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「テーブルの上のりんごは、もしかしたらりんごではないかもしれない」
「やりたくないことがいっぱいあるから、自分の代わりを作りたい」……
日常のささいなことを取り上げながら、しのばせられた“本当のテーマ”に大人も唸る、ヨシタケシンスケさんの“発想絵本シリーズ”。
6月末に発売されるや大反響を呼んでいる第4弾は、『ころべばいいのに』というちょっとドキッとするタイトル。第3弾で“死”をテーマにしたヨシタケさんが、今回取り上げたのは……? たっぷりお話を伺いました!
ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。 筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、挿絵、 装画、イラストエッセイなど、 多岐にわたり作品を発表。 絵本デビュー作『りんごかもしれない』で、 第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞、『このあと どうしちゃおう』で第51回新風賞、『もうぬげない』でボローニャ・ラガッツィ賞特別賞など、数々の賞を受賞し、注目を集める。絵本に『りんごかもしれない』『ぼくのニセモノをつくるには』『このあと どうしちゃおう』『もう ぬげない』『こねて のばして』(ブロンズ新社)『おしっこ ちょっぴりもれたろう』(PHP研究所)、『あるかしら書店』(ポプラ社)、『それしかないわけないでしょう』(白泉社)などがある。2児の父。
―― 『りんごかもしれない』『ぼくのニセモノをつくるには』『このあと どうしちゃおう』ときて、今作は『ころべばいいのに』。今回は女の子が主人公で、「わたしには きらいなひとがいる。なんにんか、いる」「みんな いしにつまづいてころべばいいのに」という、思いっきりイヤ~な気持ちになっている場面から始まります。
これまでの3作はみんな同じ子が主人公なんですが、今回はシリーズで初めて別の子を主人公にしました。これまでの主人公はホワーンとしたちょっと不思議な子で、僕の一部を具現化しているわけなんですけど、でも「人を嫌う」となると、この子ではすぐ忘れそうだし、そもそもそんなに悩まなそうだなと思って。
でも一方で僕自身は、憎しみに囚われてダメになっちゃうときがある。それをこの子に負わせることはできないなと思ったんです。もっと感情の起伏が激しい子の話にしたくて、ひと目で「別の子だ」とわかる、何もかも真逆のキャラクターにしようと思いました。
―― 前作も“死”がテーマということで反響を呼びましたが、今回の“負の感情”というテーマも、驚いた読者が多かったのではないでしょうか。
前作『このあと どうしちゃおう』が2016年に出た本で、昨年あたりから「そろそろ4冊目を」という話になっていたんですが、前作はけっこう力を入れて作って、僕自身も気に入っているので、「この続きということは、それなりのものを作らなきゃいけないぞ」と、僕にとってもなかなかハードルが高かったんですね。なので、テーマを何にしようというところからすごく悩みました。
『りんごかもしれない』は「一つのものをいろんな角度から見てみる」というお題から生まれた本で、『ぼくのニセモノをつくるには』も「アイデンティティをテーマにしましょう」とお題をいただいて作った作品なんですが、『このあと どうしちゃおう』は僕自ら“死”というテーマを選んで書いた絵本でした。今回もいろんなテーマが考えられましたが、“負の感情”というのが当時僕の中では一番関心の高かったことだったので、最終的にこれに決めました。
でも実は、もともと“負の感情”は絵本にするつもりではなかったんです。当初はもうちょっと大人向けの本にする予定でした。
―― それはどうしてですか?
