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『烏に単は似合わない』で大学在学中に作家デビューし、同作に連なる「八咫烏」シリーズは累計発行部数100万部を突破、1月30日(水)に発売された最新書き下ろし長編小説『発現』も大きな話題になっている阿部智里さん。
今回は、阿部さんから本屋さんにまつわるエピソードをご寄稿いただきました。
まるで一編の小説のように情景描写豊かなエッセイをお楽しみください。
阿部智里
あべ・ちさと。1991年生まれ、群馬県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。2012年「烏に単は似合わない」で松本清張賞を史上最年少受賞。2014年、早稲田大学大学院文学研究科に進学、2017年、修士課程修了。デビュー以来、「八咫烏シリーズ」7冊(『烏に単は似合わない』『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』『弥栄の烏』『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』)を刊行。累計100万部を突破している。
幼い頃、本屋はエルドラドのようなものだった。
夢にまで見た理想郷、輝ける黄金郷だ。大げさだと侮るなかれ。ど田舎の小学生にとって、本との出会いはなかなかに貴重だった。何せ、近くに自力で行ける本屋さんなど皆無だし、まだ通販も一般的ではなかったのだ。本の面白さに目覚めてから学校の図書室に休み時間ごとに駆け込み、自転車で三十分かかる地域の図書館に暇を見つけては通うようになったが、そこではいつだって本の争奪戦が繰り広げられていた。
そんな私にとって、本屋さんはまさに理想郷だった。我が家の方針で、本のおねだりは小説、漫画問わず歓迎されていたので、そこに行けさえすれば、大好きな本が自分のものになるのだ!
父に頼んで日曜日に書店へと向かう道行きは、わくわく感に満ちていた。当時飼っていた犬のチャチャ丸は車に乗るのが大好きだったので、二人と一匹で本屋さんへ向かうのが常であった。ちょっとだけ開けた窓からチャチャ丸が鼻面を出していて、そこから吹き込む赤城山の風はいつも爽やかだった。
そうしてたどり着いた本屋さんは、一歩足を踏み入れれば、独特の新しい本のにおいでいっぱいだった。
大体、ファンタジーが多い児童書の棚と、漫画の新刊棚、そして当時大好きだった『ロード・オブ・ザ・リング』の映画のメイキングブックの棚を回遊魚のようにぐるぐる回っていた。どう考えてもさっきの今で新しいものが入っているはずがないのだが、何度だって見てしまう。特に映画のメイキングブックは二千円か三千円で、当時の私からするとあまりに高かった。どの本がいいだろうかと、必死で立ち読みして選ぶのだが、車では犬が首を長くして待っているので、そうゆっくりはしていられない。父が「そろそろ帰るぞ」と声をかけて来るまでの間、もうちょっと、もうちょっとだけ、と必死の思いで読んでいた記憶がある。
そして、戦利品を抱えて戻った私に気付いたチャチャ丸が、「さあ、帰ろう!」と嬉しそうに尻尾を振ってくれる瞬間こそが、これから家でゆっくりこの本を読めるという期待感と相まって、私にとっては最高に幸せな時間だったのだ。
さて。時は流れ、進学と同時の上京以降、地元の本屋さんへ行く機会はめっきり減ってしまった。大学在学中に作家デビューした私が、久しぶりに地元に戻った時のことである。書店へのあいさつ回りの途中で、とある書店員さんに話しかけられた。
「阿部さんて、あそこの本屋さんに通っていた時期がありますよね? 私、前はあそこで働いていたんです」
ひえー! と思わず叫んでしまった。
中学生になると、本の発売日をちゃんとチェックするようになっていたので、貴重な本屋にいけるチャンスを無駄にすまいと、こまめに新刊の予約をするようにしていた。しかも、私の頭文字は「あ」なので、予約表の一番上に陣取ることが多かったのだという。挙句、財布を握り締めて部活上がりの体育着姿でうろうろする中学生の常連客は、印象に残っていたらしい。
「名前を見て、あれ、と思ったんです。もしかしたら、あの時の学生さんじゃないかなって」
そういえば、欲しい本の発売日前日にだめもとで行った際、ちょうど今来たところだよ、とまだ陳列していない本をわざわざ出してくれた店員さんがいた。その時はただただ有り難いだけだったが――もしかしたらこの方だったのだろうか?
猛烈に恥ずかしい思いもした反面、こちらが気付かなかっただけで、あの頃から見守ってもらっていたのだなあと思うと感慨深いものがあった。
赤城山の風の中、今は虹の橋へと旅立った愛犬と一緒に、休日の昼下がりに本屋さんへと向かった時の光の匂いを、ふと思い出した瞬間であった。
【著者の新刊】
平成と昭和、二つの時代で起こった不可解な事件。真相を求めて近づこうとする者たちを嘲笑うかのように謎は深まり、ほの暗い闇がひたひたと迫りくる。運命に導かれるようにしてたどり着いた先に待ち受けるのは、光明か絶望か。
(NHK出版公式サイト『発現』より)
(「日販通信」2019年3月号「書店との出合い」より転載)