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「ここは、地獄か?」
そんな刺激的なコピーが帯に書かれたルポルタージュ『ルポ川崎』が大きな注目を集め、発売から半年以上経ったいまも版を重ねています。
著者はフリーライターの磯部涼さん。ラッパーやヘイト・スピーチと戦う活動家、ストリートの不良少年などを取材し、川崎の過酷な現実を描きだしています。
中1男子生徒殺害事件、簡易宿泊所火災、老人ホームでの連続転落死といった凄惨な出来事が川崎で近年立て続けに発生した背景には、一体何があるのでしょうか? 執筆の経緯や川崎の今について話を伺いました。
――ノンフィクションというジャンルにとっては「冬の時代」ともいわれるなか、昨年(2017年)12月に上梓された『ルポ川崎』(CYZO)が大きな反響を呼んでいます(7刷、9月10日時点)。これまで音楽をメインのフィールドとして活動されてきた磯部さんですが、なぜ川崎(神奈川県)という町を舞台にルポを執筆しようと考えたのでしょうか。
始めは担当編集者といまの不良少年の生き様に迫ろうと話していたんです。「AERA」(週刊誌)の人物ノンフィクション「現代の肖像」の、不良少年版のようなイメージです。
ただ、それだけだと企画としては漠然としすぎている。何かしらの「縛り」が必要だな、と。そのほうが、テーマが深化すると考えていました。
そこで頭に浮かんだのが川崎という土地でした。理由は大きく2つあって、1つが2012年から行なわれている「高校生RAP選手権」です。
回を追うごとにメジャーになった人気イベントですが、初期の参加者には学校にも通っていない不良が少なくなかった。とくに目立っていたのが川崎の少年たちでした。
本書で紹介しているラップグループ「BAD HOP」はまさにその象徴的な例で、いまや若者のカリスマとして日本武道館でのライブも決まっています。
――貧困からのし上がった世界的白人ラッパー、エミネムの半自伝的映画「8 Mile」の世界そのものですね。
私も同選手権で「BAD HOP」に衝撃を受け、取材を開始したのですが、幼いころから親の借金に苦しみ、暴力が蔓延る環境で育つなか、彼らはラップという表現手段を見つけて這い上がった。
そのリリック(ラップの歌詞)の舞台こそ川崎であり、われわれが知る日常とは異次元の世界があることを知った。「彼らを生んだのはどんな場所なんだろう」と興味を抱きました。
もう1つの理由が、2015年2月に川崎の多摩川河川敷で起きた中1男子生徒殺害事件です。加害者グループにはハーフの少年がいましたが、彼らが起こした凄惨な事件の背景として、複雑な家庭環境を挙げる人もいました。
同年5月には川崎駅近くの日進町というドヤ街で火災が起きています。火の回りが早かった原因として、生活保護受給者を1人でも多く収容するために行なっていた違法建築の常態化が指摘されました。
そこで自分の足で川崎を歩き、その実態を確かめたいと考えたんです。一般には語られることのない現代日本が抱える問題や、世間的にタブー視されている闇が見えてくるのではないか。そんな思いがあって、自宅のある世田谷(東京都)から川崎へ通うようになりました。
――本書では磯部さんが専門としてきた音楽の歌詞や作品の背景が軸となっていますね。それが独特のリズムを生んで、ページを捲る手が止まらなくなりました。
意識したわけではないんです。ただ、取材を進めるなかであらためて文化の力を実感しました。ヒップホップは若者には絶大な人気の文化で、「BAD HOP」のようになりたいと思っている子どもたちが、川崎には数えきれないほどいる。
若い子が抱きがちな夢といってしまえば、それまでなんですけれど、一時でも将来の目標をもつことができたという事実はやはり重い。音楽に限らず、文化は彼らの逃げ道やストレスの発散、さらに救いになっているのです。
――ラップというと「不良の音楽」であり、それだけで嫌悪する大人も多いと思いますが、なんでも決め付けはよくありませんね。
実際にラップのもつ悪いイメージに吸い寄せられて、問題を起こしてしまう子どももいます。文化に過剰な期待をもちすぎてはいけません。ただ、ラップに支えられて、なんとか明日を生き延びる糧を得ている子どもも多いという事実を知ってもらえたらと思います。
※本記事は、PHP研究所発行の雑誌「Voice」2018年11月号(10月10日(水)発売)に掲載されたインタビュー「著者に聞く 磯部涼氏の『ルポ川崎』」を一部抜粋したものです。全文は同誌11月号をご覧ください。
磯部涼(フリーランスライター)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽やそれらと社会との関わりについて執筆。著書に『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)、『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、共著に『遊びつかれた朝に』(九龍ジョー氏との共著、Pヴァイン)、『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、吉田雅史氏との共著、毎日新聞出版)。編著に『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(ともに河出書房新社)などがある。