誰にとっても何かしら思うところがあるはずなので、テーマとしては“死”と同じくらい普遍性があって、アプローチすること自体には意味があるはずだと思いました。
でも「嫌いな人っているよね」って、子どもに伝えるのがすごく難しいんです。一つ言い方を間違えると、「人を嫌っていい」「いじめてもいい」というふうに誤解されてしまう可能性もある。だから“発想絵本”のテーマにするのは難しいんじゃないかなと思っていました。
でも、編集者さんに「大人・子ども関係なく普遍的なテーマだと思います」と背中を押していただいて、「じゃあ、やってみます」とスタートしたんです。
―― 負の感情のなかでも“嫌い”という気持ちって、攻撃性をはらむ場合もあってすごく強いですよね。それに囚われてしまうことは、大人になっても多いです。
僕自身、嫌いな人が何人かいて、そのことを考え始めると仕事が手につかなくなってしまうんです。それくらい嫌いなんですけど、それに引きずられると僕自身が困るんですね。
そういう「どうにかしたいけど、どうにもならない」「でもどうにかしたい」っていうモヤモヤを何よりも僕自身が抱えていて、嫌な気持ちとの向き合い方について「こういう考え方もできるんじゃないか」という提案をしたいなという、切実な動機がありました。
―― ヨシタケさんはイラストレーターになられる前、会社勤めをされていたときに、嫌なことや愚痴をイラストで描きつけていたのをきっかけに、現在も手帳にいろんなことを書き留めていらっしゃるんですよね。
そうですね。この手帳は、愚痴に限らず思ったことをどんどん描いて、自分を一生懸命面白がらせることで、どうにかして囚われていることから違うところに目を向けさせようとした記録です。これは僕にとって本当に大事で、必要な作業なんですよね。
イラストは、嫌なことも含め、目についた事実の“一つ後のコマ”を勝手に考えるというのが多いですね。「あの後にこういうことがあったら面白いんじゃない?」「あの人がこういうところの出身だったら面白いよね」とか。そうしていないと、どんどんネガティブになってしまうんです。それは、もともと僕が持っている“心の癖”ですね。
そういう意味では『ころべばいいのに』は、創作活動の原点でもあるし、僕が普段からやっていることを違う形で本にしたという言い方もできると思います。この本が、「僕はこういうやり方を発見したよ」「あなただったらなあに?」「何をすると一番気が紛れる?」っていう問いかけや、気が紛れるものを探すきっかけになったらいいなと思います。
―― 『ころべばいいのに』というタイトルもそうですけど、最初から憎しみの存在を認めているところや、「結局嫌な感情ってなくならないよね」という身も蓋もないところに、ヨシタケさんならではの軽やかさがあるなと思っています。
“負の感情”をテーマにした本って、たいてい「嫌わないようにしましょう」「その人のいいところを見つけてあげましょう」という内容なんですよね。それは理屈では正解だとわかるんだけど、それができないから困っているわけじゃないですか。それに、あれこれ考えたところで、嫌な感情って遠ざかりはしても、消えてはくれないですよね(苦笑)。嫌いな人を、嫌わなくなるのは難しいです。
子どもの頃から、「そんなにうまくいくわけないでしょう」って思っていたんですよね。だから、そういうことを端から諦めて「嫌いな人って、いるよね~」「だめなときって、理屈で何を言ったって無駄だよね~」と憎しみを肯定する。嫌いな気持ちは“嫌いな気持ち”のまま、エネルギーの方向をちょっと変えることで、どうにかポジティブな方向に自分を持っていくパワーにできないだろうかと考えていました。
どのテーマにしてもいろんな着地点があっていいわけで、“小さい頃の僕”と“今の僕”、どっちにとっても気持ちのいい着地点を、自分のために見つけてあげたかったんです。
それが、憎しみからどれだけ距離をとれるかという試行錯誤を描くことになりました。「楽しいことを考えていたら、いつの間にか憎しみが置いてけぼりになっていた」というのが、この絵本でのハッピーエンドです。
――「つべこべ言っても、憎しみは最初からあります」と。
