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今年5月、写真家・幡野広志さんによる著書『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』がポプラ社より発売されました。
2017年1月、34歳のときに余命3年の末期がんであることを宣告され、SNSやブログ(現在はnoteへ移行)でさまざまなことばを発信してきた幡野さん。その後写真集を含め2冊の本が出版されていますが、今作は幡野さんいわく「何が何でも出したかった本」なのだそうです。
タイトルの「ぼくたちが選べなかったこと」、そして「選びなおす」とはどういうことなのか。幡野広志さんにお話を伺いました。
©Yukari Hatano
幡野広志(はたの・ひろし)
1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。
―― 2018年8月に初著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』、今年3月には「海上遺跡」「いただきます、ごちそうさま。」「優しい写真」の3作品を一つにまとめた初めての写真集『写真集』が刊行されました。今作は、著書としては3冊目です。
そうですね。本が出るまでの間にもWebでいろいろ書いたりしているので、毎日何かしら書いているような感覚です。
―― 以前は写真集の依頼があってもすべて断ってきたと伺いました。そんななかで今、続けて本を出されているのはなぜですか?
Webでもいろいろ書いてはいますが、書籍を出そうと思ったのには理由があって。知り合いの写真家の方がいて、子どもがうちの子と同じくらいの歳なんですけど、あるとき隣の家が火事になっちゃって、その写真家さんの自宅にあったパソコンも写真も、写真集も、子どもが書いてくれた手紙も、全部ビショビショになっちゃったそうなんです。その話を聞いたとき「家に残しておくのもリスクが高いんだな」と思って。
書籍にして全国の書店に置いてもらえたら「日本中のいろんなところにある」という状態になるので、そのほうがいいなと考えたんです。
―― そのなかでも『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』は、特別思い入れの強い一冊だそうですね。
そうです。自費出版でもいいから出したい、何が何でも出したいと思っていました。
本当は一番最初に出したかったくらいなんですよ。cakesやその他メディアの連載も、SNSやブログの更新も、この本にたどり着くために続けてきた、といっても過言じゃないんです。
それくらい、この本には、いろんな人に知ってほしいことを書きました。
―― 幡野広志さんのことを“若くして末期がんを宣告された写真家”と認知している方も多いかもしれませんが、この本は「がんという病気」や「がん患者の思い」を書いた本ではありません。もちろん書かれてはいますが、大事なところはそこではないですよね。
病気になると、確かに体調は悪くなるんですけど、それは病気だからしょうがないことだし、薬である程度抑えたり治せたりしますよね。だけど実際は、多くの患者さんが、病気よりも“薬じゃ治せないこと”で苦しめられている。
でも、自分の心がけ一つで、他人を苦しめることもせず、他人から苦しめられることもなくなるんです。今回の本では、どうしてもそれを伝えたいと思いました。
―― そういうふうに思われるようになったのには、何かきっかけがあったんですか?
2017年12月に「がんになりました」とブログで公表した後、たくさんの方からメッセージがありました。応援の言葉も多かったんですけど、そのなかで感謝のメッセージをいただくことがあって、そこには「実はわたしも……」というご自身が抱えている“誰にも言えないこと”が書かれていたんです。がん患者の方もいましたし、心の病に苦しんでいる方、DVやいじめに苦しんでいる方、薬物やアルコールの依存症の方、本当にさまざまな方からメッセージが届きました。
それで放射線治療が終わった頃、最初はほとんど好奇心で、30人くらいの方にお話を聞きに行きました。
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』にはKさん、Mさん、Tさんという3人のお話を収録していて、これは実際にお会いした順でもあるんですけど、話を聞きに行った方のなかで一番最初にお会いしたのがKさんです。
―― 先ほど「がんのことを書いた本ではない」という話をしましたが、3人のなかでがん患者なのは、このKさんだけなんですよね。
そうそう。お互いがん患者で、僕は写真家、Kさんは画家という“属性の近さ”もあってお会いしました。
でも話を聞いていると、一見病気で苦しんでいるように受け取られがちだけど「これ、結局のところ病気で苦しんでいるわけじゃないな」「親子関係で苦しんでいるんだ」っていうことにすぐ気づいたんです。
―― そしてそれは、Kさんに限った話ではなかったと。
