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  • 「ヤフーを作った男」孫正義の腹心が築いた日本のインターネット史の裏側を描く

    2020年07月11日
    知る・学ぶ
    草野真一:講談社BOOK倶楽部
    Pocket

    ならずもの
    著者:森功
    発売日:2020年05月
    発行所:講談社
    価格:1,870円(税込)
    ISBNコード:9784065202807

     

    ヤフーを作った男

    ヤフー・ジャパンが「日本でもっとも影響力があるメディア」であることに異論がある人は少ないでしょう。その事情を、本書は具体的な数字で表現しています。

    現在、ヤフー・ジャパンの年間売り上げは、九〇〇〇億円を超える。むろん以前のように広告収入だけではないが、事業規模は七〇〇〇億円の受信料を誇るNHKをはじめ、新聞各社やテレビ各局の名だたる大メディアをはるかに凌いでいる。

    当然ながら、はじめからそうだったわけではありません。ヤフーのはじまりは、アメリカの大学生が起こした小さなベンチャー企業でした。これに資本参加し、いち早く日本法人をつくったのが、ソフトバンクの孫正義さんであり、その腹心であるヤフー・ジャパンの事実上の創業社長にして本書の主人公、井上雅博さんです。

    しばしば表舞台に登場し、注目を浴びる孫さんとは異なり、井上さんは人の耳目を集めることを好みませんでした。しかし、ヤフー・ジャパンの成長と拡大は完全に井上さんの仕事だと、孫さんも認めているそうです。

    現在、ヤフー・ジャパンのもととなったヤフー・インクという法人は買収され、名前しか残っていません。一時期、漫才コンビ・ナイツが「ヤホーで調べました」というギャグをやっていましたが、あれは純日本的なものです。「ヤフーをウェブ検索のスタートとする」というスタイルは、本国アメリカをふくめ、海外では定着しませんでした。ヤフー=インターネットと呼んでもいい状態になったのは、日本だけです。これはヤフー日本法人の、ひいては井上雅博さんの、最大にして最高の手柄であるといえるでしょう。

     

    井上雅博のヴィジョン――求められるリーダーとは

    伝記の通例にもれず、本書は井上さんの生涯を誕生から死までを追いかけています。関係者への取材はもちろんのこと、過去の資料を掘り起こすことも怠っておらず、著者の真摯な態度に好感が持てます。

    さらに、ここにはもうひとつ、重要なことが描かれています。

    Yahooとは『ガリバー旅行記』に出てくる獰猛な野獣の名であり、本書のタイトル『ならずもの』はそこから想を得てつけられています。自分を含め、浅はかな者の多くは「ならずもの」とは井上さんのことなのだろうと早合点してしまいますが、少なくとも本書の中盤までは、「ならずもの集団」「ならずものたち」のように、複数で使用されていることがとても多くなっています。

    ここに、本書の特徴のひとつが現れているといっていいでしょう。冒頭で記したように、ヤフーは現在、日本でもっとも巨大なメディアになっていますが、断じて一朝一夕で成ったものではありません。さまざまな人の智恵とはたらきによって少しずつ大きくなってきたのです。本書はこれを井上さんを主人公とする群像劇としてとらえ、活写することに成功しています。言いかえればここには、日本のインターネット史が表現されているのです。一般の伝記作品にはない、本書だけの大きな特徴です。

    インターネット企業の収入のメインが広告事業であることは今も昔もかわりませんが、今はターゲット広告といって、その人(正確には、そのマシン)の検索履歴や閲覧履歴などによって、興味ある分野の広告だけが表示されるようになっています。自動車免許を持ってない人に自動車の広告が表示されることは滅多にありませんし、日本人相手にドイツ語の広告が表示されることもほとんどありません。
    これは機械(ロボット)の仕事ですが、ヤフーを起業したばかりのころ(インターネット黎明期)は、広告を人が手で貼っていたそうです。ヤフーのサイトに表示されるさまざまなカテゴリも、アメリカのヤフーを参考にしつつ、日本人向けに作り直していました。当然のこと、これも手作業です。
    昔はめんどくせえことやってたんだなあ、と思いましたが、同時に、これを決定する会議などはムチャ楽しかっただろうな、と思わずにはいられませんでした。

