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昨年9月に装いを新たにし、“読書家の人たちが常に書棚に置きたくなるような雑誌”を目指して再出発した季刊誌「kotoba」(集英社インターナショナル)。
6月6日(水)発売の2018年夏号では「日記を読む、日記を書く。」をテーマに、古今東西さまざまな日記と、それが浮き彫りにするものを読みごたえたっぷりの文章で紹介しています。
なかでも注目したいのは、5月2日(水)に亡くなった絵本作家・かこさとしさんについて、長女の鈴木万理さんが語ったインタビュー。かこさんは取材時にはご存命でしたが、誌面校了前に訃報が届き、奇しくも“長女が父・かこさとしを語る”という内容の貴重な記事となりました。
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インタビューで語られているのは、今年3月に刊行された『過去六年間を顧みて かこさとし 小学校卒業のときの絵日記』のもとになった絵日記について。戦前1938年、かこさんが小学校6年生のときに綴ったもので、半世紀以上が経った2015年、部屋を整理しているときに偶然発見されたのだといいます。
この絵日記は、当時の担任教師から「小学校時代をまとめるように」と言われて書いたもの。それに対して「過去六年間を顧みて」というおよそ小学生らしからぬ言葉遣いを用いたこと(しかもタイトルはレタリングで書かれている)、もくじまでつける手の入れよう、描き込まれた絵の数々や着眼点などから、当時すでに中島少年が「かこさとし」であったことが感じられます。
なお出版するにあたっては、 かこさん本人が絵日記を改めて読んだうえで当時を振り返った聞き書きのエッセイとコメントも掲載されています。「kotoba」掲載のインタビューとあわせて読むことで、〈絵本作家・かこさとし〉の姿をより多面的に知ることができるでしょう。
また、もう一つの見どころとなっているのが、みうらじゅんさんが自身の思春期を回想した「わたしが日記を盛る理由」です。
あることをきっかけに虚構の自分を作りあげ、日記を盛って書くようになったみうらさん。その赤裸々なエピソードには、退屈な自分にやるせない思いを抱えてきた「三浦純」が、私たちの知る「みうらじゅん」を生み出すまでが鮮やかに描かれています。
SNSネイティブの若者世代が躍起になっている“セルフブランディング”の根源には何があるのか? 半世紀前からそれを実践していたみうらじゅんさんの言葉に、一つの答えを見ることができる内容となっています。
Ⅰ 非常と逸脱の深淵を垣間見る
小沼通二 一九四五年、湯川秀樹の日記
中島岳志 煩悶と革命―大川周明、若き日の日記
春日武彦 病んだ心と大学ノートの日記帳
鹿島 茂 性愛を蒐集する男、自己愛を投影する女
あの日の日記 二・二六事件Ⅱ 日記に書かれた冒険と異国
服部文祥 遺書代わりの登山日記
宮永 孝 幕末の曲芸団、海を渡る―高野広八日記―
小森陽一 「日記」の中の世界情勢 ―夏目漱石『倫敦消息』の「回転」と「波瀾」―
あの日の日記 東京オリンピック開幕Ⅲ 大いなる日常、ささやかな日常
志村真幸 日記から読み解く熊楠の実像
奥本大三郎 真実を書きすぎた男―『ルナール日記』再訪
井上修一 父・井上靖の戦中日記
志良堂正史 一二〇〇冊分の人生を覗いた男
鈴木万里 戦前絵日記に見る、絵本作家加古里子の素顔
仲俣暁生 永井荷風と植草甚一の日記を読む
平野 昭 自らを鼓舞する楽聖の日記
鈴木貞美 「日記」の彷徨
あの日の日記 ジョン・レノン殺害Ⅳ 創作と日記のはざまにある真実
穂村 弘 詩と日記の境界
みうらじゅん わたしが日記を盛る理由
小林エリカ 親愛なるキティーたちへ2018
真田幸治 日記をつくる―小村雪岱と泉鏡花の出会い※「kotoba」公式サイトに一部試し読みが公開されています(くわしくはこちら)
・「かこさとしのひみつ展」7月より川崎市市民ミュージアムで開催 200点以上を展示する過去最大規模の展覧会