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  • 「本屋にいるはず」 上田岳弘さんが綴る少年時代の思い出

    2019年06月07日
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    日販 ほんのひきだし編集部「日販通信」担当
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    2019年1月、『ニムロッド』で第160回芥川賞を受賞した上田岳弘さん。5月29日(水)に発売された『キュー』は、『ニムロッド』よりも前に発表されていた作品で、スマートフォンならではの読書体験に誘う“新たな純文学”として、Yahoo!JAPANと文芸誌「新潮」で同時連載されたことでも話題になりました。

    文学表現とテクノロジーを巧みに融合させることで知られる上田さんですが、高校時代は周りがみんな持っていた「あの通信手段」を、頑なに拒否していたそう。

    そんな少年時代の思い出について、上田さんにエッセイを寄せていただきました。

    上田岳弘
    うえだ・たかひろ。1979年、兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。2013年、「太陽」で新潮新人賞を受賞し、デビュー。2015年、「私の恋人」で三島由紀夫賞を受賞。2016年、「GRANTA」誌のBest of Young Japanese Novelistsに選出。2018年、『塔と重力』で第68回芸術選奨新人賞を受賞。2019年、『ニムロッド』で第160回芥川龍之介賞を受賞。

     

    本屋にいるはず   上田岳弘

    昔々のことだった……と語りだしたくなるくらい隔世の感があるのだけど、僕が中学生のころは、連絡手段はとても限られたものだった。

    大声や糸電話が届かなくなるくらい離れた人と連絡するための手段と言えば、手紙か電話くらい。もちろん、電報やファックス、トランシーバーなんてものもあるにはあったけど、普及率はそれほどでもなかった。

    でもそれで特段不便は感じずに生きていた。幼少の頃、家にあったのは黒電話で、ジーコージーコーとダイアルを回した。一番大きくダイアルを回すことになる「0」が元の位置に戻るまでの「間」がなんともいえず好きだった。いまやダイアル式の電話など見たことない人も増えているのだろう。

    時代はもはや「平成」を越えて「令和」なのだ。「昭和」の時代に長く連絡手段の王様だった黒電話の、しかもそんな細部など、多忙で情報過多な日常に追い立てられる現代人には懐かしがっている暇などない。

    高校時代、つまりは1990年代の半ば、突如として広まったのがポケットベルだった。どこかスパイの秘密道具めいた、その機械は僕の周りでもあっという間に普及した。僕の友達も続々と使い始めた。

    しかし高校生にだいそれた用途があるわけもない。ただ、「元気?」とか「今何してるの?」とかそんなまったく急を要しないメッセージを送る。放課後、帰宅途中だべっている中で「あいつも呼ぶか」みたいなときに打ったり、休みの日に連絡をとる手段として活用したりしていたのを横目で見ていた。

    と、傍観者っぽい語りになってしまうのは、僕はポケットベルを持っていなかったからだ。

    ポケットベルを頑なに持とうとしない僕を見て、入会金無料のキャンペーンを見つけた友人から電話がかかってきて、「いい機会だからお前も入れ」と要請されたこともあったけど、頑として僕は持たなかった。

    もはやスマートフォンを手放せない生活を送っている今から考えれば頑なに拒否するようなものでもないはずだけど、なんだか「どこにいても連絡がとれる」ことにどこか窮屈さを感じたのだ。

    結局、放課後や土日に連絡が取れないとき、友人たちは本屋に僕を探しに来るようになった。当時僕はだいたい本屋にいた。高校への通学路の大通りにあった、郊外型の中規模店。名前はなんだっけ? フロアの4分の1はCD売り場になっていて、一角ではアイスクリームなんかも売っていた。

    お小遣いに限りのある高校生が本屋でやることといえばもちろん「立ち読み」である。

    まだ少年だった僕は、社会の仕組みもよく知らなかったものだから、CMで告知される映画の多くに原作があり、その原作本が近所の本屋で売られていることに素朴な驚きを覚えた。テレビとか映画とかはとても遠くで起こっている出来事で「本」の形で所有できるということが不思議に感じた。

    毎週・毎月大量に販売される多種多様な雑誌が本棚に並べられているのは壮観だった。漫画雑誌や少年向けの小説、実用になんてまるでならないはずなのに、働く20代向けの女性誌なんかにもパラパラと目を通した。

    ひとしきり立ち読みをして満足すると店を出、でもやっぱりなんだか気にかかってもう一度入店し、別のコーナーに向かって、また本をパラパラとめくる。何度も読んだ本を帳尻合わせでもするように購入することもあった。

    と言うか、買う本の半分くらいはそうだったような気がする。本屋を満喫していると時々友達が迎えに来て、ゲーセンやら、ファストフード店に向かう。そんなときの、微妙に心残りな感覚は今でもよく覚えている。

    当時既に小説家になりたかった僕は、僕の書いた本がその店に並んでいる様子を想像した。その本屋がまだあるかどうか僕は知らないけれど、もしまだあったなら、新刊『キュー』が良い場所に並んでいればいいな、と思う。

    【著者の新刊】

    キュー
    著者:上田岳弘
    発売日:2019年05月
    発行所:新潮社
    価格:2,530円(税込)
    ISBNコード:9784103367352

    平凡な医師の僕が突然拉致された先では、世界の趨勢を巡る暗闘が繰り広げられていた。その中心には、長年寝たきりのはずの祖父がいるという。そして明かされる祖父の秘密、それは人類を一つに溶かすという使命なのだが――超越系文学の旗手がその全才能を注ぎ、Yahoo!JAPANでの同時連載も話題となった、芥川賞受賞第一作。

    (新潮社公式サイト『キュー』より)

    (「日販通信」2019年6月号「書店との出合い」より転載)




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