どうせ時間ならいっぱいある
『大人になれない僕らは』の日常はとても長い。
不登校気味の“野中葵”は、授業なんておかまいなしに教室を出て、地学準備室にタラタラと向かう。彼にとって毎日は暇つぶし。
地学準備室で野中を待つのは同級生の“一ノ瀬真白”。
こちらも授業そっちのけで、なんなら制服すら着ていない。ちなみに彼女は青年誌の表紙を飾るような現役一流グラビアアイドルでもある。堂々たるビキニ姿(と、ハイソックス!)に説得力があるのはそれゆえか。それにしてもやけっぱちすぎないか。
二人は毎日こんなふうに過ごしている。いきなり夏祭りに行ってみたり、わざと雨に降られたり、くだらないことを試したり。その合間に彼らは「青春」と繰り返し口にする。
どうせ時間ならいっぱいある、時間をドブに捨てる……「そんな時間、いつのまにかなくなっちゃうんだよぉ~」と大人は言いたくなるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。これはレトリックではなく、嘘偽りない「どうせ時間ならいっぱいある」物語なのだ。
寝てもさめても7月7日の月曜日がやって来る。そんなタイムループに囚われた二人は明日に行くことができず、いつまでたっても青春が終わらない。
永遠に続く「青春」
タイムループも最初の数回は愉快だろうが、さすがに何百、何千と続くと心が死んでいく。
脱出するためにあの手この手を試した。もちろん「死」だって。でもダメだった。そんな二人に残されたことといえば……、
今日の7月7日月曜日をいかにして過ごすか、だ。あれ、今日の一ノ瀬は制服着用ですね。かわいい。つまり、ありとあらゆる「真夏の青春」を楽しめるマンガだ。無限におかわりオッケーのお鮨屋さんのようだ。
ド平日の月曜の真っ昼間の学校のプールがこんなことになっているのを想像してほしい。あまりにフリーダムで最高だけど、どこか切ない。
どうせ明日になったら元通り……でも、リセットされず積み上がっていくものも存在する。
二人の関係だ。二人は世界に対して高校生なりに思いつく限りの無茶を試すが、野中も一ノ瀬もお互いに対しては非常に慎重なのだ。
浴衣を着て出向いた花火大会の夜なんていう最高のシチュエーションにも関わらず、野中はキスをせがむ一ノ瀬に応えない。プールに侵入して浮き輪でプカプカ浮いていた日、野中は「どうせ時間ならいっぱいある」と言った。そして花火大会でも同じようなセリフを一ノ瀬に語りかけるが、今度は少しもやけっぱちに聞こえない。おもしろい。
毎日はリセットされて変わらないけれど、二人は少しずつ変わっていく。夏が過ぎて、秋になって、冬が終わればやがて卒業……なんて日常の変化の後押しがなくても、人間の中身は変化する。むしろ真夏の青春がいつまでたっても終わらないので、ゆっくり時間をかけて変わっていける。
こんなに途方に暮れてしまう「また明日ね」もそうそうないが、昨日と違う明日が来るんじゃないかなあ……という予感もするし、たとえそれが7月8日ではなくて7月7日であっても、やっぱり、ちがう日に思える。
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(レビュアー:花森リド)
- 大人になれない僕らは 1
- 著者:藤田丞
- 発売日:2024年07月
- 発行所:講談社
- 価格:759円(税込)
- ISBNコード:9784065362914
※本記事は、講談社コミックプラスに2024年7月26日に掲載されたものです。
※この記事の内容は掲載当時のものです。