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『愛犬王 平岩米吉伝』『ポチのひみつ』『北里大学獣医学部 犬部!』『ゼロ! こぎゃんかわいか動物がなぜ死なねばならんと?』(集英社文庫は『ゼロ! 熊本市動物愛護センター10年の闘い』に改題)等々、犬に関する著作を精力的に執筆されている片野ゆかさんの新刊は、ズバリ『平成犬バカ編集部』。
「バカ」がつくほどの犬好きが集まった犬の専門誌「Shi-Ba」が創刊されたのは平成13(2001)年。折しも、それまでの昭和の飼い主と犬にとって環境が大きく変化を遂げる時期でもありました。
雑誌づくりを軸に犬三昧の日々を歩んだ「犬バカ」たちの足跡をたどりながら、激動の「犬現代史」に挑んだ片野さんに、現代の犬事情についてうかがいました。
聞き手・構成=増子信一/撮影=露木聡子
──昭和から平成になって、飼い犬の環境が大きく変わったということですが、片野さんご自身の飼い犬歴はどのようなものでしょうか。
実家は東京の世田谷で、小さい頃はまだ周りに畑が残る田舎っぽいところでした。両親は大の犬好きで、それまで何頭も犬を飼っていました。私が物心ついて最初に暮らしたのはグレイハウンドでした。幼稚園から中学生卒業ぐらいまで一緒に暮らして、すごくかわいがっていたんですけど、年を取って弱ってきたので、家のなかに入れてあげようかどうしようかと迷っているうちに亡くなってしまいました。
──当時は外飼いがふつうで、室内で飼うとしてもチワワやマルチーズなどの小型犬がほとんどで、グレイハウンドのような大型犬を家のなかで飼うことはほとんどなかったですね。
そうなんですよ。室内に入れて犬がほんとうに喜ぶのか、やはり慣れた犬小屋のほうがいいんじゃないか、と両親はずいぶん迷っていたようです。
私は子どもだったので、えっ、家のなかにワンコを入れられるんだ、すごい楽しみだなと思っていたんです。結局そのチャンスがないまま亡くなってしまったので、二重に残念でしたね。
──その後は?
その犬があまりにもいい子だったので、すぐに次の犬を飼おうという気にはならなくて、しばらく途切れていました。ようやく、二十代になって一人暮らしをするようになってから、ミニチュア・ダックスフンドと暮らし始めました。
──室内飼い?
そうです。たしか平成6、7(1994、95)年くらいだったと思いますが、その頃はもう家のなかで飼うのが当たり前な感じになっていましたね。
犬と暮らそうと考えたとき、候補にあがったのがビーグルとミニチュア・ダックスフンド、それから柴犬でした。結局ミニチュアダックスに決めましたが、どの子を選んだとしても家のなかで飼おうと思っていました。
──柴犬も室内で飼うイメージでしたか。
ええ、自分のなかではそうでしたね。どうしてそう思ったのか、はっきりした記憶はないんですけど、その頃にはファッション雑誌のグラビアなどで、有名なスポーツ選手がスタンダードプードルとリビングでなごんでいる姿などが、ちょっとハイソな感じで紹介されていました。ゴールデンレトリバーのような大型犬でも室内飼いするというのは、ある程度広まっていたように思います。
──家のなかで飼ってみて、いかがでしたか。
四六時中一緒にいますから、犬に対する発見がものすごく多くて、ある意味ちょっと子育てみたいな感覚もありましたね。わからないことが出てくると、当時はインターネットが普及していなかったので、本や雑誌を片っ端から調べました。
──その子はいつまで?
平成23(2011)年の1月までいました。17歳9カ月でした。ちょっと病気もしていたのですが、家でふつうに看取ることができました。
──東日本大震災のふた月前ですね。その次は?
茨城の愛護センターに収容されていた子で、震災の年の秋に動物愛護団体の譲渡会を経てうちに来たんです。その時点で、推定1歳でした。一見子犬みたいなんですけど、実は一回出産の形跡があるって獣医さんにいわれて。実際、ちょっとおっぱいをあげていたのかなというような、お腹のたるみとかがありました。一体どこをどういうふうにめぐって生きてきたのか……。
──犬種は?
甲斐犬みたいな色の和犬のミックスなんですけど、耳が大きくて、顔だけ見るとコーギーみたいなところもあって、何か和と洋が混ざったような感じなんです。よく洋犬は人なつっこくて和犬は程よい距離感があるといわれますけど、うちの子はすごく甘えん坊なところがあるかと思うと、自分は自分という頑固なところもある。性格も和と洋が混じった感じです。
──その子はまだ元気で?
はい。もう溺愛しています(笑)。