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2月13日(火)、三羽省吾さんの『刑事の血筋』が発売されました。
刑事の息子であり、警察官舎で生まれ育ったという三羽さん。本作はそんな著者が初めて書いた警察小説であり、何もかも正反対で反りの合わない兄弟が、父の汚名を雪ぐために奮闘する物語です。
〈警察モノ〉を書くことだけは「あり得ない」と思っていた三羽さんですが、本作の執筆を通して“警察官”という仕事と向き合う中で、新たな発見があったそう。
自らも“刑事の血筋”である三羽さんならではのさまざまな思いが込められた本作について、文章を寄せていただきました。
警察庁の刑事局組織犯罪対策部薬物銃器対策課に所属していた高岡剣は、異動で故郷・津之神市に戻ってきた。着任初日から連日、県警本部の資料室で資料を読み漁っている剣の目的の一つは、津之神市で過去に起こった銃と麻薬密輸に関する事件を洗い直すこと。もう一つは――15年前に殉職した父、高岡敬一郎の死の謎を探ることだった。津之神署の刑事となった弟の守は、昔からそりの合わない剣の帰郷を歓迎できずにいた。
〈小学館公式サイト『刑事の血筋』より〉
見本が届き、初出の記載を見て少しギョッとしてしまった。
本作は小学館の「Story Box」で、2010年4月号からほぼ隔月のペースで12年4月号まで連載されている。スタートは8年も前のことだ。
つまり担当Iさんから「警察モノを」と言われたのは少なくとも8年以上前で、何度か「無理っす」と断わった記憶があるから、ひょっとしたら最初のオファーは10年以上前かもしれない。
諦めず、投げ出さず、よくぞ辛抱強く伴走して下さったというIさんへの感謝の念を強くすると同時に、つくづく「警察モノはしんどい!」と全力で叫びたい衝動にかられてしまった。
はじまりは恐らく酒の席で、僕が好きな映画監督ケン・ローチについて喋っていた時だったように思う。
僕の父親は警察官で、僕自身も生まれ育ったのが警察官舎という特殊なコミュニティーの中だった。子供は全面的に環境を受け入れるしかないから、ローチ作品によく出て来る労働者階級のコミュニティーの描写がよく分かる、とかなんとか……。
いくら酔っても仕事のことが頭の片隅にある編集者という生き物は恐ろしいもので「だったら」と警察モノの話を持ち掛けられた、ような気がする。
当時の僕はデビュー10年弱で、ありがたいことに仕事のオファーは方々からあるもののハッキリ言って喰えない物書き(これは悲しいことに現在でも変わらない)。各社の編集者さんが、あの手この手で新作のテーマを提案してくれていた。
けれど〈警察モノ〉だけは、2つの理由から「あり得ない」と思っていた。
1つは、ただ単純に僕が〈警察モノ〉と呼ばれるジャンルをほとんど読んでいないこと。小説に限らず、ドラマや映画も熱心に観てはいない。2つ目の理由、こちらの方が圧倒的に大きいのだが、亡き父に死後まで面倒を見てもらっているように思われたからだ。
しかし止まったら死ぬという回遊魚のような生活だった(今も)こともあり引き受けることとなり、最初は子供の視点で警察官舎という奇妙なコミュニティーを描こうとしたのだが、「なにか事件を」「刑事を出さないと」「小さなエピソードをもっとつなげて」という感じでIさんに誘導(?)され、本作は完成した。
思い返すと、新たな発見が多い執筆作業だった。
中でも「親父はこういうヒト・モノ・コトと日常的に対峙していたのか」という発見は、Iさんからの依頼がなければ、僕は一生知らないままくたばっていたのかもしれない。ろくに勉強もせず音楽ばかり聴いているガキが家にいたら罵倒したくなる気持ちも、ほんの少しだけ分かった。
そういう意味でも、この場を借りて改めてIさんに感謝したい。
最後に、喧嘩上等タイプ、楽隊の活動しか頭にない奴、退職後に町を見守り続ける老人、違法は承知で力技の情報収集をする腐れ警察官達は、伝聞を基に描いた人達で僕自身に面識はない。
ただ、ある日突然駐在所勤務を命じられた所轄署ベテラン刑事とは、一つ屋根の下で暮らしたことがあることをお伝えしておきたい。
三羽省吾 Shogo Mitsuba
1968年、岡山県生まれ。2002年『太陽がイッパイいっぱい』で第8回小説新潮長編新人賞を受賞しデビュー。09年同作で第5回酒飲み書店員大賞受賞。14年『公園で逢いましょう。』で第7回京都水無月大賞受賞。近著に『ヘダップ!』がある。