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  • 又吉直樹が挑戦した初の新聞連載作『人間』 執筆を通して変化した自身と世界の見え方とは?

    2019年10月10日
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    日販 ほんのひきだし編集部 吉田・浅野
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    10月10日(木)に、又吉直樹さんの新刊『人間』が発売されました。

    人間
    著者:又吉直樹
    発売日:2019年10月
    発行所:毎日新聞出版
    価格:1,540円(税込)
    ISBNコード:9784620108438

    『火花』『劇場』に続く3作目の小説となる『人間』は、2018年9月から毎日新聞の夕刊で連載された長編小説です。

    「初めての新聞連載」「初の長編小説」に挑んで今思うこと、本作の執筆を通して起きた又吉さんの変化について伺いました。

    又吉直樹(またよし・なおき)
    1980年、大阪生まれ。吉本興業所属のお笑いコンビ「ピース」として活動。2015年に、小説家デビュー作『火花』(文藝春秋)で、第153回芥川龍之介賞を受賞。同作は実写ドラマ化(2016年)や実写映画化(2017年)をはじめ、多くのメディアミックスがされた。2017年には恋愛小説『劇場』(新潮社)を発表。そのほか単著に『第2図書係補佐』(幻冬舎)、『東京百景』(ワニブックス)、『夜を乗り越える』(小学館)がある。

    『人間』あらすじ
    絵や文章での表現を志してきた永山は、38歳の誕生日、古い知人からのメールを受け取る。若かりし頃「ハウス」と呼ばれる共同住宅でともに暮らした仲野が、ある騒動の渦中にいるという。永山の脳裡に、ハウスで芸術家志望の男女と創作や議論に明け暮れた日々が甦る。当時、彼らとの作品展に参加。そこでの永山の作品が編集者の目にとまり、手を加えて出版に至ったこともあった。一方で、ハウスの住人たちとはわだかまりが生じ、ある事件が起こった。忘れかけていた苦い過去と向き合っていく永山だったが――。漫画家、イラストレーター、ミュージシャン、作家、芸人……。何者かになろうとあがいた季節の果てで、かつての若者たちを待っていたものとは?

     

    新聞連載には、物語の推進力とは別の“ジャンプ台”があった

    ――『火花』から丸4年が経ちました。その頃と比べて、執筆環境や書き方など、変わったことはありますか?

    『火花』や『劇場』は文芸誌に書き下ろしという形でした。今回は、初の新聞連載だったので、自然と大きく変わりました。

    ――『人間』連載前のインタビューでは、「新聞連載というのは、難しい挑戦だ」とおっしゃっていました。実際に執筆してみての「連載」の難しさはありましたか。

    想像を絶するほどの大変さでした(笑)。体力がいりますし、もし体調を崩して書けないとなると、その分(連載のストックが)どんどん減っていったりしますから。体調管理にかんしては、気にしていないようで気にしていましたね。

    ――アスリートみたいですね。

    「絶対風邪ひかんとこ」と。今までで一番、風邪に気をつけて過ごしましたね。

    あとは、すべての回で意識したわけではないけれど、新聞連載の文字数がだいたい1,000文字弱なので、その中で何かしら読む人の興味を惹くことを入れるようとは意識しましたね。初めて読んだ人が、その1,000文字の中にある、なんのことかわからんけれど1つワードにひっかかるとか、会話がおもしろかったとかが必要なんじゃないか、というのはどこかにありました。

    あと、物語の推進力とは別の“ジャンプ台”というものがあったような気がします。

    書き下ろしとかだと、一度書いたあとに「ある部分を直す」っていうのができます。“直せる”っていうのは、明日の自分の方が小説に対しての強制力があります。それが連載の場合は、今日の自分のほうが明日の自分よりも強い。なぜなら、すでに書いてしまっているから。僕がぎりぎりにやっているから悪いのだけれど(笑)。

    今日のこの意志を受け取って、明日やっていかないといけない。連載してみて、それが実は、いいんじゃないか、おもしろいんじゃないかな、と。

    ――感覚として、1,000字というのは短いですか。

    基本的には短いです。ただ、毎日書いてると「一生書き終わらへんのちゃうか」という気持ちにもなりました(笑)。ただ、制限があることによって、本来なら出なかったことが出てきたりというのは間違いなくありました。

    ――単行本化をされるときには、加筆や修正はどのくらいしましたか?

    わりと直しましたね。新聞での長さ・スペースで読むのと、本で読むのとは違います。本に合う形で戻したり直したりしました。部分的に内容を変えているところもありますね。

     

    「永山と僕は『人間失格』を読んでいる」

    ――今回、漫画家を主人公にした理由や、シェアハウスを舞台にした理由はありますか。

    「表現者」を主人公にしたいというのは最初からありました。僕が今まで書いてきた小説は、その主人公がぎりぎり若者、だいたい20代前半から始まって、30歳くらいで終わる話でした。今回の小説は、主人公・永山の38歳の誕生日から始まります。自分の年齢に登場人物が追い付くというのは、自分が挑戦してみたいことではありました。その38歳の永山が、表現者として体験した挫折の“その後”を書いてみたいと思いました。