それ以前から、病院でがん患者だけを集めた話し合いというか、グループセラピーみたいなものがあって、僕も何回か参加していたんです。そこで出る話題っていうのが、病気のつらさとかじゃなくて、家族と医者に対する不満・文句ばっかりなんですよね。
それもあって、最初の頃はがん患者さんにお会いしようかなとも思っていたんですけど、親子関係に苦しんでいる人のほうが圧倒的に多いんだなと思って、縁のあった方に話を聞きに行ったという感じです。
©Hiroshi Hatano
―― 数ある人間関係のなかでも、親子って特に難しいなと思います。
そうですよね。親って、選べないですからね。会社に嫌な上司がいたって無視すれば済むんだけど、親子になるととたんに無視できなくなっちゃう。
そんなの間違ってるって思いません? 誰のもとに生まれてくるかは選べないけれど、親子関係をそのまま続けていくか、断ち切って別々の道を歩むかは、選べてもいいはずじゃないですか。
―― なんというか、「血がつながっている」というのをいろんな理由にしがちだなと思っていて。無意識のうちに「一番わかり合える関係」だと思ってしまっていて、それが断ち切れない理由の一つにもなっているような気がします。
一般的な認識はそうですよね。でも、「わかり合える」ということでいうと、先ほどグループセラピーの話をしましたが、やっぱりみんな「家族がわかってくれない」と言っていました。
その一方で、がん患者の家族の方に会うと「(患者さんが)何を思っているのかわからない」って言うんです。つまりお互いわかってないんですよ。一番わかり合える関係だと思っているかもしれないけど、全然わかってない。それでいて、腹を割って話し合うでもなく、ぶつかるでもなく……。
これって、人間関係としてはあまりいい状態じゃないですよね。これが恋人だったら、たぶん喧嘩したり、言いたいことを言って、嫌になったらきっぱり別れられるのに。
―― そうなんですよね。でも「わかってほしい」と思われていないのもつらいというか。実は私、家族から、手術も何もかも全部終わった後に「実はがんだった」と言われたことがあって……。
ああー。それ、本当によく聞くんですよ。つらかったですよね。
―― ひそかに、かなりこたえました。
こっちにとっては戦力外通告ですよね、それって。“家族”のなかにもう一つ“本当の家族”の枠があって、自分がその枠の外にいるような。
僕も、僕の妻もそうなんですよ。僕の父親は、亡くなる4~5年前からがんを患っていたはずなのに、知らされたのは亡くなる2~3か月前でした。確かそのとき、18歳だったかな。妻なんて、お父さんが亡くなった後に「死因はがんでした」と知らされてますからね。
隠している側の人たちは「あなたのためを思って」と言うのかもしれないけど、僕はそれ、全部自分自身のためだと思ってます。「教えてあげないほうが幸せだから」とか「知ったら悲しむから」ってよく言いますけど、それを裏返した本当のところは「自分の口から説明したくないから」「その人が悲しむのを受け止められないから」ですよ。
「おじいちゃんに教えちゃダメだよ。ショック受けちゃうから」っていうのは、「ショックを受けているおじいちゃんを見たくない」なんです。
―― こっちは悲しいし、向こうはよかれと思ってやっているし、うまくいかないですねえ。もし手術が成功していなかったら、自分のことを憐れんだり、教えてくれなかった親を恨んだりしていたかもしれないです。
さっき話した父のことですけど、がんだというのはわかっていたんですが、僕、くわしいところまでは亡くなるまで知らなかったんですよ。葬式のときに「お前の父さんはこうだったぞ」みたいな話をされて。それもよくないなと思ったんですよね。
だから僕、息子が4歳か5歳くらいになって、今よりもう少し抽象的な認識ができる年齢になったら、すぐに自分の病気のことを伝えようと思っています。
誰かから「君のお父さんはこうだったよ」と言われるより、僕が直接伝えたほうが絶対にいいもの。
―― 変な味付けされそうですもんね。
そうそう、そうなんです。他人が話すと、感動話にされちゃうので。
前の本も、今回の本も、本というものを書いたおおもとの理由は、自分の息子に「お父さんはこんな人間だったんです」って直接自分の言葉で伝えるためでした。手紙でもWebでも、当の本人が形として残しておけば、読めばすぐわかるので。僕がいなくなったあと、第三者の余計な言葉に惑わされないように、というのはいつも考えています。
僕がいなくなったら、たくさんの大人たちが僕の存在を使って、僕の名を騙って、息子をコントロールしようとしてくるはずなんですよ。「お父さんは、そんなの望んでないと思うよ」みたいな。そういう大人たちの嘘を、僕は何とか跳ね返さなきゃいけないんだけど、やっぱり息子自身に自分で気づいてもらわなきゃいけない。そのための“本”でもあります。
©Hiroshi Hatano
―― この本は『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』というタイトルですが、幡野さんが「選ぶ」ということを意識するようになったのはいつ頃からですか?
