではなくて、たとえば『読んでばっか』にある「佐野さんの筆は、刃の光る裁断バサミで布を切るときのような緊張感と何気なさで、じょりじょりと物語を切りとる」のような音の比喩も、誰かに伝えようとしたときに、どういう比喩がしっくりきて伝わるだろうと、書きながら考えることですね。
── なるほど。確かに、物語に出てくるものの色はぱっとイメージが浮かびますね。それでいうと、実は『つめたいよるに』のネイルカラーは、同書収録の「ねぎを刻む」からとって浅葱色になるかもしれなかったんです。初めてこの作品を読んだ中学生の頃は“一人暮らしの大人の女性”をどうしても憧れ混じりに見ていたのが、大人になった今あらためて読み返したとき、それが実感と共感に変わっていたんですよね。江國さんの書かれる登場人物はみんな孤独だけど、でも、みんな孤独なんだっていう連帯感にすごく勇気をもらえる。そのことに泣けてきちゃって、涙で滲んだ葱の色が想起されました。
そのシーンは、実感も込めて書きました(笑)。
──「物語に出会い直す」ってこういうことだなと思いました。すでに読んだからもうわかっていると思っていた物語も、それを読む自分自身に変化があると、まったく違うところに反応して、がらりと印象が変わることがある。『読んでばっか』にも、江國さんの言葉で伝えてくださったことで、もう一度読みたくなった本がたくさんありました。
うれしい。「読みたくなる」と思ってもらえるのが一番うれしいです。これに出てくる本を1冊でも2冊でも、10冊でも、読んでくださるとうれしいです。“読んでばっか”な生活は、それはそれで心配になっちゃうけど(笑)。
──『読んでばっか』におさめられているもののなかでも、私は佐野洋子さんの『わたしが妹だったとき』に寄せた文章が印象に残っています。「声高に感想を述べたりしたくない本だ。余計な解説をつけるなどもってのほか、親しい人に話すことさえはばかられる」。解説文でありながら解説をつけるなどもってのほかだという、その率直さが素敵だなと思いました。
正直ですよね。今回『読んでばっか』を出すにあたって過去に書いたものを読み直したとき、自分で言うのもなんですが、「毎回誠実に書いているなあ」と思いました。
筑摩書房さんから「これまでの寄稿を一冊にまとめてみませんか」とお話をいただいたとき、「そのとき限り」と思って書いたものをまとめることに最初は違和感があったんです。でも、読んでみたら「いいかもしれない」って。
編集の方が考えてくださった掲載順にも、本への愛を感じました。
── いち読者としても、本として残してくださってうれしかったです。江國さんの頭の中の旅を覗かせていただいているようで、江國さんの内面や記憶に触れているようで。
一冊にまとまったことで、自分が何でできているかが見えちゃうな、と思いましたね。ほかのエッセイだったらほんのちょっとくらいは嘘もつくんですけど(笑)、本について書くときはすごく正直に書いているなと自分でも思います。意識して正直であろうと思っているというより、そうなっちゃうんですね。
「ああそうか、私、本に対して嘘つけないんだ」って思いました。
- 読んでばっか
- 著者:江國香織
- 発売日:2024年06月
- 発行所:筑摩書房
- 価格:1,980円(税込)
- ISBNコード:9784480815798