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学生時代勉強したのに、すっかり忘れている日本史を漫画で復習できるなら……と読み始めたのですが、よくある学習漫画本とは大きく違っていました !!
教科書には載っていない、人間くさい裏話が多く、「リアルな歴史」がいっぱいだったからです。
今まで勉強してきたものが、いかに試験用に覚えたぶつ切りの歴史だったかを思い知らされました。
私の認識が大きく覆(くつがえ)されたのは、南北朝時代の後醍醐天皇。
鎌倉時代と室町時代の間に57年間続いた南北朝時代は、今ひとつパッとしない時代だなぁと、ずっと思っていました。
知っている事といえば、南朝は奈良・吉野の後醍醐天皇、北朝は京都の足利尊氏。あとは何をした人なのか、どういう制度なのかもよくわからないまま、楠木正成(まさしげ)、新田義貞、「建武の新政」を必死に覚えたぐらいです。
実は昔、後醍醐天皇が南朝と定めた吉水(よしみず)神社を訪れた事があるのですが、皇居と呼ぶにはあまりにも狭く質素で驚きました。
今でこそ、世界最古の書院建築で有名な世界遺産ですが、京都御所と比べると民家に毛が生えた程度にしか見えず、吉野駅から40分ほど歩く山奥なので周りには山しかありません。
「ここが南朝です」と言われた後醍醐天皇は、王政復古が現実となる日が来ることを本当に信じていたのだろうかと哀れみすら感じました。
ところが、これは私の勝手な思い違いだったのです。
後醍醐天皇は担ぎ上げられた天皇ではなく、2度も鎌倉幕府倒幕に失敗した、やる気満々の人だったのです。
「リーダーに求められる『人望』がまるきりなかった」という後醍醐天皇。
しかし、「この南朝こそ正統とする思想が江戸時代に台頭 倒幕運動の原動力」となったわけですから、歴史においては非常に重要な出来事だったということも、今回初めて知りました。
この本は、こうした大局で物事を見る重要性を教えてくれます。
もう一つ、そういう事だったのかぁと新たな発見があったのは、鎌倉幕府を開いた源頼朝。
この本の案内役であるホンゴウ先生が、頼朝が置かれていた立場と、鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が殺された理由をわかりやすく教えてくれます。
鶴岡八幡宮の階段で実朝が殺された話は有名すぎて、よくある政権争いぐらいにしか思っていませんでした。
また、頼朝が義経を殺した理由も、人気者の弟に嫉妬したからという世間に浸透している話を鵜呑みにしていたのですが、朝廷や東国武士という背景を考えると、なるほどなぁと思いました。
この話を裏付ける根拠として、頼朝は「京都とは距離を置き、2度しか行っていない」という話が、「解説」に書いてあります。
この本は漫画だけでなく、「解説」や「日本史こぼれ話」など読むページもあるので、より深く考えるきっかけを与えてくれます。
何度もドラマで取り上げられている戦国大名の話も、たくさん出てきます。
酒癖が悪く切腹を命じたことを忘れていた大名、死期が近づき一緒に死んでくれる家来を募ったら誰も応じなかった大名など、笑える話も一杯です。
その中でも、最も意外で面白かったのは織田信長です。
信長は残虐な人物として知られていますが、実はとんでもないユーモアの持ち主だったというのです。
誰かちゃんとツッ込んでくれる人はいたのかなぁ、でも下手にツッ込んだら殺されるかもしれないからツッ込めないなぁ。だからこそ信長は、そういう度胸のある人物を待っていたのかもしれない、など想像するだけでも楽しいです。
史実として残っているものをどう解釈するのか、日本史の本当の楽しみ方を教えてくれるのが、この本だと思いました。
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(レビュアー:黒田順子)
※本記事は、講談社BOOK倶楽部に2021年6月3日に掲載されたものです。
※この記事の内容は掲載当時のものです。