そうです。最初からあります、こんなにあります、というふうにしたかったんですね。
やっぱり今回はタイトルでびっくりされる方が多かったですけど、「人を好きになろう」みたいなタイトルにするのは僕が一番やりたくないことだったので、だったらもう、思い切って負の感情を爆発させてやろうと。そのうえで「びっくりしたでしょう。でも、ちょっと聞いてちょうだい」というふうにしたかったんです。
というのも、最近僕が考えていることの一つとして、「世の中にはやっちゃいけないこと・言っちゃいけないことはたくさんあるけど、“思っちゃいけないこと”ってないはずだ」というのがあるんです。
「してはいけないこと」と「思ってはいけないこと」って、混同しがちですけど別のことなんですよ。「人の不幸を願ってしまった」「自分はなんてひどいことを考えてしまったんだ」と落ち込んだり、傷ついたりすることってありますけど、言わなければ誰にもわからないんだから、思うこと自体は自由だし傷つく必要はないんです。「自分のモヤモヤをわかってほしい」という気持ちがあって、だから人に言ってしまうというのもよくわかりますけどね。
―― この本も「思ったこと」だけで構成されていますね。嫌いな人に直接「なんでこんなことするの?」と聞いたりもしないし、そのことを誰かに相談したりもしていないです。
本にする以上“ことば”にはなってしまうんですけど、この本では「主人公が、誰にも相談せずに、自分の力で着地点を見つける」ということを大切にしました。
困ったときの解決策によくあるのが「誰かに相談しましょう」なんですけど、それはしたくなかったんです。なぜかというと、僕自身が相談できない子だったし、相談しない子だったから。「先生に話してみましょう」「お父さん・お母さんに聞いてみましょう」「仲のいいお友達に相談してみましょう」ってよく言いますけど、それができない子・しない子って絶対にいるんです。逆に、それができる子は、誰かに言われなくても自分からバンバン相談していると思います。でも「まずは誰かに相談しましょう」とアドバイスされた時点で、相談できない子は「相談できる相手がいない僕は、このままでいるしかないのかな」と置いてけぼりになってしまうんですよね。
あくまで自分で何かしらの決着をつける本にしたかったんです。それが、子どもの頃の自分が読みたかった本だから。
―― 誰かに相談するって、「わかってもらう」「ヒントをもらう」2つの役割があると思うんですが、今作ではそれをせずに着地点を見つけたいわけですよね。プロセスはどのように考えましたか?
それが、この本で一番難しかったところです。
今日見つけた着地点は正解じゃないかもしれないし、明日もこの方法がしっくりくるとは限らない。それから「その時その時に、自分にとって一番都合のいい方法を採用するしかないんだよね」という結論だけじゃなくて、「あれこれ考えても、嫌いなやつがいなくなるわけじゃないし、悩みも消えない」「自分でどうにか気を紛らわせていくしかないんだよね」っていう当たり前で身も蓋もないことを、面白おかしく表現する本にしたかった。そういう“やりたいこと”ははっきりしていたんですが、方法がなかなか見つからなくて……。
なぜ難しかったかというと、主人公が子どもだから、いろんなことに考えを巡らせるほどものを知らないはずなんですよね。「この子はどんなふうに、“嫌な気持ちをどうにかするアイデア”を出していけばいいだろう」というところが本当に難しくて、しばらく筆が止まってしまいました。
結局、最初は女の子が家で悩んでいるシーンから始めるつもりだったんですが、編集の方からの「この子はなぜお母さんに相談しないんでしょう?」という疑問をきっかけにして、「じゃあ家の外にしよう」「下校途中なら、まわりに相談できる人が誰もいないな」と思いついて、「下校途中で耳に入ってくる“他人の会話”が手がかりにできそうだ」「それならやりたいことが全部できるな」ということになりました。
―― もう一つ気になっていたことがあるんですが、この本、主人公が嫌な気持ちになった“原因”が一切書かれていないですね。
それが、この本でもう一つ大事にしていたことです。
