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  • 樹木希林が最期まで気にかけていた「9月1日」と、娘・内田也哉子の思い

    2019年08月28日
    知る・学ぶ
    日販 ほんのひきだし編集部 浅野
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    1年のなかでも、子どもの自殺が特に多いといわれる「9月1日」。このたび樹木希林さんと、娘・内田也哉子さんによる共著『9月1日 母からのバトン』がポプラ社より刊行されました。

    樹木希林さん・内田也哉子さんの共著が出版されるのは、これが初めて。今回は、本書出版のきっかけを作った「不登校新聞」編集長の石井志昂さんと、編集を担当した天野潤平さんにお話を伺いました。

    9月1日
    著者:樹木希林 内田也哉子
    発売日:2019年08月
    発行所:ポプラ社
    価格:1,650円(税込)
    ISBNコード:9784591163603

     

    樹木希林さんと「9月1日」

    ―― まずは『9月1日 母からのバトン』というタイトルにある、「9月1日」という日のことについて教えてください。

    石井: 内閣府が2015年に発表した「自殺対策白書」のなかで、データとして「9月1日に突出して子どもの自殺が多い」という調査結果が明らかになりました。9月1日というのは、夏休み明けの初日です。実はそれ以前から、この9月1日のことは、不登校に関わっている人たちにとっては非常に有名な話でした。もちろん、数字ではっきり示されていたわけではないですけどね。
    つまり、発表される何年も前から、9月1日付近に子どもが命を絶つ、不登校になるというのは続いていたわけです。たとえば1997年に起きた中学生の焼身自殺、それから体育館放火事件は、とりわけショッキングな出来事でした。放火して逮捕された少年たちは、「焼けてなくなれば、学校へ行かなくてすむと思った」と話しています。
    このことなどを契機に、当時不登校の子を持つ親やフリースクールの関係者らが「“学校か死か”ではない、何かほかの道を提示したい」ということで創刊したのが「不登校新聞」です。創刊は事件の翌年、1998年。その後僕も当事者の一人として関わるようになって、もう18年になります。

    ―― この「9月1日」のことを、樹木希林さんも非常に気にかけていらっしゃった。そのことが、今回『9月1日 母からのバトン』が生まれるきっかけになったそうですね。

    天野: 『9月1日 母からのバトン』は2部構成で、第1部として「樹木希林が語ったこと」、第2部として「内田也哉子が考えたこと」が収録されています。第1部には、「全国不登校新聞社」が2014年に行なった樹木希林さんへの単独取材の内容と、2015年に山口で開催された「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」でのトークセッションの内容を収めています。先ほどの「自殺対策白書」が公表されたのは2015年なので、単独取材のときには「9月1日」のことは樹木希林さんもご存じではなかったそうです。

    石井: 2015年のトークセッションは、そのときに取材したご縁もあって、「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」さんが樹木希林さんに依頼して実現したものです。イベントが8月22日で、内閣府からの発表は6月でした。それで、私が当日、そのデータを樹木さんにお見せして「こういうことについて質問したいです」とお話ししたんです。樹木さんはそのとき調査内容を見て「へぇ……」と一言おっしゃっただけでしたが、その後のトークで、全国の当事者たちへ向けたメッセージをくださいました。でもまさか、亡くなる直前までそのときのことを覚えていて、しかも心を砕かれていたなんて、『9月1日 母からのバトン』の話が始まるまで知らなかったんです。驚きました。
    也哉子さんは、樹木希林さんご自身にとって「死」がどんどん現実的なものになっていったとき、死と向き合うなかで「自殺」に対する思いや考えが深まっていったのではないかとおっしゃっていました。若くして命を落とすことがあまりにももったいなく、心が痛むことだったのだろうなと。

     

    娘・内田也哉子さんからの“逆提案”

    ―― これは編集者の天野さんにお聞きしたいんですが、『9月1日 母からのバトン』はどのような経緯で出版されることになったんでしょう?

