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平成の時代が終わり、「令和」が始まってはや1か月。皆さんは“平成の女子マンガ”と聞いて、どんな作品を思い浮かべますか?
今回は女子マンガ研究家の小田真琴さんに、「これから読みたいマンガ・今読み返したいマンガ」というテーマでお話を伺いました。
小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。「FRaU」「サイゾーウーマン」「SPUR」「ダ・ヴィンチ」「婦人画報」など各誌で主に女子マンガについて執筆。2017年にTBS「マツコの知らない世界」に出演。少女マンガとお菓子をこよなく愛し、自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている(しかも作家名50音順に並べられている)。
―― 「マツコの知らない世界」で拝見したときも、小田さんからものすごい“女子マンガ愛”を感じたんですが、少女マンガは子どもの頃からお好きだったんですか?
いえいえ、中学生・高校生あたりからですね。ちょうど『ガラスの仮面』の文庫版が刊行され始めた頃で、クラスで流行っていたんです。それを当時好きだった女の子が読んでいて、「共通の話題になる」と思って読んだのが最初でした。
―― かわいいエピソードですね。
『ガラスの仮面』はいざ買って読んでみたらすごく面白くて、同じ頃に流行っていた『日出処の天子』にもハマって、そこからズブズブと……(笑)。毎日古本屋に通っては何か買って帰る、というのを繰り返していたら、こうなりました。
“女子マンガ研究家”を名乗るようになったのは、10年ほど前からですね。知人の編集者に誘われて「FRaU」の特集に記事を書いたときに、その知人がペンネームを考えてくれて、それからです。その後女性向け雑誌でマンガ特集がたびたび組まれるようになって、だんだん“女子マンガ”という呼び名自体も定着していきました。
―― 「女子マンガ」の定義ってあるんですか?
あえていうなら、“大人の女性向けのコミックス”ですね。いつも定義づけは曖昧にしているんです。それは「時代とともに変わるもの」だからでもあるんですが、連載誌のジャンルも関係なしに、現代社会を生きる女性が“自分の生きる糧”として楽しめるものを「女子マンガ」と呼んでいいのではないかなと思っています。
―― なるほど。それではさっそく「今読み返したいマンガ」ということで、少女マンガ・女子マンガを軸に、平成を振り返っていきたいと思います。
まず最初に挙げられるのは『ちびまる子ちゃん』と『動物のお医者さん』ですね。『ちびまる子ちゃん』は「りぼん」(集英社)で、『動物のお医者さん』は「花とゆめ」(白泉社)で連載がスタートしました。「ちびまる子ちゃん」がTVアニメ化されたのは平成に入ってからで、1990年1月に放送がスタートしています。
この2つに共通するのは、王道少女マンガ誌の連載作でありながら、恋愛の要素が限りなく希薄なこと。年齢・性別に関係なく楽しめるマンガとして、メガヒットしました。
1990年代に入ってくると、『美少女戦士セーラームーン』と『花より男子』が桁違いのヒットを記録します。この2作は“戦う女性”が共通していますね。特に『花より男子』は、学校で絶対的な存在の男の子をぶん殴る姿もエポックメイキングでした。牧野つくしに共感した女の子は、多かったんじゃないでしょうか。
―― 確かに、理不尽を前に自らの力で立ち向かう姿は今も魅力的だと思います。
もう一つ、1990年代には、岡崎京子作品を代表としたハイティーン向けマンガの台頭もありました。『リバーズ・エッジ』の連載開始が1993年ですね。この頃はまさに岡崎京子の時代といってもいいです。
そもそも1990年代は(マンガに閉じた話ではなく)サブカルチャーの時代で、岡崎作品はその象徴でした。
それからこの系譜にあるのが、安野モヨコ作品。『ハッピー・マニア』は1995年頃の作品で、これはマンガにおける“恋愛”という要素の使い方をまったく変えてしまったところが特徴です。ほとんどスポ根ですよね。
それから、少女マンガにおいて禁じ手とされる「次から次へと男性と付き合う」というのをエンタメにしてしまった。これは、少女マンガの“白馬の王子様幻想”に対するアンチテーゼです。
―― 『ハッピー・マニア』は、結末も“少女マンガ”らしくないですよね。
そうですよね。この作品あたりで時代が変わったなという感じです。ここまで振り返っただけでも、かなり多様化していますよね。読む側もかなり成熟してきて、世界の優しいだけじゃないところを描いている作品や、重たいテーマの作品が増えてきます。
そしてサブカルチャーの台頭で“少女マンガ”がやや陰になっていたところに現れたのが、2000年代の初期に大ヒットした『ハチミツとクローバー』『のだめカンタービレ』『NANA―ナナ―』です。
先ほど「1990年代はサブカルチャーの時代だった」という話をしましたが、この頃からメインカルチャーとサブカルチャーが溶け合って、その区分けが意味をなさなくなってきます。
―― この3作はどういうところが特徴ですか?
