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歴史小説に確率論を導入する新しい切り口で明智光秀の人生を描き、累計10万部を超えるヒットとなった『光秀の定理』。
その作者・垣根涼介さんが最新作で取り上げたのは、「本能寺の変」で明智光秀に討たれた織田信長。『信長の原理』は、経済学者・パレートが唱えた「パレートの法則」を使い、その人生を解き明かす意欲作です。
マーケティングでも用いられる法則を用い、信長の内面に迫る本作は、第160回直木三十五賞の候補にも選ばれています。歴史上あまりにも有名な武将を、斬新な発想で描く歴史小説は、どのように生まれたのでしょうか。
――本書『信長の原理』(KADOKAWA)は垣根さんにとって、2016年に発表されて直木賞候補になった『室町無頼』(新潮社)以来の新作です。今回、題材に選ばれた織田信長ほど、歴史小説の世界で描き尽くされた人物もいないでしょう。なぜ、あえて信長に挑もうと思われたのですか。
僕がはじめて歴史小説を描いたのが、2013年の『光秀の定理』(角川文庫)です。その執筆中、(明智)光秀に関する史料を読むうちから、「信長を避けては通れないな」と感じていました。
信長と光秀にはある共通点がある。それは、彼らをテーマとした歴史作品のほとんどが「唯物史観的」に描かれていることです。僕はそこに疑問を投げかけたかった。
――唯物史観とは、マルクスが19世紀に唱えた歴史観ですね。封建主義から資本主義、そして最後は共産主義へと社会が一直線に発展していく見方です。
社会はそれほど単純に、また合理的に変化していくものでしょうか。中世における貨幣経済の流れを見ても、室町時代には納税額を銭貨で表す貫高制が発達していましたが、応仁の乱後には米で表す石高制に戻りました。
信長は再び貫高制を布こうしましたが、江戸時代に入って家康は石高制を採用した。経済学的には貫高制のほうが合理的といえるでしょう。にもかかわらず、貨幣経済はむしろ前進と後退を繰り返したのです。
これは社会に限った話ではなく、個人のレベルでも当てはまります。僕自身、なぜ作家の道に進んだか。そう問われれば、いちおう理屈をつけることはできる。ただ、幼いころからのすべての行動を作家になることに紐づけるのは無理です。
信長だってそうでしょう。はたして「うつけ」と呼ばれた若い時分から、天下統一を狙っていたのか。当時の尾張は動乱の最中で、織田一族内の諍いをどう収めるか、今川家の脅威にどう立ち向かうかに必死だったことを考えれば、それは考えにくいですね。
――じつは尾張時代から信長が天下をめざしていたことを裏付ける史料は見つかっていないそうですね。
だからこそ本作では、信長が各局面で何をめざして、どう行動したのかという「内面」を丹念に描いたつもりです。
これは信長のすべての行動を天下統一という目的に繋げる唯物史観的考えとは、おそらく異なるアプローチです。そして信長の内面を描くにあたり、1つの「仕掛け」として用いたのがパレートの法則です。
――経済学者・パレートが提唱した、「全体の2割の高所得者が、社会全体の所得の8割を占める」という理論ですね。マーケティング論や組織論でも、「物事を構成する主要素が全体に占める割合には偏りがある」という文脈で用いられます。
パレートの法則の亜種とされる「働き蟻の法則」では、働き蟻のうち真面目に働くのは2割に過ぎず、6割は漫然と働くのみ、残りの2割は怠けるという。どれだけ優秀な人材を集めたとしても、組織のために懸命に働くのは結局、2割に過ぎないということです。
この「原理」に信長が気付いて、家中をどう差配するかに脳漿を絞る、という筋書きはもちろん創作です。ただ、真面目に働くのは少数という現象自体は大昔から存在していたはずで、信長が似たようなことを考えたとしても不思議ではありません。
――たしかに信長のような「天才」ならば、無意識のうちに人間の行動を縛る原理に気付いていたかもしれませんね。
いえ、僕は信長のことを天才とは思っていません。もし彼が本物の天才ならば、部下に裏切られて非業の死を遂げることもないでしょうしね(笑)。
むしろ物事の原理と組織構造の効率を愚直に、そして執拗に追及した男。それが僕の頭のなかにある信長像です。
そもそも最近、天才という言葉が安易に使われ過ぎでしょう。イチロー(シアトル・マリナーズ会長付特別補佐)はインタビューで「天才ですね」と水を向けられるとすごく嫌な顔をします。
絶え間ない努力や周到な準備の積み重ねで現在があるのであり、それを「天才」というひと言で片付けられるのは面白くないのかもしれません。イチローを安易な偶像に仕立て上げ、内面を掘り下げようとしないマスメディアもどうかと感じます。
信長も、ある1つの事象に対して執拗に考えられたからこそ、一定の成功を収めることができたのだと思います。織田という同族同士の土地に生まれ、いかに生き残っていくか考え続けざるをえなかった。それが結果的にイノベーションを生んだのではないか。
――信長は閃きで時運を切り拓いた人物として語られがちですが、そうではないと。
史料にも残るように、あれだけ部下に苛烈に接したのは、他人に対してもある意味で期待値が高かったからでしょう。
「リーダーである自分がここまで考えているのに、お前らはなぜ、こんなにも薄ぼんやりしているのだ」というのが、信長の偽らざる想いだったのではないでしょうか。
※本記事は、PHP研究所発行の雑誌「Voice」2019年1月号(12月10日(月)発売)に掲載されたインタビュー「著者に聞く 垣根涼介氏の『信長の原理』」を一部抜粋したものです。全文は同誌1月号をご覧ください。
(写真:ホンゴユウジ)
垣根涼介(作家)
1966年、長崎県生まれ。2000年に『午前三時のルースター』(文春文庫)でデビューし、第十七回サントリーミステリー大賞読者賞受賞。『ワイルド・ソウル』(幻冬舎、のち新潮文庫)で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の三冠に輝く。『君たちに明日はない』(新潮文庫)で山本周五郎賞を受賞。そのほか、『光秀の定理』(角川書店)、『室町無頼』(新潮社)などの歴史小説がある。