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1年のなかでも、子どもの自殺が特に多いといわれる「9月1日」。このたび樹木希林さんと、娘・内田也哉子さんによる共著『9月1日 母からのバトン』がポプラ社より刊行されました。
樹木希林さん・内田也哉子さんの共著が出版されるのは、これが初めて。インタビュー後編では、本書出版のきっかけを作った「不登校新聞」編集長の石井志昂さんに、“不登校”についてくわしくお話を伺います。
石井志昂(いしい・しこう)
1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、 中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた「不登校新聞」のスタッフ。2006年から「不登校新聞」編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林や社会学者・小熊英二など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。
―― ここからは、私自身も「不登校」について理解を深められたらと思っています。不登校新聞は、当事者の皆さんがインタビュアーとして取材されているんですよね。
石井: そうです。編集部のメンバー、といってもボランティアですが、不登校経験者が聞き手として取材相手に本気をぶつける。それを僕が記事にまとめるという形です。彼らには「会ってみたい人」を挙げてもらって、僕は取材のアポイントをとったりするいわゆる“下働き”をやっています。取材依頼を出してOKが出たら、取材に行きたい人を募って皆で取材に行きます。
―― 当事者に限らず、「会ってみたかった人に会える」というのは生きる希望になりますよね。私もそうです。
石井: 不登校新聞に関わっている子は「今は高校に進学して生徒会でバリバリ頑張っているから、不登校の人の役に立ちたい」という人もいるし、「普段はまったく外に出られないけれど、それなら外に出てみたい」という人までいろんなタイプの人がいます。
それから、会ってみたい人を挙げてもらう時点では「なぜ会いたいのか」は問いません。取材できることになったときに、あらためて真剣に考える。ロジックを立てて言葉にするのは、仕事を始めてからでいいのではないかなと僕は思っています。
それに、私の心の中には明確な企画趣旨があるんですよね。「その人に会えるとしたら、その人に会える日まで生きています」という。そこに血判を押してもらって、それで企画書はGOです。
―― 取材といっても、一般的な取材とは性質が大きく異なりますね。
石井: そうですね。不登校の人の自己実現をしたいとか、取材対象の方の考えが素晴らしいからもっと世間に広めたいとか、そういうところは本質ではないです。
彼らと約束していることは大きく2つあって、一つは自分の体験を書くこと。それからもう一つは、自分の経験をベースに質問をすること。今自分が悩んでいることを全身全霊でぶつけるので、ウエイトの乗り方がまるで違いますね。
だから、その取材でたいていの人が不登校新聞を卒業していっちゃいます(笑)。
―― そうなんですね。
石井: やっぱり、誰かと真剣に話して自分に向き合うと、どうしても次の道へ進みたくなるんだと思います。毎回いるのは僕だけです(笑)。
―― 当事者としての経験と、不登校新聞に携わってきた18年間をあらためて振り返ってみて、子どもたちや社会に変化はありますか?