少女マンガの従来の枠組みを使っていながら、その図式から外れた「現代の少女マンガ」だという点ですね。
『ハチミツとクローバー』はかわいらしい絵柄で、ほわほわした少女マンガらしい幸福感もありながら、一方でリアリティが追求されているんです。森田忍というキャラクターがずっとお金のことを言っているでしょう(※竹本たちの先輩で、謎のアルバイトのためにたびたび長期で行方不明になる)。彼が執着する“お金”という要素が、物語の終盤で効いてくるんです。お金って生きていくうえで無視できないものだし、『ハチミツとクローバー』では“才能”のことだけじゃなくて、彼らが卒業した後に避けて通れない“仕事”の話もしていますよね。
単なるファンタジーで終わらせず、きちんと現実にコミットしている。当時「やっと今の時代に合った少女マンガが出てきた」と感激したのを覚えています。
また『のだめカンタービレ』でいうと、千秋がのだめを導いていくような構図で物語が進んでいるように思わせておいて、途中でそれが大逆転されますよね。これって、(『エースをねらえ!』)の“宗像コーチと岡ひろみ”から外れているじゃないですか。導く男性がいて、それに一生懸命ついていく主人公の女の子がいるという図式を壊しているあたりが、今っぽいなと思います。
―― それ以降はどうでしょう?
2010年前後に、“女子マンガ”の面白い作品が出てきます。西炯子さんの『娚の一生』や、水城せとなさんの『失恋ショコラティエ』、それから渡辺ペコさんの『にこたま』は、この頃始まった作品です。
『失恋ショコラティエ』は、いわばアンチ少女マンガですよね。延々と失恋を描いていて、主人公は恋を実らせようとせず、ルサンチマンをモチベーションに突き進んでいく。主人公やヒロインだけでなく、周囲をとりまく人々それぞれの境遇も丁寧に描かれていて、「こういう恋愛の描き方もあったな」とか「こういう女性いるよね」というのが、客観的な立場からすごく分析して描かれていると思います。女性のコンサバティブな部分を断罪するわけでもなく、非常にいい距離感で捉えているんじゃないかなと思います。
―― 今まで名前が挙がった作品は、実写化されているものも多いですね。小田さんは、マンガ原作のドラマや映画ってよく見ますか?
あまり見ないですけど、たとえば『逃げるは恥だが役に立つ』なんかは、原作をちゃんと理解したうえでドラマならではの味付けもされていて、面白かったですね。
このあたりで「女子マンガを映像化する」ということの手法が確立されてきて、それゆえ、従来の読者層だけでなく、作品がいろんな人の目に触れるようになりましたね。
―― ではいったん、ここまでの流れをおさらいしてみましょう。
まずは「恋愛が必要最低条件でなくなっていく」、それによって「自由になる」、そして「多様性を獲得する」といった感じでしょうか。もちろんすべての少女マンガが恋愛から離れていったわけではなく、その一方で、恋愛の要素を強めていった作品群もあります。二極化ですね。
またマンガの読者が、たとえば10代の間だけで爆発的に流行るというような“横の広がり”ではなく、縦に広がっているというのもポイントです。なので、恋や結婚だけでなく、仕事、出産・育児、老い・生死といったところまで射程に入ってきて、結果的に作品の幅が非常に豊かになりました。
―― どこかの年齢でいわゆる“王道の少女マンガ”から卒業しても、今の自分にフィットするマンガがあるってことですね。ここまで平成を振り返ってきましたが、何歳の、どういう自分だったときに読んでいたかがばっちり紐付いているように思います。
〈 令和編へ続く 〉