'); }else{ document.write(''); } //-->
作家になってからも、書店にはよく行った。
デビューして間もない頃だから、2008年のことだったと思う。ある書店の時代小説コーナーで、鈴木輝一郎兄貴の写真付き自筆POPを見つけた。「これはいい」と思い、私もボール紙を切って下手なPOPを作り、書店回りをすることにした。
もちろん飛び込みである。ある時など、一日で二十軒もの書店を回ったが、サイン本の作成はゼロという日もあった。
その頃は無名だったので、「誰それ」状態だったが、それでもめげずに回った。
初めてサイン本を作らせていただいたのは、八重洲ブックセンター本店である。
「えっ、本当にいいんですか」と聞いてしまうほど驚いた。
レジカウンターの横に立ち、震える手で五冊の本にサインしたのを、昨日のことのように覚えている。
それから新作が出る度に、書店めぐりをするのが恒例となった。最近は、出版社にアポを取ってもらってから行くので、書店も歓迎してくれる。
私の場合、新作ごとに出版社にサイン本用の印判を作ってもらっている。
その文字を考えるのが、また楽しい。
小田原北条家関連の作品だと、「禄寿応穏」(「財産と命はまさに穏やかなるべし」という意)、武田家関連だと「風林火山」、織田家関連だと「天下布武」という、それぞれの大名の印判の銘をそのまま使っている。
また『巨鯨の海』では「太地鯨組」、『義烈千秋 天狗党西へ』では「素志貫徹」、『峠越え』では「九転十起」(家康の話なので)といった感じで、一ひねり入れる場合もある。
高師直を描いた『野望の憑依者』は「婆娑羅候」、尊攘志士たちの短編集『池田屋乱刃』は「知行合一」、大鳥圭介を主人公にした『死んでたまるか』は「不撓不屈」にした。
コレクター魂をくすぐられ、印判の捺されたサイン本を集めようなんて人が出てくれば、うれしいのだが……。
またサイン本作成のために、書店のバックヤードや事務所に入る時は、必ず「失礼します。冲方丁です」とか「朝井リョウです」と、イケメン作家の名を騙ることにしている。するとたいてい、そこにいる全員が振り向いてくれる。
それで、「冗談でーす」と言って笑いを取るのだが、その後に来る虚しさには、格別のものがある。
著者の新刊