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1.何を「カッコいい」と見なすかの規準は、「しびれる」という自らの“体感”にもとづいている。ゆえに何をもって「カッコいい」とするかは人それぞれである。
2.「カッコいい」は外見だけでなく内面にも関わる価値観であり、だからこそ「カッコ悪い」と思われることを私たちは恐れる。
3.「カッコいい」という価値観は一見すると個人主義的かつ民主主義的だが、国家権力や宗教に悪用される危険性もはらんでいる。
4.「カッコいい」について考えることは、そのまま自らの「生き方」を考えるということだ。
私たちは「カッコいい」という言葉を日常的に使っている。だがあまりにも日常的に使っているせいで、その言葉がどのように生まれ、どう用いられているのか、私たちにどう影響を及ぼしているのかは、ほとんど考察されてこなかった。これは「美」という概念が学術的に考察されてきたのと対照的である。「カッコいい」という概念は、その使用頻度の多さにもかかわらず、ほとんど軽んじられてきたといってもいいだろう。
とはいえ多用されている言葉だからこそ、その歴史的背景や社会的影響力を考察することには大きな意味がある。本書の狙いもまさしくそこだ。著者は小説家の平野啓一郎氏。平野氏曰く、このテーマは小説を除くと、ここ10年間でもっとも書きたかったことだったという。
なぜいま改めて「カッコいい」の考察を?と訝しむ方もいるかもしれないが、けっして侮るなかれ。本書を読み進めていくうちに、これは現代人の価値観そのものに関わる大きなテーマだと気づくはずである。「カッコいい」について考えることは、つまるところ自らの「生き方」を考えることなのだから。
私たちの「カッコいい」像はこれからも更新されていく。そのとき私たちはどのように現在の「カッコいい」と向き合い、未来の「カッコいい」を紡いでいくのか。自らの人生観を整理し再考するうえで、大きなヒントを授けてくれる一冊である。