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書店に欲しい本を買いにきたのに、「本のタイトルが思い出せない」という経験は誰にでもあるもの。
本格ものからライトなものまで、さまざまなミステリーで読者を楽しませてくれる似鳥鶏さんも、以前、そんな場面に出くわしたそうです。
今回は、そんなエピソードと書店員さんのあの探偵張りの能力について、似鳥さんがまるで掌編小説のような楽しいエッセイを寄せてくださいました。可愛らしいイラストともにお楽しみください。
似鳥 鶏
にたどり・けい。1981年千葉県生まれ。2006年『理由あって冬に出る』で第16回鮎川哲也賞に佳作入選しデビュー。「戦力外捜査官」シリーズ、「楓ヶ丘動物園」シリーズ、『シャーロック・ホームズの十字架』『叙述トリック短編集』『100億人のヨリコさん』『彼女の色に届くまで』『名探偵誕生』『そこにいるのに』など著書多数。
本屋さんで「この本が見つからないんだけど」と尋ねてくるお客さんは8割方タイトルを間違えている、と言われます。これは当然といえば当然の話で、タイトルを間違えたまま探しているからこそ正解の本が見つからず、見つからないからこそ店員さんに尋ねてくるのです。
もともと本のタイトルというのは『QJKJQ』だの『君の膵臓をたべたい』だの、普段使わない語法や言い回しが多く、自分の語彙にないタイトルの本は間違えがちです。もう10年以上前になりますが、某書店で上品な初老の奥様が、店員さんにメモを見せて「この本を探しているのですけど」と相談していました。
ここで参考までに、当時『ワルボロ』(ゲッツ板谷)というヤンキー小説がヒットしていたことを補足しておきます。
さて、おそらくお子さんに頼まれ、忘れないようにメモをしてきたのでしょう。奥様の手帳には上品な手書きで、お探しの本のタイトルが書かれていました。
『ワルロボ』
私の頭の中に一枚の絵が浮かびました。
なんでそんなカワイイ間違え方を。
奥様の中には『ワルボロ』そしておそらくは語源である煙草の「マルボロ」という語彙がなかったのでしょう。一方で「ロボ」という単語はあったのでしょう。あまりに可愛いので私は横で、吹き出すのをこらえるのに必死でした。こらえながら心の中で「おばちゃん! ロボちゃう『ワルボロ』やワ・ル・ボ・ロ!」と似非関西弁でつっこんでいました。
私は奥様がご自宅を出る際、息子さんに本を買ってくるように頼まれている場面を想像しました。息子さんはきっと中学1年生くらい。背伸びしたいけどまだ微妙にお母さんに甘えたい部分も残っている年頃です。
「あ、母さん本屋行くならついでに本買ってきて。『ワルボロ』っていうの」
「はいはい。ええと『ワルロボ』?」
「いや『ワルボロ』」
「『ワルロボ』ね」
「ワルロボ! 違うワルボロ!」
「え、何? ちょっと待って書いておくから。本のタイトルって難しいんだから。……ええと『ワルロボ』ね」
「だから『ワルボロ』! ロボじゃないボロ!」
「ああ『ボロ』なのね。『ワルボロロボ』? ロボなのに『ボロ』って名前つけたの? 可哀想に」
「俺がつけたんじゃないって。ていうか色々違う。もっと根本的なとこで違う」
「『ボロロボ』だなんて。どうせならもっといい名前にしてあげればいいのに。ストライクフリーダムとか紅蓮聖天八極式とか」
「ロボに詳しすぎない? っていうかロボ関係ない。ロボ出てこない。『ワルボロ』だから」
「出てこないの? どうして」
「知らん! とにかく間違えないでよ? 『ワルボロ』」
「はいはい。ワルボロ、ワルボロ……と」
ここまでやっておいて何故間違えたのでしょうか。そんな状態でも、書店員さんは結局、無事にゲッツ板谷先生の『ワルボロ』を見つけだしました。かくいう私も「あの、脳とか腸とかそういう感じのタイトル」という綿菓子のようにふわっとした情報だけで『内臓感覚 脳と腸の不思議な関係』(福土審/NHKブックス)を探し当ててもらったことがあり、書店員さんの本を探す能力にはただただ驚嘆するばかりです。
書店員さんは「本を探しているんですけど」と頼むと必ず見つけだしてくれます。1時間店舗内を歩き回ってでも、地を這ってでも、銃弾の雨の中を駆け抜け蛇の群れに手を突っ込み後ろから丸い岩がゴロゴロ転がってきても見つけだしてくれます。
もしかしたら書店員さんにとって「お客様がお探しの本を見つけられない」のは、板前が魚の名前を知らないとか翻訳家が単語を知らないとか、タクシー運転手が道を知らないとかいったレベルで悔しいことなのかもしれません。本のタイトルや出版社名をうろ覚えのまま買いに行くことが多い私は、そのプライドに何度も助けられています。
【著者の新刊】
県警本部捜査一課・秋月春風巡査部長。
生後三ヶ月になる可愛い息子・蓮くんのため、刑事としては初めての“育休”に挑戦中――。
七キロの蓮くんと大きい赤ちゃん用バッグを抱え外出するのに慣れた頃、ひょんなことから質屋強盗殺人事件の人質になってしまう。だが蓮くんのウンチやミルクの時間は事件とお構いなしにやってきて。果たして無事に生還できるのか?! (「人質は寝返りをする」)
母性神話、育児放棄、DV、親権争い、乳幼児突然死症候群……現代社会の育児における様々な歪みや問題点を、軽やかかつ徹底的にミステリとして描ききった著者渾身の代表作。(幻冬舎 公式サイト『育休刑事』より)
(「日販通信」2019年7月号「書店との出合い」より転載)