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本好きたちがTwitterで“その年に一番面白かった作品”を決める「Twitter文学賞」の投票が、本日2月2日(土)より始まりました。
投票締め切りは2月11日(月)。これを機に1年間に読んだ本を振り返る方も多いと思いますが、一方でTwitter文学賞に対して「聞いたことはあるけど、参加したことはない」という方も多いはず。
ということで今回は「Twitter文学賞とは何か」、そして「ほかの文学賞と比べてどんな特徴があるのか」をご紹介します!
「Twitter文学賞」は、今年で9回目を数える“みんなで決める文学賞”。
国内部門と海外部門があり、1年間に刊行された新作小説(または初訳小説)から、Twitterユーザーによる投票で各部門のトップを決定します。
今回の投票対象は、奥付の発行日が2018年1月1日~12月31日までの小説のうち、国内部門は新作小説、海外部門は初訳小説(いずれも文庫化や復刊を除く)。投票できるのは国内部門・海外部門それぞれ1人1作のみです。
結果発表は3月3日(日)。例年通り下北沢の本屋「B&B」で結果発表会が行なわれ、発表会では「Twitter文学賞」の発案者である豊崎由美さんをはじめ、総勢5名の書評家・評論家による上位入賞作品の寸評を聞くことができます。
Twitter文学賞の大きな特徴は、まさに「読者」が直接投票するという点にあります。
投票形式で大賞作品を決めるものでは先日ノミネート作が発表された「本屋大賞」が有名ですが、本屋大賞で投票を行なうのは、ご存じの通り書店員さん。
発案者の豊崎由美さんは、本屋大賞について次のように書いています。
わたくしトヨザキは、投票による民主的なランクづけには元々懐疑派でした。
というのも、本屋大賞に顕著なのですが、そこそこ本を読んでいる人たちによる人気投票は、とんでもなくだめな作品はランクインできないという見識の高さを示すと同時に、しかし、先鋭的な作品もはじいてしまうという無難なつまらなさを露呈してしまうからです。(ブログ「書評王の島」より)
では続いて、受賞作品にどれくらい違いがあるかを見てみましょう。
まずは前回(第8回)のTwitter文学賞(国内部門)。
第1位
・加藤シゲアキ『チュベローズで待ってる(AGE22・AGE32)』(扶桑社刊)第2位
・佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(KADOKAWA刊)第3位
・松浦理英子『最愛の子ども』(文藝春秋刊)第4位
・今村夏子『星の子』(朝日新聞出版刊)第5位
・大森茂幸『傘も差せない不安定な乗り物の上から―BIKER NOVEL』(源刊)第6位
・小川哲『ゲームの王国(上・下)』(早川書房刊)
・多和田葉子『百年の散歩』(新潮社刊)第7位
・滝口悠生『高架線』(講談社刊)第8位
・宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA刊)
・滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社刊)第9位
・小川洋子『不時着する流星たち』(KADOKAWA刊)第10位
・若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社刊)
・藤野可織『ドレス』(河出書房新社刊)
・山下澄人『ほしのこ』(文藝春秋刊)
そして2018年(第15回)本屋大賞の結果がこちら。
大賞
・辻村深月『かがみの孤城』(ポプラ社刊)第2位
・柚月裕子『盤上の向日葵』(中央公論新社刊)第3位
・今村昌弘『屍人荘の殺人』(東京創元社刊)第4位
・原田マハ『たゆたえども沈まず』(幻冬舎刊)第5位
・伊坂幸太郎『AX アックス』(KADOKAWA刊)第6位
・塩田武士『騙し絵の牙』(KADOKAWA刊)第7位
・今村夏子『星の子』(朝日新聞出版刊)第8位
・知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』(実業之日本社刊)第9位
・村山早紀『百貨の魔法』(ポプラ社刊)第10位
・小川糸『キラキラ共和国』(幻冬舎刊)
また、過去の結果から「Twitter文学賞で2回以上トップ10入りしている著者」「本屋大賞で2回以上ノミネートしている著者」を集計し、もう一方の賞での受賞歴があるかを見てみました。
※Twitter文学賞は第1回(2010年度)~第8回(2017年度)の国内部門、本屋大賞は2011年(第8回)~2018年(第15回)の結果を集計対象としています。
ざっくり傾向をまとめると「Twitter文学賞は純文学寄り、本屋大賞は大衆文学寄り」といった感じ。それぞれの賞で、まったく異なる作家がランクインしていることが一目瞭然です。
実際に“純文学の新人賞”である芥川賞の受賞者は、Twitter文学賞側には多和田葉子さん、津村記久子さんをはじめ12名いるのに対し、本屋大賞側では中村文則さん1名のみとなっています(ちなみに直木賞受賞者は両群とも2名ずついます)。
ここまで顕著に違いが現れる要因として、投票方式や、投票者の違いが大きく影響しているのは間違いありません。ですが、もしかするとそれだけではなく、Twitter文学賞では「本屋大賞には選ばれなさそうだけれど、この作品にも“賞”をあげたい」という投票者の意識が働いているのかもしれないなと思っています。
そして、そういう意識がこのように結果に反映されることが、ある意味「Twitter文学賞」の存在価値でもあると思うのです。