    主人公を漫画家、イラストレーターにするのは、すぐに思いつきましたね。しかしあれですね、『人間失格』の大庭葉蔵も漫画家ですよね……(※『人間失格』の主人公・大庭葉蔵は画家を志望し、後に漫画家になる)。完全に合わせにいったとかはないんですけど、過去に自分が書いたもっと短い物語で、登場する人物の設定が自分の中に残っていたのかもしれません。

    ――『人間失格』を読んだときの大庭葉蔵のキャラクター性が、無意識のうちに強く心に残っていたのかもしれないですね。

    それもちょっとあったかもしれないですね。そっか、永山と僕は『人間失格』を読んでいるわけですね。永山が『人間失格』を読む理由としては、はっきりしています。自分と同じような状況にいるので。

    ――ハウスの登場人物は、特徴的なキャラクターが多いです。「この人は好きじゃないな」と思う読者も多そうですが、意識したモデルや、ご自身を投影した部分はありますか。

    確かに嫌なやつも出てきますね。でも、もしかしたら、自分でも気づいていないところで、誰かにそう思わせていたかもしれない。誰でも「一歩間違えていたら、こうなっていた」「あの日に限っては、自分もこうだったんじゃないか」というようなことはあると思います。

    僕は、吉本の養成所に1年通っていました。そこには、自己主張が強いけれど自分に自信が無かったり、目上の人に噛みつくのは旺盛だったり、深堀りしてみたらなんもなかったり……そういう人がいっぱいいました。「『人間』に登場する人物のモデルはこの人」というよりは、頭の中や経験としてあったものが自然に出ていると思います。

    自分の経験とか体験とかが、そのままというわけではもちろんないけれど、小説の中で生かされている。『人間』に限らず小説っていうのはそういうものだと思います。




     

    「『おらんような存在』というのはちゃんと書きたい」

    あと僕は、しつこいくらい「おらんような」存在や人物を書いてしまう。すごく気になるんですよね。たとえば、僕が上京してすぐのころの2000年代初頭って、就職難や大学卒業した人の初任給がこんだけで、もうとんでもない不景気だと連日言われていました。その報道をテレビで見てた僕は「かわいそうやな」と思ってたんです。そのとき、風呂無しのアパートに住んで、僕の方が圧倒的に身入りが少なかったのにですよ。それでも、テレビでやってるこの国の平均的な出来事に対して、僕は「かわいそう」って感情移入してしまった。

    でも、「かわいそう」って思ったとき、自分自身で自分を存在していないように扱っていることに気づきました。

    みんなの都合、声のでっかい人の都合でおらんようにされたり、おるようにされたり。テレビなどで取り上げられる特集のときにおるようにされたり、作品のときにおるようにされたり。自分みたいな存在は、高円寺とか下北沢に行って網投げたらなんぼでもおるのに、そういうとこに行ったことがないと、見たことがないから「存在しない」ことにされてしまう。でも、実際はおる。この、おるような、おらんような存在というのはちゃんと書きたいと今も思っています。

    ――そういう「何者かになりたい」キャラクターたちを、丁寧に拾おうとする描写に優しさを感じました。

    優しいかはわからないけれど、僕もそういう環境にいたので、「おることはおるぞ」と言いたいと思いました。「おらんことはないぞ」っていう気持ちですね。

    ――『人間』を書いてみて、ご自身に変化はありましたか。

    20代くらいのときには考えたこともなかった、「芸人を辞める」とか、「東京で表現というものから身を引くこと」について考えるようになりました。自分にとって一番楽しいことや、自分の幸福を求めること、ほんまにやりたいことをやっていくのもいいなとか。今、一番やりたいのはお笑いだったり、小説みたいになにかを作るとかです。ただ、「絶対そうじゃなきゃあかん」という意識からは抜け出したかもしれません。なんでもいいかな、みたいな。

    実際には、今やっている仕事を辞めて「何でもやれる」と思ってやり始めようとしたら、すごい体力や勇気がいります。しんどいこともあって「(今までやってきたことを)やってればよかったな」って思うことも多いはず。だけど、「選択肢」としてはある。今までは「ない」とばかり考えてしまっていたところがありました。

    ――『人間』を読むと、今まで見ていなかった、見えてなかった存在に気づくようになった。

    学生時代は、甲子園を見ててもピッチャーとか4番の人がかっこよくて。ベンチで応援してる人を見て「テレビに映りたくないんちゃうかな」って思ってたんですよ。俺が3年で補欠だったらこんなん映してほしくないわ、って思っていました。でも、大人になってみると、応援してるやつとピッチャーの価値がまったく一緒なんですよ。僕がそういう風に思えるようになったのは、ここ何年かのことです。ほかの人は最初からできていたのかもしれないけれど、僕は苦手だった。『人間』の執筆を通して、それができるようになってきたのかなと思いました。

    人生って、目標や「成し遂げたいこと」を設定するのはいいと思うけれど、そのことに苦しめられる必要はないのかなと考えるようになりました。仕方がないことっていっぱいあるので、そんなことよりも「生きてる」「楽しく暮らしてる」、「やりたいことをやっている」ことの“瞬間的な美しさ”がいいものだって思うようになりました。

    ――本日はありがとうございました。

     

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