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  • 「見たいものしか見ない」心に潜むふしぎな働き『認知バイアス』を解き明かす

    2020年12月13日
    知る・学ぶ
    草野真一:講談社BOOK倶楽部
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    認知バイアス
    著者:鈴木宏昭
    発売日:2020年10月
    発行所:講談社
    価格:1,100円(税込)
    ISBNコード:9784065219515

     

    認知バイアスの罪

    コロナ騒動によって、市場からトイレットペーパーが消え去ったことをご記憶の方も多いことでしょう。スーパーに行ってもドラッグストアに行っても買うことはできませんでした。公共トイレでの盗難も多かったと聞きます。

    著者は認知科学者として、この騒動の熱気さめやらぬ時期(2020年5月)に印象的なテキストを残しています。

    事件の発端は「トイレットペーパーは中国製なので、入手困難になる」というツイートがあったことでした。これはデマであり、少なくともこのツイートが発信されたときには、リツイートされることはありませんでした。反対に、これがデマであることを指摘するツイートは460万を超えていたといいます。テレビなどのメディアでも、備蓄は十分だという報道がなされていました。

    ところが、買い占めは起こってしまった。つまり、みんなデマだと知っていたにもかかわらず、トイレットペーパーを買いに走ったのです。どうしてそんなことが起こってしまったのか。著者はその理由を、認知科学の観点から分析しています。

    この記事を読んだ自分は、紀元前ローマの支配者カエサル(シーザー)の言葉を思い起こさずにはいられませんでした。
    「人は自分が見たいものしか見ようとしない」
    カエサルが死んで2000年以上たつのに、人はまるで進歩していません。いや、情報機器が発達したぶん、タチが悪くなったと言ってもいいかもしれない。そう思いました。

     

    誰も認知バイアスから逃れられない

    認知バイアスとはなにか。著者の以下のように語っています。

    認知バイアスという言葉は、心の働きの偏り、歪みを指す。ただしだからと言って、精神疾患などに見られる心の働きを指すわけではない。こうした疾患を持たない人たちの行動の中に現れる偏りや歪みに対して認知バイアスという言葉が用いられる。

    こうした考えに基づいて、すでに多くの人がさまざまな研究結果を発表しています。「見たいものしか見ない」人の性向は、幾多の実験によって例証されているのです。

    本書は、これを手堅くまとめたものであるという見方も可能でしょう。研究の成果をざっくりと知ることができるばかりではありません。章の末尾に示された「ブックガイド」をたどれば、先人たちのより深い知見を得ることができます。たいへん親切にできています。

    本書に示されたデータのいくつかは、驚かずにはいられないものでした。

    「人は目の前の映像のとんでもなく目立つ事象を認識できないことがある。注意喚起してもなお、認識できないことさえある」
    「人は記憶の書き換えを、じつに簡単におこなってしまう」
    「あなたが事件の要因だと考えていることはそうでないこともある」
    「自分の行動を自分が決めていると考えるのは誤りだ」
    「イノベーションはたいがい、多くの失敗の上に成り立っている。イノベーションマネージャーの言うことはあまり信用できない」

    これは大きな問題をはらんでいます。たとえば、目撃証言です。目の前で殺人事件が起こっても、人はそれを見ていない可能性があります。さらに、記憶の書き換えも簡単におこなわれます。証言なんてまるでアテになりません。

    事件の取り調べに当たる人は、そのことを知っているのでしょう。可能なかぎり複数の証言を集め、ウラをとります。たったひとつの証言に頼ることは、まず、ありません。

    ひょっとすると、解決策はここにあるんじゃないか。
    自分はそう考えました。
    人の認知が常に誤謬をふくむのならば、複数の意見を参照するようにしたらいい。他者の意見を取り入れるようにすればいい。やはり、コミュニケーションは重要なのだ!

    ところが、認知バイアスには共同で生じるものもあります。たとえば、同調。目の前の人が言ったりやったりしていることに、人はなかなかノーとはいえないものです。他にも多くの理由があって、チームだからこそ、社会があるからこそ生まれる誤りも数多くあります。
    本書ではホロコーストを、多分に人の認知バイアスが関わって成された事件として取りあげています。

    とどのつまり、人は決して認知バイアスから逃れることはできません。人は偏った見方や考え方にとらわれるようにできている、と言い換えてもいいでしょう。

    なんでだろ?
    誰だってそう考えるでしょう。
    本書は、そこに光をあてることに成功しています。

     

    「コロナ禍」が生み出したもの

    ある女性アイドルが、コロナ禍によってコンサートが中止になり、こんなことを語っていました。
    「自分のコンサートに、ファンが来なくなることはあると予想していた。だが、こういう形でコンサートが開催できなくなるなんて、思いもしなかった」
    女性は旬を過ぎると女性を売り物にするのは難しくなります。おそらく彼女は、そのことは理解し予測していたのでしょう。そうなったときの準備もしていたのかもしれません。しかし、それが訪れる前に、コンサートができなくなってしまったのです。

    いったい誰が彼女を責めることができるでしょうか。
    世の中なにがあるかわからない。どんなことだって起こりえる。それはよく言われます。だからこそ準備は大切だと語られます。しかし、「予測しえないこと」を予測しろというのはムリな相談です。準備なんかできるはずがありません。

    本書が幾多の類書と一線を画すものになっているのは、最終章で次のように語っていることだと思われます。

    人間の認知は、本質的にこうしたブリコラージュのようなものと考えることができる。私たちは将来のことはあまりうまく予測できないので、将来起こる可能性があることに対し事前に準備しておくことは困難だ。だからあり合わせのものでなんとかしのぐしかないのだ。こうした次第だから、認知はエレガントではないことも多い。また、非効率きわまりないことをやらざるを得ない場合もある。でも、それが認知の姿なのだ。

    ブリコラージュとは、人類学者レヴィ=ストロースが語った「あり合わせのもので、とりあえず必要なものをこしらえること」をさします。著者はこれを「計画的設計の反対語だと思ってもらうとわかりやすい」と語っています。

    コロナ禍に肯定的意味合いを見出すのは困難かもしれません。しかし、著者がこうした主張をし、われわれがそれを抵抗なく受け入れることができるのは、われわれが共通体験として「まったく予想できないこと」に接したことがあるためです。

    本書はまさに「コロナ後に書かれた」本です。すこし大げさな表現になりますが、その思想的成果のひとつと断じてもいいでしょう。

    なお、著者自身による認知バイアスに関する論は、こちらで参照することができます。たいへんわかりやすい本書のダイジェストです。

    (レビュアー:草野真一)


    ※本記事は、講談社BOOK倶楽部に2020年11月19日に掲載されたものです。
    ※この記事の内容は掲載当時のものです。




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