石井: 実は20年前と比べると、不登校の子どもの割合って1.5倍に増えているんです。昨年度発表された調査結果なんですが、少子化が進む一方で、不登校の子どもの割合が過去最大を記録したと。これを「問題を抱える子どもが増えた」というふうに見ることもできますが、実際のところは「死ではなく不登校を選ぶ子どもが増えた」のではないかと思っています。不登校自体の認知が高まって、「学校か、死か」ではない選択肢を選べるようになったということですね。私が10代の頃は、親から「学校へ行けないなら一緒に死のう」と言われたり、思いつめて親が宗教にのめり込んだりするという話もよく聞きましたから。
それから、昨年度の記録に破られましたが、それまでは2002~2003年頃が不登校件数のピークでした。このときは「とにかく学校へ行かせなければ」という方向に取り組みが加熱して、保健室登校が開放されていきました。結果的に不登校の件数は減りましたが、「学校へ行くこと」を前提とした圧力には疑問を持ちましたね。
また「スクールカースト」といわれるように、この20年でいじめが構造化して、それから学校自体もなんだか窮屈な場所になっているなと思います。「ブラック校則」なんていいますけど、校則を調べてみて、子どもたちが本当に事細かく管理されているのを知りました。
―― 一方で、変わっていないことは。
石井: 変わっていないのは、不登校になったときの本人の心境ですね。つい先日一緒に取材に行った不登校中の子も、やっぱり学校へ行けない自分に絶望していて、「生きている理由がわからない」「死んじゃったほうがだいぶ楽なんじゃないか」と言っていました。
―― ずっと疑問だったんですが、なぜ学校へ行かないことだけわざわざ「不登校」って呼ぶんでしょうね。アルバイトや会社は、合わなければ辞めてほかを探すのが当たり前だし、休暇を取るという選択肢もありますよね。
石井: ほんとそうです、まさにそこが変なんですよ。「学校に通うこと」を一番重視して、「学ぶこと」が二の次になってしまっているんです。今って、動画配信やアプリでも勉強できるじゃないですか。学ぶことが最重要であれば、学校の授業で習うことを前もって勉強しておけば、その日は休んでもいいはずなんです。でも、それもダメ。明治時代中期から続く軍国教育の流れで、これは日本の教育の歪みだと思います。
―― 私、子ども時代からあんまりはつらつとした性格じゃなかったせいか、「子どもは元気がデフォルト」みたいなことを言う大人をちょっと警戒していたんですよね。大人同士だったら「お互いいろいろあって大変だよね」「きっと疲れてるんだよ、休みなよ」って言い合えるのに、大人と子どもだとそうならないのはなんでだろう、と。
石井: 教育や学校というのはそもそも、平たくいうと「子どもを将来的に幸せにする機関」です。それなのに、学校へ行くことで幸せになっていない子どもに「学校へ行け」というのは、手段と目的が入れ替わってしまっているとしか思えませんね。「学校へ行かなければ一人前になれない」という考えを持っているとしたら、それはその人が無知なんだと思います。
それから不登校って、確かにそのときは終わりが見えないけれど、実際は一生ものじゃないんですよ。「一度不登校になったら一生不登校」「学校へ行く人は毎日学校へ行く」という極端なイメージを持っている人には、「本当は皆もっと蛇行している」ということを知ってもらいたいです。きちんと知れば、そんなに目くじら立てるようなこともなくなると思うんですが……。
―― 石井さんは親御さんと話をされることも多いと思いますが、親御さんはどんなことで悩んでいますか?
石井: 子どもが不登校でない方は、皆さん「どこからが本当のSOSなのか」を知りたがりますね。あとは実際問題として、学校へ行きたくないと言われても、家で一人にしておくわけにいかないから保護者として困るという声もあります。
それから、子どもが学校へ行きたがらない親御さんは、数日したら学校へ行くと思っていたのが、1週間続いた頃に不安を感じ始めるようです。
―― それに対しては、どうアドバイスされるんでしょう。
石井: 私としては、学校へ行かなくなって2週間くらい経った頃から情報を集め始めればいいと思っています。学童とか教育支援センターとか、無理に学校に義理立てする必要はないので、子どもをどうやって支えていくか相談できる相手を探してくださいね、と。
「行きたくないなら行かなくていいよ」と言える親は少ないし、一方で、もちろん不登校をそのままにしていていいというわけでもありません。
データとしては、小・中学校と不登校で、通信制高校へ通うのが一番多いそうです。進路を決めるのが中学3年生の6月頃なので、今後どうするか聞くのは6月頃でいい。たとえば今小学3年生で不登校なんだとしたら、6年待てばいいということになるんですけど、そのあたりのことを知らないので焦ってしまうというケースは多いですね。
―― 不登校のことをよく知らないまま焦りばかり募って、追い詰められてしまうということですね。
石井: それから、認識のズレによって親子間で対立が生まれてしまうというのも一つあるんですが、そういう意味では、子どもと親の認識は最初からズレてるんですよね。子ども自身にとっては、学校へ行かなくなるよりも前に問題があって、「行きたくない」という意思表示は限界のSOSなんです。このSOSを受け止めてもらえるかというのが一番の大勝負で、受け入れられるとホッと休戦状態に入る。でも親からすると、子どもが本気を出してからがスタートなんですよね。だから親子で意識が乖離していく。
そうなったらもう、ぶつからざるをえないんですね。対立していくなかで、関係が再構築されていくという話はとてもよく聞きます。
―― 石井さん自身もそうでしたか?
