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11月21日(火)に、『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』が発売された東山彰良さん。
本作は、しがない男子大学生の”有象くん”と”無象くん”の2人を主人公に、「女の子のこと」で右往左往する男たちを描いています。骨太でスケールの大きな物語が話題となった、直木賞受賞作『流』とはまた違った魅力のユーモア小説です。
前編では、すべての登場人物の名前が「概念」になっていることや、福岡を舞台にした理由についてお聞きしました。インタビュー後編では、東山さんが「馬鹿馬鹿しさ」に込めた思いと、自身の「読者としてのあり方」についても語ってくださっています。
――本作は、文語的といいますか、ややクラシカルな印象の文体で書かれているので、最初は時代性を感じさせない物語なのかなと思いました。しかし、実際にはファッションや音楽など現在を象徴する風物が多く織り込まれていますね。
登場人物の名前をすべて「概念」にしたので、それ以外のところはリアルに描こうと思いました。ブランド名なども、実在のものをたくさん使っています。
僕は福岡の複数の大学で非常勤講師をしているので、有象無象くんが通う大学は、そのイメージを混ぜ合わせて作り上げた架空のものです。いまの学生たちの空気にも毎週触れていますが、有象無象くんは、彼らに比べるとややオールドファッションですね。
――格調高い文章と、ふんだんに混ぜ込まれているユーモアのミスマッチがなんともいえない味わいです。
本作を読んで「馬鹿馬鹿しい話だけどおもしろいな」と思ってもらえたら、僕としては大成功です。
でもそういう小説を書く上で、文章までくだけ過ぎてしまったらおもしろくないので、ちょっと固めの文章で、実在の偉人たちの言葉も引用しています。たとえば「ニーチェがこんなことを言っている。だけど馬鹿馬鹿しい」という読後感を心がけたところはあります。
――偉人や男たちの発言は、大真面目な分だけそのおかしさが際立っていますね。ストーリーにおいて「馬鹿馬鹿しさ」を演出するアイデアも、楽しいものばかりでした。
僕自身は結構いつも馬鹿馬鹿しいことを考えているので、このシリーズを書いている間はすごく楽しかったです。「いかに馬鹿馬鹿しいか」が勝負の作品なので、このシリーズの執筆中は、思いついたアイデアをいかに有象無象くんの話に反映させようかと考えていました。
本作の最後に「抜け目なき野望」という話がありますが、それも病院の待合室で科学雑誌の「ニュートン」にあったある薬に関する論文を読んで、おもしろいなと思って作品に取り込んでいます。
――4話の「スペードのエース」は、有象無象くんが学内のギャンブルで一儲けしようとする話ですが、ほかの収録作とはちょっと趣が異なる作品ですね。これはどのようなところからアイデアが生まれたのですか?
前半の3編を書いた後に、「ずっと女の子のことばかりだけど、大学生ってそれだけじゃないでしょう。アルバイトや就職、お金のことなど、ほかにも関心事があるのでは」と編集部に言われたんです。その時にはもう「この短編集は“女の子のこと”というテーマでまとめよう」と思っていたので、違う発想をしなくてはいけないなと。それで思いついたのがこの「亀レース」の話です。
それはそれで楽しく書けたのですが、結局は、当時の僕にとっても一番の関心事であった女の子のことに帰っていきました(笑)。
――本作の帯にも「モテ、という人類最大のテーマ」と書いてありますね。
最初から「モテ」を小説のテーマにしていたわけではないんです。ただ、有象無象の、しかも大学生の男であれば、たぶん頭の中は半分以上、女の子のことで占められているのではないだろうかと。この本の中でも、有象無象くんはほとんどの短編で直接、間接的に女性と関わって、振り回されたり、考えさせられたりしています。それをまとめると、「結局男ってモテたいんだなあ」と後から導き出した感じです。
――その彼らを振り回す女性たちは、同性から見てもカッコいい、覇気のある人ばかりです。
