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何度も同じことを聞いてくる。家にいるのに「帰りたい」と言う。突然怒り出す――。認知症患者の一見不可解な行動は、介護者にとって過大なストレスです。でも一度立ち止まってその行動の理由がわかれば、少し心がラクになるかもしれません。
そんな、認知症の「なぜ?」をわかりやすく教えてくれるのが、漫画家のニコ・ニコルソンさんと、老年行動学の研究者である佐藤眞一さんによる『マンガ 認知症』(筑摩書房)です。累計発行部数6万8,000部と、そのメッセージは多くの介護当事者に届き、共感を呼んでいます。
介護経験者であるニコさんの切実な思いから生まれたという本書。その読みどころについて、編集を担当したちくま新書編集部の藤岡美玲さんと、筑摩書房営業部の兵庫貴宏さん、岩谷菜央さんに聞きました。
(左から)
筑摩書房 営業部 販売課 岩谷菜央さん
同 編集局 第二編集室 ちくま新書編集部 藤岡美玲さん
同 営業部 販売課 兵庫貴宏さん
――今回の共著は、どのような形で実現したのですか。
藤岡 私は以前いた出版社で、ニコさんが東日本大震災で実家を流された経験を描いた『ナガサレール イエタテール』を担当しています。その後、転職のごあいさつでニコさんにお会いしたとき、ニコさんが鞄から出されたのが、佐藤先生の『認知症―「不可解な行動」には理由(ワケ)がある』でした。
ニコさんがお母さんと一緒に、認知症のおばあさんを介護されていることは知っていました。ニコさんは「自宅介護がつらかったときにたくさんの本を読み漁った中で、この本で婆ル(ババル:おばあさんの愛称)の不可解な行動の理由がわかって心がラクになった。これを漫画で伝えたい」と仰って。
そこで、佐藤先生にコンタクトをとり、本書の企画が始まりました。認知症当事者の事例を数多く研究されている佐藤先生は、ニコさんのお家のことを一事例としても興味をお持ちになったようです。
制作にあたっては、まずニコさんが婆ルの介護を通じて直面した悩みを一覧にしてもらい、あわせて婆ルにはなかったけれども、認知症でよく直面する悩みもリストアップしてもらいました。そして、それらを佐藤先生に送り、なぜそのような行動が起きるのか、その理由を一つずつ教えていただき、具体的な悩みから認知症の全貌がわかるように漫画にしていきました。
――漫画で表現したことで、認知症がより理解しやすくなっていますね。
藤岡 漫画という表現は、心理を描くのにぴったりです。吹き出しを使い分けることで、実際に発言しているセリフと心の中で思っていることの違いを表せますし、モノローグで状況を説明することもできる。背景の色やトーンを変えて、過去の出来事を現在の視点から描くこともできる。特に女性向け漫画はそのような技法を使って心のすれ違いを描くことを発達させてきたのだと思いますが、認知症という「互いの心がわからなくなる」病気を描く上で、その技法がばっちり合いました。
ニコさんにとっては、認知症を佐藤先生の専門である心理学の視点から教えていただけたことが、心に響いたのかなと思います。認知症患者は「理解できない存在」になってしまったのではなく、その行動の理由を考えれば意味がわかると言ってもらえたので、ニコさんも得心された。
例えば、佐藤先生に「認知症の人が何回も同じことを聞くのはなぜですか?」と伺うと、「人が質問するのはどうしてかわかりますか?」と返されました。ニコさんと私が「わからなくて知りたいから」と答えると、佐藤先生は「認知症の人も同じ。わからないから聞くのです」と。認知症の人の心を知るとはこういうことかと、編集担当の私にとっても多くの気づきがありました。
――本書は実用書ではなく、ちくま新書レーベルからの刊行ですね。
藤岡 手前味噌ですが、学術・教養を扱う「ちくま新書」というレーベルで出版したことが、信頼性につながっていると思います。コミックエッセイとして出すと、監修の先生がついていたとしても、体験記として読まれる可能性が高かったからです。ちくま新書から刊行されることで、専門家の知見を伝えているというニュアンスを受け取ってもらえたのかもしれません。
書かれている知識は、ニコさんが「介護中にこういう本が読みたかった」というレベルにまでかみ砕いています。漫画のネーム(下書き)でも、私もニコさんも理解してから先に進めるようにしました。
特に第2章、第3章の記憶に関するところは苦労しました。仕組みを理解しないと図解ができないので、脳のどのような働きで記憶がされるのか、必死で勉強しました。佐藤先生に良いと言っていただける範囲で、ニコさんと私がともに理解できるところまで簡略化し、自信をもって伝えることができることだけを描いています。
――認知症という難しいテーマを読んでもらうための工夫はどのようにしましたか。
藤岡 婆ルは最初の記憶障害からどんどん症状が重くなり、排便もうまくできなくなります。やがて家族が介護の限界を迎えたときにどうすればよいか、と自然に考えてもらえるストーリーをつくりました。また、その問いに簡単に答えを出して、いわゆる“きれいごと”にしたくはありませんでした。