石井: そうですね。僕が不登校になった理由の一つに「中学受験の失敗」があるんですが、少し遡って小学5年生の夏、僕、勉強せずに遊んでいたんですよ。小学生の男子が1日中家にいるなんて、今考えたらまあ邪魔だよなあと思うんですが、母親が「あんた塾にでも行ったらどうなの」って言ったんです。その塾で言われたことが、中学受験に失敗して公立の中学へ進学したあと、自分を追い詰めることになるんですけど……。 で、塾に行くのか行かないのか聞かれたわけですが、母親はカンカンに怒ってるし、選択肢なんてYESを選ぶしかないじゃないですか。それと同じようなことです。
―― 塾へ行きたかったから通っていたわけじゃない。
石井: そうです。親としては子どもの幸せを願って「勉強しなさい」と言っていて、一方の子どもは親の期待に応えたかっただけとか。ほかにも、「あなたが行きたいと言ってその学校に進学したはずなのに、どうして行きたくないなんて言うの」とか。
樹木希林さんと内田也哉子さんもそうですけど、親の言いたいことってだいたい伝わらないんです。樹木さんは也哉子さんに、進学についても通学についても「世間の常識なんて関係ない。あなたが決めればいい」と言うんですけど、也哉子さんは「世間の常識はどっちだろう」と考えて自分で判断を下していったわけでしょう。だから親は、「自分には安全確保くらいしかできないんだ」って思っていたほうがいいと思います。
―― ちなみに石井さん、不登校や当事者の気持ちを理解したいときにおすすめの本ってあるでしょうか。
石井: 不登校における金字塔が2冊あります。一つは、フランツ・カフカの『変身』。これは10代のときに出会った本です。不登校になって初めて、当事者たちの間で「あれって引きこもりの話だよね」という話が広がっていることに気づいたんですけれど、読んでみると確かに、まさに当事者の心境が描かれているなと。急に体が動かなくなって、周囲からは批判される。引きこもりとか、うつにも通じると思います。「こんなに昔の本なのに、現代にも通じる、まさに不登校の実情を内側から見てきたような物語があるんだ」と、読んだときにすごく驚きました。
もう一つは、辻村深月さんの『かがみの孤城』です。『変身』よりももう少しわかりやすく、親しみやすい物語として描かれているのでおすすめです。不登校についてはいろんなガイドブックがありますけど、これ一冊で「学校へ行きたくないってどういうこと?」と考えるのに足る内容です。
それから、今あらためて読書というものについて考えてみたとき、10代の頃は楽しくいろんな本を読んでいたけれど、今は仕事として読むことが多くなったなと感じます。だから、そのときと比べると「感動する」というのが少なくなってしまった。いろんなことに心を動かされる、動かすことのできる時期というのは本当に貴重です。お金では買えないものだなと思います。
―― このたびはお話ありがとうございました。『9月1日 母からのバトン』が刊行されたことで、樹木希林さんから也哉子さんが受け取ったバトンが、次もまたたくさんの人に受け取られるといいなと思います。
石井: そうですね。実は、あるときはたと気づいたんですけど、実は樹木希林さんに最初に「9月1日のバトン」を渡したのって僕なんです。「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」の開催直前に、内閣府調査のことをお伝えしたのが僕なので。樹木希林さん、内田也哉子さん、そして読者の皆さんへとバトンが渡っていくリレーに参加できたことは、僕の誇りです。