東大卒のクイズ王として知られる伊沢拓司さん。10月20日(水)発売の『クイズ思考の解体』では、執筆2年半をかけ、クイズと自身の思考過程を余すことなく解き明かしています。
豊富な知識、教養が必要とされるクイズですが、長らく携わってきた伊沢さんは、その知の“在り方”についてどのように捉えているのでしょうか。書店との関りとともに綴っていただきました。
伊沢拓司
いざわ・たくし。日本のクイズプレーヤー&YouTuber。1994年生まれ、埼玉県出身。開成中学・高校、東京大学経済学部を卒業。「全国高等学校クイズ選手権」第30回(2010年)、第31回(2011年)で、個人としては史上初の2連覇を達成。TBSのクイズ番組「東大王」では東大王チームとしてレギュラー出演し、一躍有名に。2016年には、Webメディア「QuizKnock」を立ち上げ、編集長・CEOとして日本のクイズ界を牽引する。
「浅い」ところから始めよう
制服を着て書店に入ったことがほとんどない。中学・高校時代の私にとって、本は必ずしも身近な存在ではなかった。別に嫌いだったわけではない。優先度が低かったのだ。
クイズに取り憑かれひたすらに頂点を目指していたその頃の私は、あらゆる余暇をクイズの勉強につぎ込んでいたが、その手段は市販の書籍ではなく、各地のクイズプレーヤーが同人出版したクイズの問題集であった。「クイズで出題されやすいもの」に特化した内容は勝利への最短ルートを示してくれる。世界遺産を六畳間に居ながら覚え、文豪の筆致を知らずして名前ばかり頭に入れた。
そうしていくつかの勝利を手にした後、大学生になった私は少しクイズに疲れていた。受験で競技から離れている間、何人ものプレーヤーに追い抜かれていたため、ひところのやる気を失っていたのだ。
私はごく普通に大学生として暮らした。授業に行き、授業をサボり、酒を飲み、サークルに行き、映画や音楽やスポーツを知ったように語った。一心不乱にクイズと向き合った日々から、どこか余白のある生活へ。足が遠のいていた書店にもフラフラと入るようになった。
久々にじっくりと歩く書店の中は楽しかった。辞書から文芸、雑誌まで当て所なくさまよい、興味を満たしていく。衝動的な買い物ののち、懐の痛みと引き換えに訪れる知的快楽は格別だった。当時のお気に入りは、池袋のジュンク堂書店で本を買い、隣の「みつぼ」でジョッキ片手に読むというスタイル。内面も外面も大人になったかのような温かい自己満足に包まれた。
快感の裏には、高校時代に得るべきであった学びの時間を、ないがしろにしたことへの後悔があった。私は読書の先に、一瞬を争う早押しクイズでは問いきれない、芳醇で重層的な世界を垣間見た。それゆえに芽生える、過去に失ったものを取り戻さねばならぬという強迫観念。一冊読んだら次が読みたくなる衝動の正体は、あるべきと思い込んだ自己の像に近づき、失った時間を取り返せたという安堵だったのかもしれない。
しかしながら、今にして思う。私は何も失ってなどいなかった。社会人となり、クイズを生業とするにあたって、これまで以上にクイズについて深く考え、悩み、知る機会を得た。その結果生まれたのは、クイズ的な知への肯定感だった。
「浅く広い」知をがむしゃらに蓄えた高校時代、その体験は直接的に読書と結びつくものではなかったが、少なくとも入り口を広げてくれはしたのではないか。クイズで得た知識があったからこそ、本の山から自分が読むべきものを選び取れたのではないか。そう考えると、必ずしも高校時代の時間は無駄ではなかったのだ。
おそらくクイズをプレーしていなかったら、ヘミングウェイという作家のことも、どのような作品が有名なのかも、もっと遅く知ることになっただろう。華美な装丁の『世界美術家大全』だって、クイズを通して美術への興味を得ていなければ購入までは至らなかったはずだ。その壮絶な人生を知ったからこそ数多あるCDから「Chet Baker Sings」を選び取ることもできた。
断片的な知識が、「無数の商品」としか認識できない景色に彩りと意味合いを与えてくれたのである。根拠とルーツを持った興味によって、私は学びへの第一歩を踏み出したのだ。
知の在り方は、ともすると「浅い/深い」という二項対立の下に語られ、浅さへの安易な批判に終わりかねない。しかしながら、それらは相対するものだとは言い切れず、またトレードオフでもない。根本的な作法さえ見誤らなければ、「浅い」知識にもきっかけとしての価値を見出しうるだろう。
系統立てた読書は知の大樹を育てる最短でうってつけの方法だが、たまたま聞いた断片的な知識や、心の赴くまま手にした一冊の本が、芽を出し枝を伸ばし、天へと届くかも知れない。難しそうでも、読み切れなさそうでも、自分にふさわしくないと思っても、勇気を出して進めばよい。きっかけは何だってかまわないのだから。本の森に芽吹く足元の双葉を、踏みつけぬよう歩いていきたい。
(「日販通信」2021年11月号「書店との出合い」より転載)
著者の最新刊
- クイズ思考の解体
- 著者:伊沢拓司
- 発売日:2021年10月
- 発行所:朝日新聞出版
- 価格:4,950円(税込)
- ISBNコード:9784023319837
「クイズは無限の可能性を持つエンターテインメントです。クイズが文化として見直され注目されている今こそ、クイズを解く時に何を考えているかという思考過程を解剖したい!それが私を育ててくれたクイズ界への恩返しになる。その使命感で無心に執筆を続けた、『クイズのために書いたクイズの本』です!」(伊沢)
クイズを愛しすぎた時代の寵児が「クイズ本来の姿」を長大かつ詳細に、繊細だが優しく解き明かすクイズの解体新書。伊沢氏自らが長期間に渡って調査を行い、圧倒的な情報を詰め込んだ超大作である。
熱意のこもった、かつ親しみやすい筆致で、クイズの現在地をロジカルに体系化し、未来への発展をいざなう。クイズプレーヤーはもちろん、クイズ愛好者にはぜひとも手に取ってもらいたい、クイズ史の「マイルストーン」となる一冊になるだろう。〈朝日新聞出版 公式サイト『クイズ思考の解体』より〉