そうだなあ……、やっぱり、病気になってからですかね。病気になってから、それまでのいろんな人間関係が崩れちゃって、「こんなものを大切にしていたのか、くだらないな」って思っちゃったりもして。
病気になると、どうしても孤独と向き合わなければならなくて、そういうときに「本当に必要な人間関係」を選べるほうがいいなって思ったんですよね。どうでもいい人との関係に引っ張られている暇はないんですけど、実際には病気になると、そういう人につかまっちゃうことが多いんです。
それは他人との関係だけじゃなくて、親戚も、親子関係もそうです。
―― もう一つ、幡野さんは「死に方」も選んでいらっしゃいます。
そうですね。たぶん僕、「今日本で一番安楽死にくわしい人」を調べたら10位以内に入ると思います。安楽死については、それくらい勉強しました。実際に海外の団体に登録もしていますし。
―― 安楽死に対しては、肯定派も否定派もいますね。ただ、私は是非以前に、安楽死を決断されたことを純粋に「すごいな、本当に決めたんだ」と思いました。
リラックスして、自分のタイミングで確実に死ねるというのが、安楽死の一番いいところだと思います。その対極にあるのが、病院で死ぬこと。病院で亡くなる人って多いんですけど、生き地獄のような思いをして亡くなる人も少なくないそうです。
なかでもがん患者は、年に40万人くらいが亡くなっていますが、そのうちがんではなくて自殺で亡くなる方も多いんです。数字にして、健康な人の24倍くらい。
―― そんなに多いんですね。
でも僕、その気持ちすごくよくわかるんです。がんになるって、そういうことなんですよ。今までできていたことがどんどんできなくなっていって、それって、社会から戦力外通告を受けるようなものだから。
家族やよい医療従事者に恵まれれば、比較的いい死に方ができますけど、なかなか難しいですよね。たとえばこの間、病院経営者の方にお会いしたら、病院で死ぬ人の7割は「不幸」、つまり7割は満足いっていない死に方をしているっておっしゃってました。さっき毎年40万人のがん患者が亡くなっていると言いましたけど、そのうち何万人くらいが地獄を見ているんだろう。毎年毎年苦しみながら亡くなってる人がこれだけいるのに、なぜ安楽死が日本ではできないのかなって、よく考えます。
がん患者の自殺についても、僕は否定しません。健康なときは「自殺なんかしなくていいじゃん」って思ってたけど、自分が病気になるとわかりますよ。僕は「じゃあ海外へ行って死にます」という道を選んだけれど、そっちを選べない人のほうが圧倒的に多いですから。だって、家族がそれを許さないでしょう。
―― 生き死に以前に、病気になった時点からベッドに縛り付けてしまう家族は多いといいますからね。
そうなんですよね。僕、この間入院していたんですけど、同じ病室に胃がんの50歳くらいの女性がいて、その方があるとき毛糸の編み物を始めたんです。これから暑くなるっていうのに(笑)。きっと、大切な趣味だったんでしょうし、がんになると本当に暇になっちゃうんですよ。それなのに、編み物をしていた彼女に、家族の方が「そんなことしてないで休んでなよ」って言ったんです。「ああ、趣味や生きがいまで奪っちゃうんだなあ」と思って。
「この人を本当に殺そうとしているのはあなたですよ」って言葉が、喉元まで出かかりました。これまでお会いしたがん患者の家族のなかにも、患者さんに自分の考えを押し付けたり、生きがいを奪ったり、そういう人がたくさんいました。
でもたぶん、そういう人たちってもともと、根底のところでは関係が悪かったんじゃないかと思います。それが病気によって露呈してきたんじゃないでしょうか。結局その女性は、編み物をやめちゃいましたけどね。
――「家族に言われたら聞くしかないや」って、思っちゃうんですかね。
健康なときは「しょうがないな」でもいいかもしれないですけど、「本当は続けたかった」という気持ちは残ると思いますよ。それが大きくなると、家族への不満になるんです。恨みが溜まるだけですよ。
―― ちなみに幡野さん、今、体はおつらくないんですか?