我々男の女性に対する幻想を、女性の側から裏切ってやりたいなと思いました。“ビッチちゃん”は奔放だけど友だち思いだったり、“女王ちゃん”は酒乱でドSだけど男気があったり。
――有象無象くんの世代だけでなく、彼らのような学生時代を送ってきた人たちや、共に過ごしてきた女性たちも大いに共感できる物語ですね。
そうだとうれしいですね。たとえば女性が読んでくれて、「男って馬鹿だなあ」とくすっと笑えたり、大人の男性が読んで懐かしく思い出してもらえたり。
――何より有象無象くんたちが、欲望に素直なのが微笑ましいです。
彼らのことは、かっこつけず、正直に書こうと思いました。欠点はいっぱいあるしイケてないんですが、彼らはとても良い子なんです。
――「馬鹿馬鹿しい話だけどおもしろい」を目指して書かれた作品とのことですが、作中に散りばめられている格言や箴言を含め、人生の真理を伝えてくれるような一文が効いていますね。ユーモラスな文章をニヤニヤしながら読み進めていると、ふと心に響く一文に行き当たる。そこでその意味をじっくり考えてみたくなります。
そこが「ギャグ」と「ユーモア」の違いなんじゃないかと思うんです。ギャグは笑うこと自体が目的ですが、ユーモアは、何かを伝える手段に笑いを使うものではないでしょうか。
――東山さんは、どの作品でもユーモアを大切になさっていますよね。
ユーモアは登場人物を際立たせるんです。読者としても、ある人物がバカなことやおもしろいことをすると、僕は途端にその人物に親近感が湧きます。なので、人物を表現するための笑えるエピソードは日々気にかけていて、現実の世界であったことを、いつか小説に使いたいなと記憶に留めています。
アメリカに、かつてレニー・ブルースという実在の漫談家がいたんです。彼は毒舌のマシンガントークで客を大いに笑わせるのですが、そのトークを帰りの車の中で思い出すとゾッとする、という芸だったと聞いています。もしかするとレニー・ブルースにとっても笑いは手段で、怖さを感じさせるのが目的だったのかもしれない。僕は、ユーモアをそういう「何かを伝えるための手段」として解釈しています。
――本作では、そのユーモアを際立出せる文章の妙についても、ぜひ味わっていただきたいですね。
そういっていただけるとありがたいですけれど、作者が何を思ってその小説を書いたかは、読者には関係のないことです。その作品を自分のほうに引き寄せて、とにかく楽しんでほしいですね。読んだ後に何かが残っても残らなくても、それは「そういう本だった」というだけの話。あまり深いことを考えずに読んでいただけたらなと思います。
――それは東山さん自身の読み手としての姿勢でもありますか?
そうですね。僕は作者が何を考えてその本を書いたかということをあまり重視していなくて、その本が僕個人にとって、どういう意味を持つかというふうにしか読まないんです。作者の意図と違う読み方をしていることもあると思いますが、それでも長く大切にしている本に出会ってきました。僕の本に関しては、希望としては「忖度せず!」(笑)、好きなように読んでいただければと思っています。
講演会でも、「この本は何がテーマですか」「どんな思いで書かれたんですか」と聞かれるのですが、「こういうことを感じてほしい」と思って書いていることはあっても、それを僕が言ってしまうと、それが答えになってしまう。それ以外の読み方をしている人が間違っているのではなくて、それこそ十人十色でみんなが正解だと思うから、好きに読んでいただきたいですね。
東山彰良 Akira Higasiyama
1968年台湾生まれ。2002年「タード・オン・ザ・ラン」で第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞。03年同作を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で作家デビュー。09年『路傍』で第11回大藪春彦賞。15年『流』で第153回直木三十五賞。16年『罪の終わり』で第11回中央公論文芸賞。17年『僕が殺した人と僕を殺した人』で第34回織田作之助賞を受賞。リレーミステリーアンソロジー『宮辻薬東宮』にも参加している。
・『流』が“光”なら『僕が殺した人と僕を殺した人』は“影”——東山彰良の最新作は、台湾が舞台の青春ミステリー