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  • 渋沢栄一『論語と算盤』をマンガ化 新1万円札の“顔”が作った資本主義のしくみとは

    2019年11月10日
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    草野真一:講談社コミックプラス
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    漫画版論語と算盤
    著者:渋沢栄一 近藤たかし
    発売日:2019年09月
    発行所:講談社
    価格:1,540円(税込)
    ISBNコード:9784065170120

     

    渋沢栄一の人と思想を知る

    渋沢栄一は現在もっとも注目されている偉人のひとりでしょう。なにしろ2024年から使用される新1万円札の「顔」は彼になることが決まっているのです。彼の人となりや仕事にたいしても、大きな注目が集まっています。

    本書は、「渋沢栄一って誰?」というストレートな疑問にも答えるべく制作された、渋沢の主著(正確には、講演をまとめたもの)『論語と算盤(そろばん)』のマンガ化です。

    とはいえ、『論語と算盤』をそのままマンガにするのは、じつはとても困難なことです。

    原著の『論語と算盤』は、ストーリー性があまりない書物です。一般の本であればそれでもいいのですが、マンガをふくめたエンターテインメントはそうではありません。ともすればリクツの羅列になってしまい、ちっともおもしろくないものができあがってしまいます。

    そこで登場するのが、明治の元老のひとり、山縣有朋の幽霊です。山縣は軍部大臣現役武官制や帷幄上奏(いあくじょうそう)などのしくみを構築し、軍が内閣を通さずに動けるようにして、第2次世界大戦への日本参戦の大きなきっかけをつくりました。山縣閥と呼ばれる子分連合は軍部ばかりでなく内務省や大蔵省など、一般の官僚組織にまでおよび、文字どおり日本を掌握していたと言っても過言ではないでしょう。
    司馬遼太郎先生も『世に棲む日日』や『翔ぶが如く』など、幕末・維新を舞台とした小説で、山縣を悪役として描いています。

    渋沢が『論語と算盤』の中で展開した論も、山縣の思想と対置することで、より明確なものになります。たいへんわかりやすい、みごとな手法だと思いました。
    「おお、敵は山縣有朋か、なるほど!」
    感心して思わずつぶやいてしまったほどです。

     

    日本資本主義の父

    渋沢栄一は「日本資本主義の父」と言われます。なぜそう呼ばれるのか。本書の読者なら、手にとるようにわかることでしょう。
    渋沢はパリで開催された万博に参加し、欧米の工業力に目を見張るとともに、それを可能にするしくみにも瞠目しました。
    洋行の中途で大政奉還が起こるような激動のさなか、若き幕臣・渋沢栄一は希望に燃えて帰国します。

    明治新政府の礎を築いた後、彼は野に下り、日本初の本格的な銀行(現在のみずほ銀行の前身)の設立に携わります。さらに、500ちかい民間企業の創設にかかわりました。

    小さな資本も、多く集めれば、大きな事業もなすことができる。
    このしくみは、それまでの日本にはなかったものです。銀行と株式会社。それを日本に根づかせることこそ、彼の天命のひとつでした。本書は、「新しいしくみ」に魅了された若者の熱き生き様を、みごとな筆致で描いています。
    (bankに銀行という訳語をあてたのは渋沢だそうです)

     

    論語と算盤(道徳経済合一説)

    資本主義には「負の側面」があります。
    利潤を追求するあまり、弱者を切り捨て、儲けることだけを目標にしてしまうのです。富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる。それが資本主義です。人はより富むことを求め、政商または財閥であろうとします。

    「それじゃダメなんだ」渋沢はそう主張します。「企業は(算盤=金儲け)だけであってはならない。道徳(=論語)を抱くべきであり、国ないしは人類全体の繁栄を希求すべきなんだ」
    それが『論語と算盤』の趣旨です。

    渋沢の時代、『論語』はきわめて一般的な書物でした。『論語と算盤』の原著にも、渋沢は「『論語』を読んだことのない人はほとんどいないだろう」と語っています。彼は埼玉の豪農の生まれですが、6歳のときから『論語』をふくめた漢籍の手ほどきを受けていたそうです。

    じつは、『論語と算盤』に取り上げられている書物は、『論語』ばかりではありません。『孟子』や『中庸』など、四書五経と呼ばれる儒学の基礎的な書物が、『論語』と同じウェイトで取り上げられています。したがって、本来なら『儒学と算盤』とでも言うべき本なのですが、それをあえて『論語と算盤』と名づけたところに、渋沢のセンスを指摘する人もいます。

     

    論語と算盤はありふれている?

