'); }else{ document.write(''); } //-->
明智光秀の青春と乱世の本質を描いた歴史小説、『光秀の定理』から5年。その“姉妹編”ともいえる『信長の原理』が、今注目を集めています。
「垣根涼介が今度は織田信長に挑んだ!」「切り口が斬新」と話題の本作は、信長の内面、そして日本史最大のミステリーである本能寺の変の“真相”を、なんと「パレートの法則」をキーにして描き出すというもの。
今回はこの「システム論的歴史小説」を生み出した垣根涼介さんの“取材方法”について、編集を担当したKADOKAWA 文芸図書編集部の富岡薫さんに文章を寄せていただきました。
描き尽くされてきた織田信長と「本能寺の変」に、全く新しい風を吹き込んだと話題の『信長の原理』、もうお読みいただけたでしょうか。今回はそんな革命的歴史小説『信長の原理』の読みどころと舞台裏を、少しだけ記させていただきます。
本書は約600ページの大作ですが、むしろ何故、信長と家臣達の内面をとことん描きながら、その生涯を600ページの小説に収めることができたのか。答えは、集団の性質は自然と2:6:2の割合に分かれるという「パレートの法則」を全編にわたる仕掛けとして使用しながら、織田家の組織・社会構造にフォーカスしているから。垣根さんの新しい切り口と筆力が、史実からはみ出さずして、信長の生涯をエンタメとして一気読みさせてしまう理由だと思います。
「新しい切り口」を見付けるには、まずは全体の把握、“材料集め”が必要です。垣根さんは膨大な資料に目を通された他、構想と確認のため愛知、岐阜、滋賀、京都などに何度か取材旅行をされています。
“作家の取材旅行”に優雅な響きを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、なかなかにストイックな取材でした。まず、1日に信長軍団ゆかりの地を3~6カ所ほど巡るのですが、ほとんどが山城跡……つまり同じ日に複数の山を登るということ。スケジュールが押せば食事は有名うどんチェーン店でさっさと済ませましたし、それでも登り始めるのが夕方になってしまった宇佐山城は、ライトで足下を照らしながらの下山でした。愛宕山の頂にある愛宕神社までは、明智光秀が通ったとされる険しいルートを忠実に登りました。
愛宕山を進む馬上の光秀の思考や、荒涼とした横山城で羽柴秀吉が感じた悔しさ、暗く湿った岩の隙間に身を潜める信長の屈辱と心細さなど、作中に出てきた“材料”もありますが、それはごく一部。その下には、直接的には使われなかった膨大な“材料”が積み重なり、物語の立体感とリアリティを補強しています。
ご存知の通り、信長は最期「本能寺の変」で討たれます。「本能寺の変」の原因は、未だ多くの人を惹きつけて止まない日本史上一魅力的な謎ですが、『信長の原理』は前述の切り口によって、ついに真相に行き当たったのではないか! と私は考えています。
物語が怒濤の勢いで「本能寺の変」に集束していく快感を楽しみながら、その真相に驚き、納得をしていただければ幸いです。
*
KADOKAWA 文芸局 文芸図書編集部 富岡薫
織田信長の飽くなき渇望。家臣たちの終わりなき焦燥。
焼けつくような思考の交錯が、ある原理を浮かび上がらせ、
すべてが「本能寺の変」の真実へと集束してゆく――。
まだ見ぬ信長の内面を抉り出す、革命的歴史小説!
・明智光秀のきらめく青春!垣根涼介さんの歴史小説『光秀の定理』