中山夏美
山形市出身在住。2020年に東京からUターン。山と芸能を得意とするライター。小学1年生のときに『りぼん』(集英社)に出会い、漫画にハマる。10代は少女漫画ばかり読んでいたため、人生で大事なことの大半は矢沢あい先生といくえみ綾先生に教えてもらった。現在は少年、青年、女性、BLまで、ジャンル問わず読んでいる。電子書籍では買わず、すべてコミックで買う派。
アウトドアとエンタメを得意とするライター中山です。私は22歳のときに上京しました。東京で初めて住んだ街は中央線沿いにある阿佐ヶ谷。友達が同じ沿線に住んでいたことが理由で決めた場所でしたが、アーケード付きの商店街があったり、安いけどおいしい居酒屋があったり。本当は下北沢に住みたかったけれど(家賃が高くて断念)、東京初心者の私にはピッタリの街でした。
第6回目で紹介する『ひらやすみ』(小学館)は、山形出身のヒロトと従兄弟のなつみが阿佐ヶ谷で暮らし始めるところから話がスタートします。真造圭伍先生の作品は、デビュー作である『森山中教習所』の頃から読んでいたので(ひとつ前の作品『ノラと雑草』もめちゃくちゃいい!)、新作の『ひらやすみ』も当たり前のように手に取ってビックリ。「山形」、「阿佐ヶ谷」、そして「なつみ」。私との共通点が3つも! ということで勝手に親近感がある『ひらやすみ』を紹介していきます。
『ひらやすみ』真造圭伍
あらすじ
かつて役者を目指して山形から上京してきた生田ヒロト(29)は、夢破れ、現在は定職には就かずにフリーターとして暮らしている。そんな彼は人の良さだけが取り柄。仲良くなった近所のおばあちゃん・和田はなえが亡くなり、タダで一戸建ての平屋を譲り受けることになった。そこに従姉妹・小林なつみ(18)が美大進学のために上京し、2人暮らしがスタート。都会の片隅で起こる小さな日常を追うストーリー。
何事もない普段の暮らしが愛おしさに変わる
『ひらやすみ』は、『週刊ビッグコミックスピリッツ』で2021年から連載されています。現在コミックは第5巻まで発売中。累計コミック売上40万部突破。「マンガ大賞2022」第3位に輝くなど、メディアからも注目度が高い作品です。
実は真造先生、2020年に悪性リンパ腫(血液のがん)が見つかり、闘病生活を送っていました。そのときのことを『センチメンタル無反応 真造圭伍短編集』(小学館)で描いているのですが、がんを告知されて「これできっと次の連載が描ける」と思ったそう。「とにかく明るくて入院していても読みたくなるマンガを描きたい。普通に生きることのありがたさ、普通に過ごす幸せを描きたかった」。インタビューで、そう語るように『ひらやすみ』は、難しい事件は起こりません。ヒロトの日常であり、平凡な毎日が綴られています。でもそれが、いいんです……! それでは早速、魅力に迫っていきたいと思います。
〈魅力1〉挫折したことがあるから優しくなれる
主人公である生田ヒロト(29)は、現在フリーターです。阿佐ヶ谷にある釣り堀で働いています(リアルに阿佐ヶ谷に釣り堀はある)。お年寄りに好かれ、人徳あふれるヒロトは“のんびりお気楽”という言葉がピッタリ。そんな彼ですが、心身ともにボロボロになり、闇落ちしていた時期がありました。役者を目指して上京し、売れない俳優を続けた数年間。「売れなかったら負けの世界」にヒロトは打ちのめされていたのです。美人の女優を前にNGを連発し、才能の無さを痛感。バイトと現場の往復で家の中はめちゃくちゃ。疲れたことも吐き出せず、親友のヒデキとは半年も連絡を取っていませんでした。
痛みを知っているヒロトは、誰かが悩んだときに厳しいことは言いません。だからといって何かいい話をしてくれるわけでもないんですが(笑)。でも、側にいてずっと笑ってくれています。そして暗い気持ちをちょっとだけ楽にしてくれるような気の抜けたことを言います。それは例えば「くよくよ考えたってしょうがないじゃん。でも夕飯はめっちゃ考えるよ。くよくよしないから」とか。グッとくるキザなセリフじゃない。だけど、この何も考えてないようなセリフが、逆に心に染みませんか? かけがえのない“普通の日々”を大事にしているヒロトの存在が、小さな悩みを吹き飛ばしてくれる気がします。
〈魅力2〉夢見る若者を応援したくなる
私は22歳で山形から上京したとき、東京にあるものすべてがオシャレに思えました。街も人も田舎から出てきたばかりの私は取り残されているような、疎外感でいっぱい。ワクワクする気持ちと共に「なめられたくない」という意地もありました。
美大進学のために上京したヒロトの従兄弟・小林なつみも同じです。東京のしかも個性的な人も多い美大生は、オシャレでどこか冷たい感じがしてしまいます。そこで印象付けようと、できもしない輪ゴムマジックが大スベリ。新歓パーティーに参加するも、慣れないお酒を飲まされて撃沈。せっかく入学したにもかかわらず、大学をサボリ気味です。上京経験者は、ちょっと覚えがある過去なのではないでしょうか。
そのなつみは、漫画家を目指しています。だけど自意識過剰な彼女は、謎の偏見からマンガを描くことは恥ずかしいことと思っているんです。10代ならではのモラトリアム期、なんかわかってしまう自分もいます(笑)。
夢にちょっとずつ近づいていくなつみ。まだまだ手探り状態で、この先どうなるかわからなくて不安で、だけどなぜかワクワクしてしまう。その感情は若さ特有かもしれません。40歳手前の私には眩しいぐらい。自分と同じ名前の彼女がどう成長していくのか、それもこの作品を読む楽しみのひとつです。
脇役たちの人生にも注目を!
『ひらやすみ』には、ヒロトとなつみ以外にも応援したくなる登場人物がたくさん出てきます。ヒロトに平屋を譲ってくれたはなえおばあちゃんは、ヘンクツで有名ですし、なつみの友達・あかりの恋の話や、不動産屋のよもぎとヒロト、そして小説家・石川の三角関係などもあります。やっぱりここでも大きな事件はないのだけど、近い経験をしていたり、手に取るようにその感情が伝わってきたり、染みてくる話が満載です。最新巻である第5巻では、ヒロトの親友ヒデキの闇が描かれています。同時に描かれるヒロトとの熱い友情には涙しました。むしろ第5巻だけでも読んでほしいぐらいおすすめです。真造先生のノスタルジックで、ホロリとくる宝物のような話を体感してみてください。
※本記事は「八文字屋ONLINE」に2023年5月28日に掲載されたものです。
※記事の内容は、執筆時点のものです。