    天野: もともとは、第一部の内容だけ、つまり樹木さんの単著としての企画を考えていました。樹木さんが亡くなる一か月ほど前に、『学校に行きたくない君へ』という本を出したのですが、石井さんから「実は2015年のトークイベントの音声素材が残っているので、これをプロモーションに使えないだろうか」とご提案いただいていたんですね。それを聞いてみたら、素晴らしい内容だったので、むしろ「本として残しておきたい」と考えるようになったんです。せっかくなら『不登校新聞』のインタビューも、より本来の音声に近い形で編集して、合体させようと。それで内田さんにお手紙を書き、「本にさせてください」と提案しました。

    学校に行きたくない君へ
    著者:全国不登校新聞社
    発売日:2018年08月
    発行所:ポプラ社
    価格:1,540円(税込)
    ISBNコード:9784591159668

    ―― つまり、当初は第1部の内容だけで書籍化しようとしていたのですね。それが、娘である内田也哉子さんがいろいろな方と対話する第2部も加わることになった。それはなぜですか?

    天野: お手紙を書いてからしばらくして、会社に電話がかかってきたんです。「内田也哉子ですけど」って。

    ―― 樹木希林さんみたいですね(笑)。

    天野: 石井さんが樹木さんに取材の依頼をしたときも、同じように急に電話がきたみたいですね(笑)。 ただ、電話口で内田さんがおっしゃったのは、「毎日のように母に関するお話が来るのですが、私の中ではまだ心の整理がついていないんです。それに生前、母は本を一冊も出さなかったですから、今のような状況がほんとうに母の意に沿っているのかもわからない」ということでした。そのお気持ちはよく理解できましたし、「ああ、これはお断りかな……」と思いました。
    でも、そこからさらに語ってくれたんです。「ただ、実は亡くなる前に、母が病室の窓に向かって『死なないで』とつぶやいたのがとても心に残っているんです。それがまさに『9月1日』で、母は、何も知らなかった私に、この日に子どもたちの自殺が増えることを教えてくれました。私はその現実を知らなかったことを悔しいと思ったし、3児の母としても、不登校や学校というテーマには無関心ではいられなかった。何より、私自身ももう一度母の思いについて考えたいから、その答えを探す過程まで含めて本にできませんか? それなら協力したいです」と逆提案をいただいたんです。本当に思いがけないご提案でした。

    ―― なるほど。それで、樹木希林さんと内田也哉子さんの共著になったんですね。

     

    「できるだけ希林さんの語り口そのままを」 見えてきた意外な一面

    ―― 続いて『学校に行きたくない君へ』『9月1日 母からのバトン』に収録されている、不登校新聞の単独取材についてお聞きしたいです。

    石井: 19歳から18年間不登校新聞に携わってきたなかで、樹木希林さんへの取材がやっぱり一番印象深いです。『9月1日 母からのバトン』の出版にあたっては、『学校に行きたくない君へ』に収録されている僕がまとめた取材内容を、天野さんがもう一度あらためてテープ起こしして、再編集してくれました。

    ―― 『9月1日 母からのバトン』は、樹木希林さんの言葉がより“生っぽいな”と感じました。

    天野: 樹木希林さんって、メディアで報道されている内容や書籍からすると、どちらかというと「はっきりものを言い切る方」という印象を受けるんじゃないかなと思います。そういう編集をされた本も実際にヒットしましたし。でも、音声を実際に聞いてみると、実はそうとも言えなかった。相手の言葉を真摯に受けとめ、考え、応答している。ときに言いよどむこともあった。なので『9月1日 母からのバトン』では、樹木さんの言葉のエッセンスを切り取るのではなく、できるだけ当時の語り口を忠実に再現するようにつとめました。
    不登校新聞のインタビューでは、不登校の当事者たちが樹木さんに直接質問していますし、トークセッションのほうでは、一般の方と樹木さんがやりとりされている。そういう意味でも資料的な価値があると思い、ありのままをできるだけ全部おさめました。そこが、第一部の一番の読みどころだと思います。

    ―― 読んでみると、ときおり言葉を詰まらせている場面があるんですよね。

    天野: そうなんです。あらゆることに“自分の答え”をはっきり持っていらっしゃるイメージがあるかもしれませんが、実際は「なんとも返事できない、そんなの……」と言いよどんだりしながら、本当に誠実に答えていらっしゃるんですよね。そういう一面もあったんだと、文字に起こしながら感動してしまいました。

