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  • “羊飼い作家”河﨑秋子さんが少女時代に出会った「奇跡の本屋さん」

    2019年10月05日
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    日販 ほんのひきだし編集部「日販通信」担当
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    北海道で羊飼いをしながら、小説を書く河﨑秋子さん。デビュー作の『颶風の王』、第2作の『肉弾』と立て続けに賞を受賞し、その緊迫感みなぎる作風で注目の作家です。

    そんな河﨑さんは、いまも暮らす北海道の東端の町で、どのような読書ライフを送っていたのでしょうか。今回は、物語に心躍らせる一人の少女の、本屋さんでの微笑ましいエピソードを寄せていただきました。

    河﨑秋子
    かわさき・あきこ。羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊を飼育・出荷。2012年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞。『颶風の王』で2014年に三浦綾子文学賞、2016年にJRA賞馬事文化賞を受賞。2019年『肉弾』で大藪春彦賞を受賞。

     

    奇跡の本屋さん

    子どもの頃、スクールバスに乗って下校してしまうと、私の友は猫と本だけだった。

    なにせ北海道の、人間より牛や鹿の数の方が多い農村だ。町までは十キロ離れているし、隣の家さえ八百メートル先なのだ。近所には友達どころか年の近い子さえいない。兄姉たち三人はもう家を離れているか年が離れていて遊んでくれないかで、家に帰った私は自然と、眠る猫をお供に本を読むようになった。

    読むのは図書室や学級文庫から借りた本か、兄姉が持っている小説が多かった。自分で気に入って読むというよりは、そこに並んでいた本の中から読めそうなものを選ぶことが多かったように思う。そんな中、高学年のある時、学校で友達から借りたシリーズ小説に私は「ハマった」。初めて、自分のお小遣いから買いたいと思った小説だった。その世界観に没入し、登場人物の活躍に心躍らせ、巻末で宣伝されている〈既刊〉を今すぐに読みたいと渇望した。

    だが、何作も発行されているはずのそのシリーズは、図書館や商店街の本屋には置いていなかった。時代だったのか、取り寄せも受け付けてもらえない。

    結局、他の町に行く用事がある時に、大人に「本屋に寄りたい」とお願いする他になかった。そうして、ある時は隣町の本屋、またある時は遠くの町の本屋で胸躍らせて棚を探すが、ない。当時の私に、全国的に人気な本が必ずしも田舎まで流通してくるとは限らないという事情が分かるはずもなく、ただ落胆するしかなかった。

    そんなある時、根室市の親戚宅を訪れた帰り、駅前に小さな本屋があることに気づいた。「牛舎の仕事の時間だから早く帰らないと」と渋る母に頼み込み、「こんな小さな本屋さんにはないかなあ」と半ば諦めた気持ちで棚を見上げると、あるではないか。私が欲しかったシリーズ全巻の背表紙が、整然と輝いていた。子どもの頃から奇跡なんて信じていない自分が、あの日あの時あの本屋では、「奇跡だ……」と心の中で呟いた。本当である。

    当然、自分の財布の中にあるお金では足りない。そこで私は母が待つ車に戻り、「どうしてもどうしてもどうしても欲しい本があるので、お金を貸してください」と頼み込み、お小遣いの前借りを果たした。

    子どもにとっては清水の舞台から飛び降りる気持ちで前借りした紙幣数枚をポケットに入れ、両手で十数冊の文庫本を抱えてレジへと向かった時の興奮を、私は今もありありと思い返すことができる。

    あれだけ読みたかった未読巻を、すべて読める。しかも、借り物ではなく自分の本になるんだ。部屋に置いていつでも読めるし、好きなところを何度でも読み返せる! お小遣いを前借りしたために、今後半年は気に入った鉛筆一本買えない日が続くだろうが、このシリーズ全巻が自分のものになるなら構わない!

    その喜びたるや。小学生にとっては大それた借金を抱えたことに対する幾ばくかの背徳感と相まって、あの時の私は相当血圧と心拍数が上がっていたものと思われる。もちろん、帰宅して貪るように本を読み始めた私が、その後数か月にわたって幸せな読書生活に耽溺したのは言うまでもない。

    あの根室駅前の本屋さんは、残念ながらいつの間にか閉店し、建物も取り壊されて、今はまったく違うお店が建っている。大人になった私は、大きな本屋さんへ自分で車を運転して行けるし、注文すれば大抵のものは取り寄せてもらえるようになった。便利なことこのうえない。今でもカウンターで予約した本を受け取る時には胸が高鳴る。

    ただ、小学生のあの日、今はもうないあの本屋で、両手で本を抱えてレジに向かったあの高揚感は、奇跡の記憶として心の別次元の場所に飾ってある。

    土に贖う
    著者:河崎秋子
    発売日:2019年09月
    発行所:集英社
    価格:1,815円(税込)
    ISBNコード:9784087712001

    明治時代の札幌で蚕が桑を食べる音を子守唄に育った少女が見つめる父の姿。「未来なんて全て鉈で刻んでしまえればいいのに」(「蛹の家」)
    昭和初期、北見ではハッカ栽培が盛んだった。リツ子の夫は出征したまま帰らぬ人となり、日本産ハッカも衰退していく。「全く無くなるわけでない。形を変えて、また生きられる」(「翠に蔓延る」)
    昭和26年、最年少の頭目である吉正が担当している組員のひとり、渡が急死した。「人の旦那、殺してといてこれか」(「土に贖う」)など北海道を舞台に描かれた全7編。
    これは今なお続く、産業への悼みだ――。

    〈集英社 公式サイト『土に贖(あがな)う』より〉

    (「日販通信」2019年10月号「書店との出合い」より転載)



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