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2月25日(日)に閉幕した平昌オリンピックのフィギュアスケート・男子シングルで、男子としては66年ぶりの連覇を達成した羽生結弦選手。銀メダルの宇野昌磨選手とともに、表彰台に日本人が2人も立つという史上初の光景が見られました。
そんなオリンピックの興奮がまだ冷めやらぬなか、羽生選手本人が語りつくしたインタビュー集『夢を生きる』が3月1日(木)に発売されました。平昌オリンピックに向けた2015~2018年の成長の軌跡、試合中やオフショットの未公開写真が収録されたファン必携の一冊です。
2014年のソチオリンピックで世界の頂点に立ち、男子シングルにおいて日本人初の快挙を成し遂げたあの瞬間から、「五輪王者・羽生結弦」が誕生しました。
これまで以上にプレッシャーがかかる状況のなか、2014~2015年シーズンではグランプリファイナル2連覇、全日本選手権3連覇を達成。他の追随を許さない演技を見せてくれました。
2014年11月のグランプリシリーズ中国杯では、練習中に中国のハン・ヤン選手と衝突するアクシデントに見舞われた羽生選手。あごの下を縫うなどの大けがをしながらも、1か月後に行われたNHK杯に包帯姿で出場しました。以下で当時の心境を語っています。
――NHK杯では滑ることに対する恐怖心はあったのでしょうか。
自分でもあれだけ気持ちが動揺するとは思っていませんでした。実際、練習中に他の選手を避けようとしている自分がいたことは確かです。
(中略)そんな中、NHK杯でフリー(スケーティング)の6分間の練習を迎えて、(中国大会では6分間練習のときにぶつかったので)同じシチュエーションなんだから、そこさえ越えてしまえば大丈夫だって自分の中で区切りをつけました。
(中略)「絶対にビビらないで、自分の構成どおりに跳ぶ。それでぶつからなかったら乗り越えられる」と自分に言い聞かせて、気持ちをしっかりと持ちました。時間の経過を漫然と待つのではなく、意志の力と意地で、いわば力業で切り替えたんです。(本書p.12-13より引用)
NHK杯前の練習では、「やはりもう無理だ」という心境になることもあったそうです。この恐怖心を克服したからこそ、今の強い羽生選手がいるのかもしれません。
2015年には、立て続けに世界最高得点を塗り替えます。NHK杯では322.40点、続くグランプリファイナルでは330.43点。グランプリファイナルでは男女あわせて初の3連覇、全日本選手権でも4連覇を達成しました。
技術的な難易度の高さと、曲調にマッチした美しさをあわせもつ演技。そんな圧巻のパフォーマンスの舞台裏とは……?
自分には何ができるか、何が一番曲と合うのか、ということを考えていました。たとえば今季、オータムクラシック(10月、カナダ・バリー)前に4回転の入り方をいろいろ変えて、ジェフリー・バトル(ショートプログラムの振付師)にあれでいい? これでいい? と確認しながらやってました。
――誰かの指示ではなく、自分でやったということですか?
ほとんど自分でやりました。最初、イーグルからイーグルって絶対に無理だと言われたんですよ、ジェフからも。実際、サルコウはそんなに成功の確率が高くないし、今までの試合の成績から考えてどうしようかと思いましたが、結局イーグルを外しませんでした。その理由は、ジェフもアクセル前のイーグルがすごく気に入っていたし、音に合っていたので、ジャンプの難易度や得点は大事だけれど、それよりも曲の印象には気をつけねばならないと思いました。
――そうですね。ジェフも曲を大切にしていますね。
ジェフは曲をすごく大事にしてくれ、その半面、ジェフなりの音楽の解釈に僕が飲み込まれているところもあり、昨季は僕がジェフのレベルへ追いつけませんでした。でも、今季は1年間、曲を聴き込んで、少しはジェフに追いつけるようになったかなと思います。この1年間があったおかげで、アレンジに自分の気持ちや感情を乗せられるようになったと思います。
(本書p.57より引用)
「自分にはなにができるか」「なにが一番曲と合うのか」ということを突き詰めて考え抜いたという羽生選手。その結果、振付師と対等なコミュニケーションが取れるようになり、すばらしい構成の演技をつくることができたようです。
以前から「23歳で引退」をほのめかしていた羽生選手。平昌オリンピックで金メダルを獲得したあとの会見では、現役続投と「4回転アクセル」への意欲を表明していますが、この決意は平昌オリンピック前から固まっていました。
――平昌五輪で金メダルを目指していますが、その後も選手として滑り続ける気持ちはありますか。
本音を言えば、ソチ五輪が終わった後は、平昌で引退しようと思っていました。これまで結構しんどくて、「もう辞める」と思った事もありました。だけど、先々シーズンぐらいまでは、「平昌まで頑張ってから引退しよう」と決めていたんです。でも気付いてしまった。小さい頃の自分にうそをついているような気がしたんです。
――何に気付いたのでしょうか。
五輪で2連覇、19歳と23歳で優勝。その後は、プロになって何年間滑って、何歳で結婚して――。ずっと前から全部計画していたんです。だけど、「ちょっと待てよ、4回転アクセルを跳びたくないのか?」と思ってしまったんです。都築先生にも「初めて4回転アクセルを跳ぶ男になるんだ」「アクセルは王者のジャンプだ」と言われ続けてきた。だから、アクセルに恩返ししなきゃいけない、跳ぶまでは辞めちゃダメだと思っています。
(本書p.207より引用)
2022年の北京オリンピックでは、まだ誰も成功していない「4回転アクセル」を跳ぶ羽生選手が見られるのでしょうか? これからもますます目が離せません!