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2006年3月に刊行された金森修さんの著書『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』の緊急復刊が決定しました(復刊部数1万部)。
『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』は、腸チフスの無症候性キャリアとして、本人に自覚のないまま50人近くに病を伝染させ、「毒婦」「無垢の殺人者」と恐れられた実在の料理人・メアリーの生涯に迫った一冊。
筑摩書房は「国内でチフスのメアリーに関する書籍が他に見当たらず、こういった本をこの混乱の最中でもきちんと読者に届けることが今すべき出版社の使命との思いから、今回の緊急復刊となった」「まさに今読むべき歴史的教訓の書である」とのコメントを公表しています。
復刊分には特別帯が巻かれ、5月11日(月)に出来予定とのことです。
「はじめに」より
これは、ある一人の女性の生涯の物語だ。その女性は、料理がとてもうまい人だった。子どもの面倒見もよく、雇い主からは信頼されていた。だから、料理に存分に腕をふるい、雇い主にも信頼されてそのまま生活していけたとすれば、貧しいながらも、それなりに幸せな人生だったろう。だが、その女性には過酷な運命が待っていた。三七歳になったあるとき、突然、自分自身には身に覚えもないことで、公衆衛生学にとっての注目の的になり、その後の人生が大きく変わっていく。突然、自由を奪われ、病院に収容されるのだ。
本文より
恐ろしい伝染病が、いつ社会に蔓延するかは誰にもわからず、もしそうなれば、電車で隣に座る人が、恐ろしい感染の源泉に見えてこないとも限らない。
(略)そして、この生物学的な恐怖感が私たちの心の奥底に住み着き、いつその顔を現すかはわからないような状況が、人間社会の基本的条件なのだとするなら、未来の「チフスのメアリー」を同定し、恐怖を覚え、隔離し、あざけり、貶めるという構図は、いつ繰り返されてもおかしくはない。
(略)もし、あるとき、どこかで未来のメアリーが出現するようなことがあったとしても、その人も、必ず、私たちと同じ夢や感情をかかえた普通の人間なのだということを、心の片隅で忘れないでいてほしい。
【上】1909年の新聞に載ったメアリーの肖像
【下】「ニューヨークアメリカン」紙 1909年6月20日版(イラストでフライパンに入れているのは髑髏)
世界で初めて臨床報告されたチフス菌(Salmonella enterica serovar Typhi)の健康保菌者。
アイルランドからニューヨークに移住したアイルランド系アメリカ人で、1900年代初頭にニューヨーク市周辺で発生した腸チフス(Typhoid fever)の感染を自覚せずに広めたことで有名になり、「腸チフスのメアリー」あるいは「チフスのメアリー」という通称で知られる。
14歳の時に渡米したメアリーは、多くのアイリッシュ同様に貧しかったが、料理の腕が買われ、住み込みの家政婦として雇い主からの評判が良かった。そのため腕を買った雇い主の住居に住み込んで料理をつくる「家政婦 兼 料理人」であった。ただ、住み込み先を変えるたびにその家から感染者が出ていた。
敏腕の衛生士・ジョージソーパーによるくわしい調査の結果、感染源がメアリーにあると確信。そこで医師をメアリーに向かわせ、保菌者であるかどうかの検査を要求したが、メアリーは逆上して騒ぎを起こし、とうとう警官がでて強制的に彼女の便を回収、隔離することに。納得しないメアリーは怒り狂い、ニューヨーク市衛生局を相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こす。センセーショナルな記事は世間の注目を集め、「Typhoid Mary」としてその名が広く知れ渡るようになる。
裁判は衛生局が勝利したものの、一般の人と接触しないこと、料理の職にはつかないことを条件に隔離が解かれる。しかし、しばらくして彼女は失踪する。そして5年後に居所が判明するのだが……。
第1章 物語の発端(事件以前のメアリー/チフス患者の発生 ほか)
第2章 公衆衛生との関わりのなかで(腸チフス/チフスと戦争 ほか)
第3章 裁判と解放(法的な問題/「チフスのメアリー」の露わな登場 ほか)
第4章 再発見と、その後(自由になって/恋人の死 ほか)
第5章 象徴化する「チフスのメアリー」(一般名詞化するメアリー/勝ち馬に乗る歴史 ほか)