大丈夫ですよ。がんの種類や病状によっても大きく変わると思うんですけど、僕は要するに血液のがんなので、見た目はそんなに変わらないけれど、免疫力がすごく下がっちゃうんです。だから極端な話、インフルエンザになったら死ぬ。風邪とかも、以前は薬を飲めば1~2日で治るところ、たぶん10日くらいかかると思います。食中毒にも気をつけなきゃいけないですね。
―― そうなんですね。今、依頼があれば全国どこへでも写真を撮りに行っていらっしゃいますけれど……それって、いろんな危険に自ら身を置きに行っているってことですよね。よくないという話ではなく、怖くはないですか?
そんなに気にしなくても、普通に聞いてもらっていいですよ(笑)。全然怖くないです。ここ(今回の取材場所)へ来る途中でだって風邪をひくかもしれないし、ネパールに行くのも変わらないです。リスクの話をし始めたらキリがないけれど、それを気にしちゃう人は多いし、自分のことじゃないのに「安静にしていろ」と押し付けちゃう人もいる。
でもそうやってリスクのない場所にいるのって、死ににくくはなるけど、本人が生きやすいかっていうと全然違う話ですよね。
©Hiroshi Hatano
―― 今は何をするのが一番楽しいですか?
今は、子どもと遊ぶのが一番楽しいですね、やっぱり。あと僕、意外と一人が一番好きだったりするので、撮影は基本的にアシスタントもつけないですし、日本中いろんなところへ行って写真を撮るのはやっぱり気楽で楽しいです。飛行機も好きなので、空港で飛行機に乗る前なんかドキドキしますね。
明日死ぬんだったら、僕も飛行機なんて乗らないと思うけど、まだあと1~2年あるなら好きなことをしたいです。
―― それも、どうやって日々過ごすかを「選ぶ」ということですね。一方で、病気で余命を宣告されたとき、お医者さんに「これからどうしますか?」と聞かれて「任せます」と答える人がかなりいるそうですが。
60~70代の患者さんとか、特にそうですね。「全然わかんないんで、先生決めてください」って、生き方まで他人に決めさせるような人がけっこういるんだな、ということも病気になってから知りました。
今、Webで人生相談をやっていても「どうしたらいいですか」という質問がたくさんきます。そういう人たちって、たぶん子どもの頃から周りにいろんなことを決められて生きてきたんだと思うんです。「ああしなさい、こうしなさい」と言われてきた人って、やっぱり決める力がないですよ。仕事にしても、結婚相手にしても。死に際なんてなおさら決められないから、苦労すると思います。でもそれも、本人が全部悪いというのではなくて、結局自分の方針を押し付けている親に原因があると思っています。
考えることって、大事ですよ。僕も子どもに対しては、食事にしろ、スーパーで買うお菓子にしろ、必ず自分で選ばせるようにしています。着る服も、必ず2つ用意して「今日はどっちを着る?」って。そういう“小さな選択”を積み重ねて、ちゃんと選べる人になってほしいです。何度も何度もやっていると、すぐ「こっちにする」って選ぶようになりますよ。
―― 大きな決断に直面する前に小さな「選ぶ」を積み重ねていくことの大切さ、それから選べないと思っていることも実は「選べる」ということが、お話を伺ったことでさらにしっくりきました。
どんな人でも、加害者にも被害者にもなりうるということを知ってもらって、被害者にも加害者にもならないという選択肢を選んでほしい。だから、今病気で苦しんでいる方、その家族だけでなく、この本は健康で、未来がある人にこそ読んでほしいです。
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』は、そういう人たちのために書きました。
―― 本日はありがとうございました!