理由は『このあと どうしちゃおう』でおじいさんの死因を書かなかったのと同じで、「身近な人が亡くなったことをどう受け止めるか」「嫌な気持ちになったとき、どうすれば“普通”の状態に戻せるか」を提案したかったから。人を嫌いになる理由ってさまざまだから、原因を突き詰める方向へ向かうと、そこでもやっぱり誰かを置いてけぼりにしちゃうんです。たとえばもしこの子がいじめられているんだとしたら、「どうにかこうにかやりすごそう」では済まないし、議論の対象が“嫌な気持ち”じゃなくて“原因”のほうへ向かってしまいますよね。
だから、実はこの本で最も避けなければいけなかったのが、「この子がいじめられてるように見えるような描写を一切なくすこと」でした。
―― そうなったら、「みんなでいじめっ子をこらしめよう」という展開になってしまう可能性だってありますもんね。
そうなんです。そうすると、今度はいじめっ子が置いてけぼりになってしまいますから。そういう要素を丁寧に削っていく作業が、思った以上に大変でした。
―― とはいえ、主人公がその子を嫌いであることには変わりないという……。最後のページは特に印象的でした。これをどんなシーンだと思ったか、いろんな人に聞いてみたいです。
この悪魔みたいなキャラクターは、もともとは大人向けの本にするつもりだったので、当初の構想では登場する予定じゃなかったんですよね。
本来悪意はその人自身にくっついているもので、「嫌いな人が損をするためならどんなことでも頑張れる」というモチベーションの上げ方をする人だっていていいと思うんですけど、それをそのまま子どもに伝えるわけにいかないじゃないですか(笑)。だから“あいつの嫌な部分”を別のものに置き換えて、「自分に損をさせることで得する者がいる」「こいつに得をさせるわけにはいかないから、嫌な気持ちのままでいるわけにはいかない」という方法にしたんです。それって一言でいうと、「罪を憎んで人を憎まず」ってことなんですけれど。
でも、人情として「とはいえこの人が憎い」という気持ちも認めたい。だから最後のページは、この子が悪魔を睨んでいるのか、それとも嫌いな子を睨んでいるのか、どちらにも取れるようにしたんです。
―― この子の明日のようすが気になりますね。
王道のストーリーなら、悩みごとが解決して終わりですよね。いかにも「万事解決、もうこの子が悩むことはありません」という感じで終わるんだけれど、本当は嫌な気持ちってなくならないし、また悩むときがくるじゃないですか。
本の見返しを見てみてください。朝、嫌な気分で目が覚めて、嫌だな~って思いながら身支度をして、学校には嫌いなやつがいるから嫌な気分で、それで下校したところから本編が始まる……という前日譚になっていて、背表紙のほうの見返しも本編からつながっているんです。
―― あら、最後はいい顔になってますね(笑)。
でもきっとこの子、明日の朝にはまたイヤ~な気持ちになってると思うんですよ(笑)。
でも、毎日ってそういうことですよね。それでも、上手に気を紛らわすことができればきっと大丈夫なんです。そのことこそが、救いになると僕は思っています。
―― ここからは、ヨシタケさんご自身についてのお話をもう少しくわしく伺いたいです。子どもの頃、どういう絵本がお好きでしたか?
読み聞かせをたくさんしてくれる家庭で、嬉しいし楽しかったんですけど、してもらえばしてもらうほど「自分のペースで読みたいな」って思っていました(笑)。好きなページを、好きなだけ見るのが絵本の楽しみでしたね。
特に好きなのは、かこさとしさんの『からすのパンやさん』で、最初に「絵本を描きませんか」と声をかけていただいたときも、一番最初に「こういう絵本にしたい」と頭に浮かんだのは、いろんなパンがひたすら並んでいる見開きのページでした。
まさかこんなにたくさん本を描かせてもらえるなんて思っていなくて、あの一冊きり(『りんごかもしれない』)だと思っていたので、「好きだった絵本の要素はぜんぶ入れたい」と思って『からすのパンやさん』をもう一度読んで研究しようと本を開いたんですよ。そうしたらびっくりしたんですけど……。
―― 何があったんですか?
