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島本理生さんの『夜 は お し ま い』が10月25日(金)に発売されました。本作は、2014年から文芸雑誌「群像」(講談社)で連載されていた短編をまとめたもの。2015年に、純文学を“卒業”した島本理生さんにとって、最後の純文学の単行本になるかもしれません。
本作は、信仰をテーマに、女性の苦悩と光を描いた連作短編集。暗闇の中でもがきながら、幸せになろうとする強さに、背中を押される一冊です。
『夜 は お し ま い』は、金井というキリスト教の神父のもとに訪れる4人の女性たちの連作短編です。彼女たちの共通点は、信仰心があること。ただ、それは単に“神の存在を信じている”だけではなく、罪の意識から赦されたいという切実な思いがあります。
罪の意識、いわゆる罪悪感とは、悪いことをしたから生まれる感情だと思われていますが、実は周囲から押し付けられていることでも生まれます。3本目に収録された「雪ト逃ゲル」にはこんな描写があります。
私はもし願いが叶うならば神様に奪ってほしい。母という名前を。そして父親という名に書き直してほしい。
どんなに忙しかろうと明日の午後三時には迎えに行って歯医者に連れて行かなくてはならないのも、病気のときに真っ先に駆け付けなくてはならないのも、(中略)母という肩書を持つ者で、実務の量の問題じゃない、ただその名称を与えられた存在に最後の責任が課されていることに、時々、耐えきれなくなるのだ。
(本書p.118より引用)
幼い頃、母が「保育所に預けてごめんね」と謝っていたことを思い出しました。自分も働き始めた今だから、母がどういう思いだったのかわかるような気がします。
女性の選択肢が格段に広がった今でもなお、前時代的とされる「女性像」からはみ出すことは、私たちの心に後ろめたさをもたらします。子どもを預けて働いてごめんなさい、毎日夕飯を用意できなくてごめんなさい、いい娘でなくて、いい妻でなくて、いい母でなくて、ごめんなさい。
実際に悪いことをしたわけではなく、周囲の環境から押し付けられた罪悪感に苛まれます。本書には、女性“性”による逃げ道のなさが、えぐるように描かれています。
金井神父との関わりの中で、彼女たち4人の悩みの真相が少しずつ紐解かれていきます。性とお金と嘘と愛に塗れたこの世界を生きる彼女たちが抱える苦悩とはなんでしょうか。
「どうして正しく生きられないのだろう。」そう自分を責めてしまう時は、もしかすると自分の中に、気づかないふりをしている感情があるのかもしれません。私たちは、色々なものに傷つけられているということに、もっと自覚的になって良いのだとこの作品は教えてくれます。
・「すべての「幸せ」な大人たちへ。直木賞作家・島本理生が“すれ違う大人の恋愛”を描く短篇集『あなたの愛人の名前は』
・「ナラタージュ」という形に込めた、つらくても美しい、一生に一度の恋――島本理生インタビュー【前編】