     

    内田也哉子さんによる4名との「対話」

    ―― 第2部には、内田也哉子さんと4名の方との対話が収録されています。ここでのトップバッターが、樹木希林さんも取材された不登校新聞の石井編集長です。

    天野: 対話のお相手は最初から4名に決まっていたわけではなくて、内田さんと僕とで相談しながら決めていきました。とはいえ、「不登校や学校教育について何が起きているのかを学び、もう一度母の思いについて考えたい」というのがおおもとにあったので、まずは不登校の歴史や現状について知っていただく必要があったんですね。であれば、石井さんが適役だろうと思い、ここだけは僕から提案しました。石井さんは樹木さんにインタビューしたご本人でもあったから、そういう意味でも出発点として外せないと思いました。
    それで、最初の対話が終わったあとに、内田さんから「次は、実際の不登校の当事者か経験のある若い方とお話ししてみたい」とその場でご相談をいただいて、石井さんにEさんを紹介していただいたんです。また、「最後に話すのは、これまでの話を社会的に位置づけられるよう、俯瞰的に話せる人がいいと思います」「であれば、以前『不登校新聞』にも出たことのあるキャンベルさんなんかどうでしょう」というふうに、一つひとつ、現場で決まっていきました。セラピストの志村季世恵さんに関しては、ご本人の強い希望もありましたね。

    対話1 石井志昴さん(「不登校新聞」編集長)
    対話2 Eさん(20歳女性・不登校経験者)
    対話3 志村季世恵さん(バースセラピスト)
    対話4 ロバート・キャンベルさん(日本文学研究者)

    ―― 志村さんは、もともと家族ぐるみでお付き合いがあって、樹木希林さんの最期に寄り添った方。それから不登校の経験者であり、“不登校の子どもの親”でもありますね。

    天野: 今になってみると、信頼がおけて、かつ話しやすい人がいたことが、構成上、重要だったと思います。実際、石井さんやEさんと話し終えたとき、内田さんの中には膨大な情報と感情が渦巻いていたはずなんですよ。それを志村さんというある種「友人」のような存在にシェアできたことは、ご本人がそれらを整理する上で必要だったんじゃないかな、と。「こんなこと聞いちゃったけど、私、どうしよう」って感じで。そこでうまく整理できたからこそ、次のキャンベルさんのときに、より大きな視点につなげられたんだと思います。

    石井: 原稿をチェックするときに、僕、Eさん、志村さん、キャンベルさん……と読み進めるにつれ、内田さんの視点が変化していくのがすごく印象的でした。僕との対話は「樹木希林さんの娘」として、Eさんとの対話は「一人の母親」として、志村さんは「友人」として、キャンベルさんとの対話は「9月1日を社会的にどう位置づけるか」という、一人の文化人として話されていますよね。実際に人間というのは、親であり子であり、社会の一員であり……というふうに非常に多面的です。一般的に「母親は大変だ」といわれるのも、この多面性があるからだなと思いました。

    ―― 石井さんが実際に内田也哉子さんと対話されたときは、どんな印象を持ちましたか?

    石井: まずは、樹木希林さんと声が本当に似ていらっしゃるなと思いました。でもはっきり違ったのは、也哉子さんの場合は「常識」や「世間体」という意識を強く持っているということです。樹木さんはインタビューで「世間的な価値観とズレていたから、自分は楽だった」とおっしゃいましたが、也哉子さんは母や父の姿を見て「自分はまともにしなきゃ」と考えていた。也哉子さんが子どもの頃に「学校へ行きたくない」と思ったときも、樹木さんは「嫌だったら行かなくていいんだよ」と言うんだけど、也哉子さんは「いや、ちょっと待てよ。それって世間的にどうなんだ?」と考えて、学校へ行くほうを選ぶわけです。
    お二人とも芯があって、自分で結論を決めるという点は一緒なんですけど、スタンスが対照的だなと思いました。

    後編へ続く




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