    ところで、こうは感じませんか?
    「きれいごとばっかり言ってんなあ」
    自分はそう思いました。

    渋沢の時代はどうか知りませんが、現代はこういうきれいごと、本当によく見ます。たとえば、企業理念です。
    企業が百社あったら百社がみな、同じようなことを語っています。社会貢献。地方貢献。日本のために。世界のために。人類のために。利潤より個人の幸福。
    ウソつけ! って言いたくなりませんか?

    企業のトップが「清濁併せ呑む」と得々と語るのも、何度か聞いています。
    これ、要するに「俺は汚い手も使うよ」という宣言です。そういう人がいくら立派なことを語っても、信じることができないでしょう?

    企業理念が美辞麗句だらけだとか、ウソだらけだと言いたいわけではありません。「『論語と算盤』はそれと同じようなことを語っているにすぎない」と言いたいのです。

     

    渋沢は、本気だ

    渋沢は、本気だ。
    『論語と算盤』、道徳経済合一説、まったく本気なんだ!
    美辞麗句とかタテマエとか、そういうもんじゃない。

    それは彼の行状をすこし調べるとわかりました。
    2つご紹介しましょう。

    ひとつは、商法講習所です。これは、日本に資本主義の正しいやりかたを根づかせるため設立された教育機関で、当初、東京府が運営していました。
    講師のほとんどを海外から呼んでいたので、商法講習所はとにかくお金がかかりました。
    府は廃校を考えはじめます。渋沢はこれを聞くと、烈火のごとく怒りました。「教育がいちばん大事なんだ。こういう機関が必要なんだ」。何度も語り、論文も執筆しました。
    渋沢の尽力あって、商法講習所は国営になります。現在の一橋大学です。

    もうひとつは、養育院の運営です。
    江戸は世界最大の都市でした。人口は100万人を越していたともいわれています。ところが、ここが東京と呼ばれるようになると、人口は半数の50万人になってしまうのです。
    当然のことでした。参勤交代がなくなり、地方の大名が江戸にやってこなくなって、江戸の武家屋敷も不要になります。職は明らかに減ったでしょうし、経済が冷え込まないはずはありません。
    東京の人口50万人のうち、6割は貧民でした。つまり、移動したくてもできない人たちです。

    養育院はこうした貧民のための福祉施設であり、高齢者や身よりのない子どもを多く抱えていました。労働生産性のない人を集めているのだから利潤を生まないのは当然ですが、集めて、押し込めるだけの施設のひどいありさまに、渋沢は嘆息せずにはいられなかったといいます。
    養育院は廃止が決まりますが、渋沢はこれを寄付によって存続させます。金持ちを回ってお金を出させたのです。

    商法講習所も養育院も、利潤は生み出しません。渋沢のトクになるようなことは、基本的にはなかったと思われます。しかし、彼は両者に積極的にかかわりました。経営者は算盤だけじゃダメなんだ、論語(道徳)がなくちゃダメなんだ、というのは、渋沢の信念だったことがわかります。

    現在、日本は「世界でもっとも教育にお金をかけない国」になっているそうです(OECD調査による)。
    どんな深謀遠慮があってそうなっているのか自分にはわかりませんが、渋沢が聞いたらきっと、真っ赤になって怒るでしょうね。

     

    渋沢栄一は誇るべき人だ

    本書は、最後に山縣有朋のリアリズムを、渋沢栄一の思想に対置させることで終わっています。
    山縣の主張は、渋沢を絶望させます。その後の日本の歩みは、あきらかに山縣の思想が動かしていたからです。

    でも、それで終わりじゃないだろう?

    本書は、最後に未来への希望を描いて終わっています。

    ここで表現されている渋沢が正義漢なのは、これがマンガだからではありません。渋沢栄一とは、本当にこういう人だったのです。

    かつてこういう人がいた。
    それは、誇ってもいいことではないでしょうか。

    (レビュアー:草野真一)


    ※本記事は、講談社コミックプラスに2019年10月20日に掲載されたものです。
    ※この記事の内容は掲載当時のものです。




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