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1.人は、写真のように場面の一部分だけを切り取って記憶するクセがある。誤ってネガティブな場面を心に焼きつけてしまったら、別の角度から撮った被写体と交換すればいい。
2.自分のことをわかってもらうよりよい方法は、自分が相手のよき理解者になることである。
3.みんなに好かれたいと思っている人は、人をガッカリさせることを恐れるよりも、人の評価が気になって仕方がない自分にガッカリするべきだ。
「気にしている人に、気にするなと言うのは酷な話」――本書の冒頭の一節だ。
まさにその通りである。要約者自身、人一倍さまざまなことが気になってしまう性格であり、よくわかる。「気にする必要はない」「気にしても仕方がない」と、周りから何度言われただろう。気にしていても何も解決しない。それはわかっているが、性格の問題だからどうにもならない。そう思ってきた。
本書の著者は、密蔵院住職の名取芳彦氏である。著者は、気にしてしまうことは必ずしも悪いわけではないという。自分のため、他人のために気にしたほうがいいこともたくさんあるというのだ。一方で、気にしてはいけないのが、自分がみじめになるようなネガティブなことである。しかし、人はそういう記憶に限って心に焼きつけてしまうものだ。
本書は、仏教をベースに、かつてはいろいろなことを気にしていた著者自身の経験や、出会った人たちの具体例をあげて、「気にしてしまう」状況に置かれたときの向き合い方を紹介している。それにより、自らを「気にする」呪縛から解放することができるのだ。
勘違いしてはいけないのは、気にする人が必ずしも繊細なわけではないということだ。欲張りであるがゆえに気にしてしまうことも少なくない。本書を読むと、なかなか気がつくことができない自分の本音と向き合える。まずはその欲を手放し、心おだやかに生きる道を探ってみたいと思う。