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  • いじめられっ子とヤンキーが作家を目指す、久保寺健彦『青少年のための小説入門』刊行記念インタビュー

    2018年08月24日
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    集英社「青春と読書」6月号より転載(一部編集)
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    新鮮味がなければ「インチキ」だって感じてしまう

    ――朗読する本として、実在の作品がたくさん出てきますね。名作に対する登さんの感想も鋭い。これらの作品はどのように選んでいったのですか。

    これは楽しい作業で、苦労しなかったです。自分がよかったと思った本をたくさん入れたかったんですけれど、やはりその作品を知らない読者に「え、何それ」と思ってもらえるよう、インパクト重視なところがありました。

    それで筒井康隆さんの『バブリング創世記』とか、一文がやたら長い柴田翔さんの「ロクタル管の話」(『されどわれらが日々』収録)とかを入れていきました。いい作品だけれど引用しても驚きのないものは話に組み込めず泣く泣く省きました。

    それでも、勝手な被害妄想ですけれど、「この人この作品がいいと思っているなんて」と思われるのが悔しいので(笑)、絶対面白い自信があるし、センスがあると思ってもらえる作品を揃えたつもりです。実験的な作品が多くなりましたが、もともと僕自身が筒井康隆さんの薫陶を受けているところがあるので、実験性と笑いのある作品が多いですね。

    ――登さんの創作の才能には驚きます。突然すらすらと面白いストーリーを語りだしたと思ったら、なんと一真が読み聞かせた田山花袋の「蒲団」を80年代を舞台にしてアレンジしたものだという。あれは言われるまで気づかず、驚きました。

    一真もそうですけれど、読んでいる方も、読み書きできない人が小説家を目指すなんて無理だろうって思うじゃないですか。でも登さんは子どもの頃におばあさんに絵本をいっぱい読んでもらっている。自分で読もうと思っても字は読めないから、絵だけ眺めて何パターンもお話を作ってきた。ストーリーを作る力が潜在的にある人なんですよね。

    「蒲団」を換骨奪胎したものは面白いかもしれないけれど、新鮮味はないかもしれない。とはいえそのレベルだったらいくらでも量産できる人なんです。

    ――二人は『ライ麦畑でつかまえて』に感銘を受けますよね。そこに出てくる「インチキ」という言葉にも反応します。

    僕自身もあの本が好きなんです。高校生の時に野崎孝さんの訳で読みましたが、村上春樹さん訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだらまたすごくよくて、ちょっと特権的な小説じゃないかなと思いますね。

    「ノベル」という言葉には、「新奇なもの」という意味もあるんですが、新鮮味がなくても小説って書けると思うんです。けれどそういう作品は、それこそ主人公のホールデン的にいえばインチキなものだと僕は感じてしまう。もちろんそういう小説が流通するのはいいと思うけれど、本当に面白いのかなと思ってしまう。

    一真と登さんは若いから、それこそストレートに反応して「インチキだ」と言ってしまう。そして、インチキじゃない小説を目指すんです。

    ――彼らは、不登校の女の子、かすみという読者を得ます。率直な感想を言う子であり、一真の初恋の相手でもある。そのかすみにも、「新鮮味がない」と指摘されてしまう。

    彼らが読者の意見が欲しい時、歯に衣着せぬ性格でずばずば言ってくれる子です。本人もコバルト文庫などを読み込んでいてセンスがいい。一真を挟んで登さんの世界とかすみの世界があって、一真にとってはどちらも大事だという、わりと三角関係みたいな話にもなっていると思います。かすみに関しても、後半は何度も書き直していますね。

    ――彼らは試行錯誤を続けていくわけですが、まだ若い一真の文章力も課題になりますよね。彼が試みる、読んだ本の一場面を自分の言葉で書き表す「再現クイズ」といったトレーニング方法、実際にやったら効果ありそうです。

    僕はスポ根世代で、それこそ「巨人の星」みたいに無茶苦茶なギプスをはめて投げて……というトレーニングシーンが好きなんです(笑)。だから一真も登さんに文章をボロクソに言われながらも訓練してうまくなっていく話にしました。

    小説の指南書もずいぶん読み返したんですけれど、再現クイズに近いものといえば、大塚英志さんが、原作が映像化された作品を受講生に見せて、そこからあるシーンを切り取って文章を書かせることをしていたらしく、それが使えるなと思いました。

    ――そうして彼らが書き上げる小説がすごく面白そうです。タイトルが「鼻くそ野郎」で(笑)、内容がとてつもなくシュールで。新鮮味を追求した結果ですよね。

    僕自身が読んでみたいと思うような小説ということで、彼らが書くものも実験的なものになりました。

    アイデアとは既存の情報の組み合わせだとはよく言われますけれど、この作品が『朗読者』や「ニュー・シネマ・パラダイス」からインスパイアされているように、小説というものは何かしら先行作品の影響を受けている。

    そういうなかで彼らの小説のアイデアを見つけるのは大変でした。換骨奪胎したものではなく、かつ、新鮮で面白そうと思わせないと意味がないですから。「鼻くそ野郎」も、その他に彼らが書く「機械じかけのおれたち」や「パパは透明人間」も、いずれ自分で書きたいと思っています。

    ――それはぜひ読みたいです。作中でそうした作品を書く際に、二人が「これはダメだ」と話し合っていく過程も非常に興味深かったです。

    二人組の作家、岡嶋二人さんの『おかしな二人』を読んだら、やっぱりアイデア担当と文章担当に分かれていて、セッションしていくうちに横滑りしたりして、結局「それでいいじゃん」となっていく。そのライブ感がとてもよくて、参考にしました。

    >>次ページ:「小説は無力なのか?」




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