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小川糸さんの「本屋さんといえば」は故郷・山形のあの書店

『ツバキ文具店』『食堂かたつむり』など数々の人気作で知られる小川糸さん。

そんな小川さんにとっての本屋さんといえば、なんといっても故郷である山形の老舗書店だそう。その書店とともにある、少女時代の思い出から作家になってからのエピソードまでを、小川さんに寄せていただきました。

小川 糸
おがわ・いと。1973年生まれ。2008年『食堂かたつむり』でデビュー。以降多くの作品が様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2010年に映画化され、2011年にイタリアのバンカレッラ賞、 2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞。2012年には 『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化された。そのほかの著書に、『喋々喃々』『ファミリーツリー』『リボン』『ミ・ト・ン』など。

 

八文字屋とわたし

本屋さんといえば、八文字屋である。

わたしが生まれ育った山形市には、八文字屋という名前の、町の顔とも言える本屋さんがあった。もちろん、今もある。

八文字屋の歴史はとても古く、紅花商人だった初代の後継者となった2代目が、上方との商いを通じ、浮世草子を山形に持ち帰ったことから書籍を扱うようになったという。出版元の名を取り「八文字屋本」と呼ばれていたそれを、地元でもたくさんの人に読んでほしいと貸し出したのが事の始まりで、これがきっかけで八文字屋という屋号もついたそうだ。こうして、山形の地に本を広めるようになって、およそ3世紀の時が流れた。

八文字屋のドアを開ける時は、いつだってわくわくした。店に入って最初に目に飛び込むのは、天井から吊るされた大きな大きな赤い提灯で、店のほぼ中央に置かれている電話ボックスにも意表を突かれる。店は二階建てで、中央にはとても立派な階段がある。そして、たくさんの棚に並ぶ、本、本、本。八文字屋には、いつも本が醸し出す独特の柔らかい匂いがあった。

この本店が完成したのは昭和43年で、今から思うと、八文字屋はとても先駆的な本屋さんだった。何が先駆的かというと、まず、店内に喫茶店があった。2階の一部がガラス張りのカフェスペースになっていて、子どもの頃のわたしの夢は、いつかあの喫茶店で本を読みながらコーヒーが飲みたい、だった。

そして、もしかしたら今もあるのかもしれないけれど、わたしが中高生の頃は、店の裏口のところに植物を売るコーナーがあり、わたしはそこでよく、部屋に置く観葉植物を買っていた。そう、八文字屋は、わたしが生まれる5年も前からすでに本だけを売る店ではなく、今でいう複合型店舗として機能していたのだ。

今、全国の多くの書店で取り入れられているような試みが、すでにおよそ半世紀も前に、一地方都市にすぎない山形市で、出来上がっていたのである。八文字屋に隣接する形で、プールという文房具や雑貨を扱う店ができたのは、わたしが小学生の頃だった。

初めて八文字屋に行った時のことは、もう覚えていないけれど、おそらく父に手を引かれて行ったのだろう。わたしが八文字屋に行くのは、もっぱら父とだった。物静かな父とはふだん、それほど言葉を交わすことはなかったし、出かけることも少なかったが、そんな父と、唯一出かけるのが八文字屋だった。

夕飯を食べ終えると、父が車で八文字屋に向かう。わたしも父の車の助手席に座り、八文字屋へ便乗した。そして、閉店までそれぞれ自分の好きな本を見たり買ったりする。初めて買った小説も、料理本も、すべて八文字屋の棚に並んでいた。

けれどあの頃は、まさか自分の本が八文字屋に置かれるなんて、想像もしていなかったのだ。

11年前、デビュー作となる『食堂かたつむり』で、わたしは八文字屋でサイン会を行った。今思い出しても、気持ちがふわふわする。

サイン会が始まる前、あの喫茶店で待っていた。そして、時間になったら、2階から1階へ、階段を使って降りるという。えーっ、とわたしは驚愕した。

あの階段を見ると、どうしても、結婚式場を思い出してしまうのだ。1階には、サイン会に来てくれた人がすでに待っていて、その中には知っている人の姿もある。まるで、結婚式の花嫁入場みたいで気恥ずかしかった。慣れない手つきでサインをしながら、人生何が起こるかわからないものだと痛感した。

山形を離れた今、あの頃のようにちょくちょくと足を運ぶことはできないけれど、わたしにとって本屋さんといえば、やっぱり八文字屋なのである。八文字屋が、わたしにとっては広い世界へとつながるどこでもドアだった。

【著者の最新刊】

ライオンのおやつ
著者:小川糸
発売日:2022年10月
発行所:ポプラ社
価格:792円(税込)
ISBNコード:9784591175064

男手ひとつで育ててくれた父のもとを離れ、ひとりで暮らしていた雫は病と闘っていたが、ある日医師から余命を告げられる。最後の日々を過ごす場所として、瀬戸内の島にあるホスピスを選んだ雫は、穏やかな島の景色の中で本当にしたかったことを考える。ホスピスでは、毎週日曜日、入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫は選べずにいた。

〈ポプラ社『ライオンのおやつ』特設サイトより〉


(「日販通信」2019年11月号「書店との出合い」より転載)