本書の後半で佐藤先生自身が、認知症の家族と暮らしていた過去に触れることもその一つです。佐藤先生も、家族介護が限界を迎えた時、どんなにつらいかよくご存知です。そんな人が自らの体験をもとに語るという形にすることで、解決策が読者にとって押しつけがましくならないようにしたかったのです。
執筆中、ニコさんがよく「介護中は、何か読んだり、アドバイスをもらったりしても『それができたらやってるよ』と思ってしまう」と仰っていて、そこは本当に気をつけていらしたと思います。
巻末には、ニコさんの提案で「行動から探す」索引を入れました。介護中に「なんでこんなことするの?」と思ったときに調べやすいようにという、介護経験から生まれたページです。また、ニコさんと佐藤先生が選んだ「おすすめの本」も紹介しています。佐藤先生は「認知症を知る」を、ニコさんは介護当事者の視点で「心をラクにする」をテーマに選んでいます。
――書籍化に先んじて、ニコさんのマンガは「Webちくま」で13回にわたり連載されました。読者からの反応はいかがでしたか。
藤岡 「自分の母が何を考えているのかを理解する助けになった」「自分も救われた」という声がありました。特に第6章と第7章でふれた見当識障害について、反響がありました。
見当識障害とは、過去と現在、未来の区別がつかなくなることです。今が何時か、何月何日なのかが認識できないところから、症状が進むと、目の前の人が誰なのかわからなくなります。この章ではそういった状態の認知症の方の不安を描いているため、感情移入しやすかったのかもしれません。
――刊行後にも、番外編が公開されています。
藤岡 刊行から数か月経ったころ、弊社の読者投稿フォームに「この本には答えがなかった」との投稿がありました。お母さんを介護している方からのもので、どうして母は「ありがとう」と言ってくれないのかという内容です。これを受けてニコさんが再び佐藤先生のもとを訪れ、「Webちくま」で番外編として配信しました。▲緊急配信となった「『マンガ 認知症』番外編」
――発売からすぐに重版されたそうですね。
兵庫 通常、ちくま新書は大型店や首都圏での売上が比較的多いのですが、この本は首都圏以外の書店さまからも多くの事前申し込みが来ました。その傾向は、今の売れ方にもつながっており、場所を選ばず全国の書店さまでご販売いただいています。
初版1万部からスタートし、発売数日後に7,000部の重版を決めました。徐々に拡大していった反響と着実な売れ方に合わせて重版を重ね、現在累計6万8,000部(11刷)まできました。
岩谷 購入層は60%が女性で、そのうち30代から40代がメイン。次いで50代です。読者からは「この本を読んで勉強になった」という声よりも、「自分自身の助けになった」との感想が多くありました。自分が認知症になるのではという不安から手にする方よりも、自身の家族に認知症の人がいる方や介護当事者の方が多いように感じています。
実際にその視点から書かれていますし、介護者のつらさを少しでもやわらげたいというニコさん自身の思いが、読者の方の心にぴったり合ったのかと思います。
兵庫 刊行から半年以上になりますが、比較的ご年配の来店者が多い店舗や、駅ナカの書店さんなどで好調です。普段から新書の棚を見に行く方よりも、ほかの買い物のついでに本書を見つけて購入される方が多いようなので、店頭の見やすい場所に展開していただいている書店さんで、長く売れ続けています。
▲有隣堂 伊勢佐木町本店では、読者層の重なる新書とともに展開
――メディアでの露出も頻繁にありました。
藤岡 発売後まもなく、NHKのニュース番組内のコーナー「いまほん」で、認知症で困っている方に向けた切り口で、佐藤先生のインタビューが放送されました。また、ニコさんは東日本大震災のときに津波で実家を流された体験を本にしているのですが、その時からお付き合いがある朝日新聞仙台総局の記者の方が記事にしてくださっています。
弊社の宣伝チームも力を入れており、3月にはニコさんと、介護職の経験がある「メイプル超合金」の安藤なつさんとの対談が、文春オンラインで実現しました。細く長く、常にパブリシティがあることで話題が継続していると思います。
――今後の販売展開をどのように進めていきますか。
兵庫 専門的な内容を漫画で表現することは、メリット、デメリットの両方があると思います。手に取りやすい反面、ある年代以上の方にとっては信頼性がないと思われてしまうかもしれません。
3月に変えた新しい帯には、「あなたの身近な人が認知症になっても、もう必要以上に、怖がらない、悩まない、苦しまない。」と入れました。この本が苦しんでいる方の助けになるはずとのメッセージを込めています。もっとたくさんの介護当事者の方や自身の家族に認知症の人がいる方に読んでいただきたいですし、今後は男性の方にももっと読んでいただけるような販促活動を行なっていきたいと考えています。
藤岡 すでに、続編の制作にむけて動き出しています。この本で書かれた後のことですが、“婆ル”は入居した高齢者施設が合わず、何度か施設を移っています。今は、地元の特別養護老人ホームに入居され、別人のように穏やかに過ごされているそうです。そういった認知症の人の施設選びや手続きを書くことに加えて、本書に寄せられた読者の声にも応えていきたいと思っています。