    「インターネット? 何それ」の時代に、ヤフーの給与がよかったとはとても思えません。労働環境もよくはなかったようで、本書によれば徹夜する従業員もあったといいます。

    しかし、従業員の多くはやり甲斐を持って働いていたでしょう。ご存じのとおり、ネットは仕事がそのまま数字になって瞬時に戻ってくる世界です。そのレスポンスのよさは当時のメディアでは希有といっていいものだったでしょう。自分の仕事が効果となって現れてくることは、とても誇らしいことです。

    とはいえ、彼らの多くは明確なヴィジョンを持たずに仕事をしていたと思われます。「自分の今していることが、日本のインターネットをつくるんだ」という高邁な志を抱いていた人はほとんどなかったにちがいありません。「いずれインターネットは、テレビやラジオ、新聞や雑誌などより大きくなる」と真顔で語る井上さんを、何言ってんだと思ってたという腹心の部下の発言は、本書に何度も出てきます。あまりに浮世離れしたヴィジョンなので、現実味がわかなかったのでしょう。

    しかし、全員がヴィジョンを抱く必要はありません。トップが夢見るだけでいいのです。それは、誰にでもできることではありません。
    孫正義さんが井上さんを評した言葉として、次のようなものが残っています。

    やはり人には器ってものがあるんですね。部長とか課長をやらすとどうしようもない男が、社長をやらすととつぜん大変身して大活躍する。

     

    死にざまこそが、生きざまだ

    2012年、井上さんはヤフーの社長を辞します。
    通常、これは「仕事をやめる」ことを意味しません。会長・相談役・社外取締役。ご意見番として経営に参画するポストはいくらもあるからです。

    しかし、井上さんはそういう道を歩みませんでした。ヤフーとは完全に縁を切り、趣味の世界に没頭しました。
    その絢爛な生活についても、本書は詳細にレポートしていますが、ここではその結末だけを述べるにとどめましょう。

    井上さんは、カリフォルニア州北部で開催されるクラシックカーのレースに参加し、事故で命を落としました。助手席に座っていた親子ほど年齢のちがう、若くてかわいらしい女性はシートベルトをつけていたため助かりましたが、シートベルトをつけていなかった井上さんは、クルマから投げ出され、帰らぬ人になりました。

    先に述べたとおり、本書は関係者への入念な取材と、過去の報道の収集によって構成されています。著者の感想めいたものはほとんど語られません。それは本書の美点ですが、野次馬根性を抑えられない自分のような読者は、どうしても思ってしまいます。

    井上さんは、死のうしていたんじゃないか――。

    美しい女性を隣に乗せ、大好きなクラシックカーをぶっ飛ばして死ぬ。男の死にざまとしてこれ以上のものはそうあるとは思えません。
    「男の生涯にとって、死に様こそが生き様だ」
    そう歌ったのはエレファントカシマシですが、現代、個人が自分の死にざまをコントロールできることは滅多にありません。

    詳細は本書に譲りますが、クラシックカーはお金があれば手に入れられるというものではありません。助手席の美しい女性も同様です。お金持ちについていく女性はたくさんいるでしょうが、命を預けようという人を見つけ出すのは困難です。レースに参加する自動車の助手席に座るとはその覚悟ができているということを意味します。

    井上さんは生涯、「誰にもできないこと」を追求していたように思えます。
    ヤフーを日本最大のメディアにすることもそう。先に述べたとおり、本国アメリカにすでにヤフーという企業はないのですから、サバイヴするには独自の方法論が必要です。
    死にざまにだってそうですし、ヤフー社長を辞してからの生活も、他の追随を許すものではありませんでした。
    そういう人が、なんの変哲もない都営団地で生まれ育ったという本書の記述は、読むものに特別な感慨を抱かせてくれます。
    また、現代においてこういうドラマティックな生涯を送ることが可能なんだという事実は、多くの人に勇気を与えるにちがいありません。

    (レビュアー:草野真一)


    ※本記事は、講談社BOOK倶楽部に2020年6月24日に掲載されたものです。
    ※この記事の内容は掲載当時のものです。




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