僕、『からすのパンやさん』のお話をまったく覚えていなかったんです(笑)。なぜパン屋さんを始めようと思ったのかとか、あのパンのページの後どうなったのかとか、このときに読んで初めて知りました。
―― 本当にパンしか見ていなかったんですね(笑)。
そうなんです、本当にあの2ページしか頭に残っていなかった。ストーリーよりも情報量の多さにドキドキする子どもだったんですよね。だから図鑑も好きだったんですけれど。
でも、それってすごいことだなあと思って。ほかのことを丸ごと忘れても、あの2ページだけでその絵本のことをずっと好きでいられるんですよ。「絵本ってそういうものだな」というのを、そのときあらためて思ったんです。
隅から隅まで全部楽しんでもらう必要はなくて、「あの絵本のあのページがとにかく怖くて触るのも嫌だった」というので十分だし、「なんだかすごく変なにおいがした」「最後のページが破れていた」とか、そういうことのほうが記憶に残りやすいんですよね。面白い媒体だなと思います。
―― 本作に限らず、「お子さんがいらっしゃる」というところは創作に大きく働いていますか?
すごく大きいですね。僕は子どもがいなかったら絵本を描けていなかっただろうと思っています。
もともと、どの本も“子どもの頃の自分”が不思議に思っていたことに答えを出したり、楽しんでもらったりするために描いているんですけど、子どもを見ていると、やっぱりかつての自分と同じことをやっているんですよね。
同じことで怒られて、同じことで理不尽を感じて怒っている。その姿に、忘れかけていた“かつての自分”を思い出させてもらったり、「こう思っていたのは自分だけじゃないんだな」と背中を押されたりしています。
一方で「そういう面は自分にはなかったな」というところもあって、それもすごく勉強になるんですよ。親子とはいえ他人なので、“ものごとの境界線”がよく見ると自分と違っていて、「人って思っているほど一緒でもないし、違ってもいないんだな」と実感します。そういうところを見ながら、気持ちいい関係になれるポイントをちょっとずつ修正していく作業も面白いです。
―― ヨシタケさんの絵本は、そういう「ちょっと気になっていたこと」を拾って丁寧に観察したり、面白い方向に転換してくれるところも魅力だと思っています。今はどんなことに興味がありますか?
いくつかあって、先ほどお話しした「思っちゃいけないことって、ないはずだよね」というのは、あらためてテーマにしたいなと思っています。
それとは別で、絵本を描くことに対する姿勢として、負の感情や、死、病気、障害のような複雑で扱うのが難しいと思われているテーマと、「おしっこがいつもちょっと漏れちゃう」「服が脱げなくなっちゃった」というくだらないテーマを同じ熱量で扱って、どちらにも丁寧に言葉をつけていきたいという思いはずっと持っていますね。
言いにくいことや話題にしにくいことも、絵本にすると話し合うきっかけになるじゃないですか。それに価値観って、一つに統一されるものじゃなくて、本来それぞれ個人が勝手に決めること。くだらないことを高尚なもののように見せたり、深刻なことをくだらないことのように見せたりして「実はこういうことなんじゃない?」と価値観をシャッフルすることで、読んでくれた人が「じゃあ自分にとって大事なことって何だろう」と考えるきっかけになってくれたらいいなと思います。
言い方を間違えると誰かを傷つけてしまうことにもなりかねないから、とても気を遣うんだけれど、チャレンジする価値はあるはずです。その結果、読んだ人が「僕はそうは思わない」という感想を持ったとしても、それも立派なアクションの一つだし、その本の存在価値だと思います。
特別企画:みんなの「はげましアイテム」大募集中! 『ころべばいいのに』に挟み込まれているシートに自分の“はげましアイテム”を描いて応募すると、抽選でヨシタケシンスケさんのイラストが入った「モヤモヤした気持ちを水に流せるメモ」(非売品)が当たります。
【応募期間】第1期:2019年6月19日(水)~8月31日(土)/第2期:10月1日(火)~2020年1月31日(金)/第3期:3月1日(日)~5月31日(日)