'); }else{ document.write(''); } //-->
20歳の男娼を主人公に、性愛を正面から描いた石田衣良さんの小説『娼年』。そのシリーズ完結編となる『爽年』が、4月5日(木)に発売されました。
前編では、本シリーズを書いたきっかけから、書くことで見えてきた「現代の性」のありようについてお話を伺いました。
後編では、生と性の関わりについてや、映画「娼年」についてもお聞きしています。
―― 「娼年」シリーズが女性に人気があるのは、女性の加齢による変化が「成熟」として肯定的に描かれていることも大きいですよね。リョウは娼夫を始めた20歳の頃から、年上が好きという設定です。
それはリョウが若くして母親を亡くしていることが大きくて、僕自身もそうなんですけれど、年上の女性に対する抵抗感がないんです。それは設定の中から自然に現れてきたもので、今のような形で中高年の女性に人気が出るとは考えていませんでした。
―― しわや脂肪といったコンプレックスを、リョウは「男からしたらそれがいいんだよ」と言ってくれますよね。そういう言動に、救われる思いをした女性読者は多いのではないでしょうか。
実際は多くの男性が、リョウと同じように「それがいい」と思っていると思いますよ。二の腕や女性ならではの脂肪の柔らかさなど、女性がコンプレックスに思いがちな部分に対しても、男性のほうは受け入れる幅がうんと広いので。
実はコンプレックスって、「短所」ではなくて「自分自身への言い訳」なんです。自分を「何もかもだめだ」と全部否定するのはつらいですよね。だから「私は足が大きいから」「太っているから」というふうに、部分的なところに逃げ道を作ることで楽になろうとするんです。コンプレックスに悩んでいる人は、それが心理的にどう働いているのか、一度じっくり考えてみるといいと思うんですが。
―― リョウも仲間からは考えすぎだといわれるくらい、哲学的にいろいろ考えている青年ですよね。
それは僕の癖でもあって、常にいま表に出てきている事象の裏には何があるんだろう、それを生んでいるのは何だろうという考え方をしています。
リョウは性とは何か、生きるとは何かということを、きちんと考えつめるタイプの人間。しかも注意深くて繊細で、ものすごくよく気がつく。正直、二枚目ですよね(笑)。
―― 映画では、そのリョウを松坂桃李さんが演じられました。ご覧になられていかがでしたか?
映画「娼年」は、ほとんどがベッドシーンという構成のなかで、主人公のリョウが人間として成長していくところを見せなくてはならない難しい作品だったと思います。それを松坂くんはとてもよく頑張って、思いきって表現してくれました。何をやっても濁ったり汚れたりしない、透明感があるのも彼ならではですね。
―― リョウのキャラクターが繊細に表現されていたのも、その清潔感があってこそですね。
ある種の中立性ともいえますね。性を売る仕事をしていながら、男性、女性といったものにとらわれていないし、自分自身の欲望に対しても中立的。その上でセンスがいいというのはなかなか難しい。
女優陣は、舞台とはキャスト総とっかえで、すべてもう一度オーディションしています。みんな「この役をやりたい」と集まってくれている人たちなので、そういう点でも素晴らしかったです。
――『爽年』には「言葉の選択により世界だってつくり替えられる」という一文がありましたが、言葉を尽くして立ち上げられた『娼年』の世界観を共有しながらも、映画では肉体そのものでの表現に重きを置いている印象がありました。
言葉は強い武器なので、小説はイメージでどんなものでも書けるのですが、映画はそのシーンを全部具体化して、人間が演技をして体で表現しないといけない。監督の三浦大輔さんはリアリストなので、ちゃんとリアルに描きたいし、全部見せたいという思いがあるのでしょうね。
最近はテレビも規制が厳しくて、セクシーなものも暴力も全部NGになっているので、逆に映画では振り切って見せないと成り立たないと思うんです。「娼年」がR-18指定になったのは、そういう意味では正しい選択だったのではないでしょうか。
いまの日本にはこうした「大人の恋愛映画」はあまりないけれど、1、2年に1回ぐらいは、こういうきわどいところまでちゃんと描けている映画が見たいなと思います。
この映画を観た方には、自分の欲望をもう一度考えてみてほしいですね。その上でみんなで話したりしたら楽しいんじゃないかな。カップルも、「どのシーンが心臓にガンときたか」ということをきっかけにして、自分にとっての秘密を明かせるようになるといいですよね。
――「娼年」シリーズは、性描写が中心の小説でありながら、そこに主人公であるリョウの知性や感性、女性たちのやるせない感情が丁寧に描かれているので、性を通して一人ひとりの人間がしっかりと浮かび上がってきます。
人物を、想定した物語の中で動かすコマのようには作っていないので、そういう意味ではエンタメ性をあまり考えていない作品ではあるんです。僕にとっての純文学の世界に近いような、経験から築かれていくトータルな人間を描く本になっていると思います。
―― 人間を描くという意味では、前作『逝年』でリョウが慕う、ボーイズクラブのオーナーである御堂静香の死が描かれますが、この『爽年』でも生死がリョウの人生を方向づけるモチーフとなっています。
生死については、僕はただ純粋に繰り返していくものだという気がするんですよね。人類は700万年かけて猿からヒトに進化してきたわけですが、その間一世代30年としても、20万から25万代ぐらいの繰り返しがある。いま生きている僕たちも、そうやって繰り返されるサイクルのひとつでしかない。
― ―生のサイクルは、性と切り離せないものでもありますね。
この本に描かれているような、性そのものを楽しんで豊かにするということと、700万年続く進化の輪っかはリンクしていると思うんです。その辺がわからなくなってしまっていることが、いまの性の貧しさにつながっている気がしますね。
「人に褒められる彼氏彼女が欲しい」とか、「SNSでいいね!をもらいたい」とか、ピラミッドみたいな現代社会の中で、自分の肉体や心が素敵だなと思う感覚は潰されてしまっている。でも「この人、素敵だな」「美味しいな」「気持ちいいな」という、生き物としての根本をもっと大事にしたほうがいい。そうできないところに性や恋愛の不可能性を感じていて、それはこの本の中にも反映されていると思うんです。
―― まさに本能の部分を揺さぶられる感じがしました。
本能や欲望を押し殺しがちな時代になっているけれど、生き物としての自分をシンプルに見つめて欲望を肯定することで、みんながもっと幸せになれればいいなと思います。僕の本も、そんなきっかけの一つになればうれしいですね。
石田衣良 Ira Ishida
1960年生まれ、東京都出身、成蹊大学卒業。97年、『池袋ウエストゲートパーク』で第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞。以降、2003年『4TEEN フォーティーン』で第129回直木賞を、06年『眠れぬ真珠』で第13回島清恋愛文学賞を受賞。13年には、『北斗―ある殺人者の回心』で第8回中央公論文芸賞を受賞。