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2011年3月11日の東日本大震災から10年。未曾有の災害は多くの命を奪い、さまざまな傷跡を残しました。
そんななかでも本を届け続けてきた人々は、いまどんな思いを抱いているのか。震災を乗り越え、被災地域のために尽力されてきた書店の皆さまのこれまでの道のりについて、ご寄稿をいただきました。
今回お届けするのは、みなとや書店 ブックボーイ大船渡店 代表取締役 佐藤勝也氏による寄稿「人と人との繋がりに支えられて10年」です。
震災前4店舗あった店は1店舗を残し被災した。店の中は押し流されたがれきで、中に入るのも危険な状態だった。食料を求め内陸部へ行くと、コンビニの棚に雑誌や本だけが売れ残っているのを見て、愕然としたのを鮮明に覚えている。「もう書店は続けられない」と思った。
数日後ようやく、隣町の支店に行くことができた。そこは地震の被害は受けたものの、津波襲来からはぎりぎり免れていた。驚いたことに、スタッフが薄暗い明かりのもと、ばらばらに落ちた本の整理をしているではないか。「開店を待っている人がいます」と言われ、はっとした。自分ができることは何か。地域のために何をするべきか。ブックボーイは生き残った1店舗での再スタートを決めた。
▲被災したブックボーイ大船渡店
▲復興後の店舗
「地元の人たちに早く本を届けたい。再建すれば町の希望になる」。仮設店舗を経て本設の店舗がオープンしたのは、震災から2年が経つ頃だった。「近くに本屋ができてうれしい」「よぐやった!」。レジにはたくさんのお客様が並び、次々にうれしい言葉が飛び交った。
震災で日常は非日常に突如変わってしまったが、町の人たちは無意識に、震災前のような日常を取り戻そうとしている。本屋は町の人たちの生活(日常)に根付いている。町に本屋が普通にある必要性。復興とは、シンプルに日常を取り戻していくことだと気が付いた。
私自身、書店の経営者としてこの道一筋で仕事をしてきた。私にとっての日常は本屋の仕事をすること。お店に毎日のように通ってくれた本好きの子が、大きくなって結婚し、そして子どもを連れて来店してくれる。「この子も本の虫かな」などと想像してうれしくなる。
お客様とのたわいもない会話や気づかい、長い月日の中で生まれた繋がりと信頼関係。震災で何もなくなってしまった時、それがどれだけ大切だったのかを思い知った。
ノスタルジックは、小さな町の本屋にとってすごく必要な部分ではないだろうか。居心地のいい場所。特に被災した人たちにとっては心のよりどころになり、お客様も書店もそういう繋がりに救われていると思う。
ちょうど震災から3年目になる頃、私は脳卒中になり体の右側に麻痺が残った。ようやくと思った矢先のことで当時は正直こたえたが、今となれば震災と向き合ってきた私にとって、一区切りになったような感覚さえある。体調も万全とはいかなくなり、娘夫婦に店を任せるようになった。
私たちが日常を取り戻そうとしている10年の間に、時代はどんどん進んでいる。取り戻しながらも時代に対応しなければならない。後継者たちは絶妙にバランスをとりながらの難しいかじ取りになるとは思うが、お客様との些細なことでも大切にして、町の本屋としての誇りをもって、さまざまな人たちの気持ちを酌む書店であってほしいと願う。
再建までは数えきれないほどの困難に直面したが、それ以上に周りに助けられ勇気をもらった。それがなければ今の私はない。日販さんには震災当初から一緒になって、再建へのご支援と協力をいただいた。社長にも毎年店を訪れていただき、励ましの言葉をいただいている。感謝してもしきれない。
仲間やボランティアの方々とは今でも交流がある。10年間、被災した書店から本を買いたいから送ってくれというお客様もいてくださる。「なんとありがたいことか」とこみあげてくる思いがある。さまざまな繋がりの中で、こうして本屋を続けられていることにあらためて感謝したい。
(「日販通信」2021年3月号【特別企画:東日本大震災10年に寄せて】より転載)
▼連載内容
1.東日本大震災の影響と、出版業界の動き
2.特別寄稿:東日本大震災10年に寄せて(「日販通信」2021年3月号より)
・日本出版販売 元・東北支店長(現・首都圏支社長)萬羽励一氏「感謝と使命を再確認する日」
・みなとや書店ブックボーイ大船渡店 代表取締役 佐藤勝也氏「人と人との繋がりに支えられて10年」
・MEDIA PARK MIDORI白河店 店長 鈴木郁夫氏「震災から10年を振り返る」
・MEDIA PARK MIDORI桑野店 主任 岡田州平氏「東日本大震災から10年に寄せて」
3.東北で起きたこと、いまできること 思いを寄せる一冊