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2018年NHK大河ドラマの原作小説『西郷どん!』。前編では、林真理子さんが西郷隆盛を描くことにしたきっかけや、偉人を描くことの難しさについてお話をうかがいました。
後編では、「薩摩男の西郷が、実は愛妻家!?」といった意外な素顔から、いよいよ来年1月に迫ったドラマへの思いについてまでお聞きしています。
――西郷は敬愛する藩主・斉彬の死後、「菊池源吾」と名を変えて、奄美大島に潜居しています。ここでの生活は、西郷にとって愛を知る大きな転機となりますよね。
名前が変わることで、一旦“西郷隆盛”は死んだものとリセットして、島で出会った妻・愛加那との新しい物語が始まると言えますね。
――西郷は生涯に3人の妻を得ますが、愛加那は2番目の妻となります。彼女は特に印象深い女性ですね。
幕末の物語には女の人も出てきますが、たいてい奥さんか芸妓さんです。そういう意味で愛加那は、いままでの歴史小説に登場する女性とは違うキャラクターだと思います。最初の妻・須賀や3人目の妻・糸は、辛抱強くきちんと家を守り、夫を支える。まさに「武士の妻」というタイプの女性です。
愛加那はそういうタイプではなくて、愛する人に会いたいと思ったら、自分の情熱のほとばしるままに、まだ首が座るか座らないかの子どもを抱えて船でよその島へと出かけて行く。そういうところが素晴らしいんです。愛加那との生活については、ゴーギャンが島の娘に癒されるようなイメージで書いてみました。
――西郷は妻への感謝を素直に口にし、愛情をはばかることなく示します。薩摩という男尊女卑の土地柄には珍しいタイプの男性だったようですね。
薩摩に戻ってからの妻・糸にも優しかったったそうですし、その点は不思議ですよね。思うにお母さんを早くに亡くして、親代わりとなってたくさんの兄弟の面倒を見ていたので、そういう優しさがあったのではないでしょうか。
――奄美が舞台のパートでは、薩摩弁とはまた違った方言が独特のリズムを生み出しています。島独自の文化も興味深いですし、神話や島唄なども盛り込まれていて、南国の空気をたっぷり感じました。
作中に出てくる神話は古事記からとりました。島唄なども資料を参考にした、私の創作です。島を舞台にした場面ではやはり方言を使いたいですし、唄などもたくさん出したい。奄美の方には本当にお世話になりました。
――島以外では、どのようなところを取材されたのですか?
偶然、別の仕事で宮崎県の延岡に行ったときに、市の方に「今度、西郷隆盛を書こうと思っているんです」とお話したら、西南の役の終わりに西郷が「解軍宣言」を出した場所に連れて行ってくださいました。「死を決意した西郷が、愛犬を放って、軍服を焼いた場所です」と。同行していた息子の菊次郎が匿われた家が近くにあって、そこも見せてもらいました。
――まさに「薩軍の最期」が描かれた場面ですね。
実際にその場所を見ることができて、本当に良かったと思います。古墳がある小さな村でしたけれど、すごくイメージが湧きました。裕福な農家が多いので、そこに政府軍に追い詰められた兵士たちは分宿していた。そこから、西郷と菊次郎の最後の場面は生まれました。
――本作を書き終えて、政治家としての西郷についてはどのように考えていらっしゃいますか?
自分でも何度も問い続けているんです。「西郷は結局、何を成し遂げた人なのだろう」と。彼がいなければ、薩長同盟や無血開城、明治維新もなしえなかったことは確かですが……。
――西郷は新政府で陸軍大将まで務めながらも、その政府に失望を抱いて政界から身を引き、故郷へと戻ります。
辛かったと思います。長らく国のために奔走し、薩摩に戻ってからは人材を育てようと設立した私学校で、彼を慕う人たちの期待と野望を一身に背負わなくてはいけなくて。本当は故郷でお百姓さんになりたかったのかもしれないのに、いつの間にか独立国のリーダーにされてしまうのですから。
――しかし、それも人望があったからこそなんですよね。常に貧しい者たちを思いやり、農業を国の基とし、「新しい時代に新しい教育を」という西郷の考え方は、薩摩で培われた彼の人間性と、政治家としての根っこを示すものとして伝わってきます。
貧乏な中で育った人たちも、天下を取ると豪奢なお屋敷に住んで、お妾さんとの間に子どもを作ったりする。西郷隆盛はそういうことをしなかった人なので、いまも人気があるのでしょう。
貧しさに対する反応って、2通りあるのではないでしょうか。貧しく育ったから「これからも貧しくたっていいや」と思う人と、「だからこそ贅沢に暮らしてやるぞ」と思う人がいる。
―ー執筆される際の心構えとして、歴史小説と現代小説を書くときには、何か違いがありますか?
それはもちろん違います。たとえば、先日文庫が発売された『最高のオバハン 中島ハルコの恋愛相談室』のような本を書いているときには俗っぽいほうへ興味が行きますが、今回は志高く、国家のためなら命を捨ててもいいという高潔な人柄になったつもりで書いています。ある意味西郷さんに憑依していくわけですから、別人格になっていますね。
――確かに、主人公のパーソナリティは大きく違いますね……。
もちろん、西郷だって聖人君子ではないし、欠点がないわけではないです。江戸をテロリズムの餌食にしてしまったこともある。失敗やひどいこともたくさんしているけれど、それはそれとして認めて、そこにいたるまでのプロセスを書くことによって、彼の苦悩を共感してもらえるのではないかと思っています。
たとえば京都での「蛤御門の変」では、西郷が指示して敵の大将を殺しています。「西郷のイメージが崩れるから、そこは生け捕りにしたらどうか」という意見もあったのですが、それはやっぱりおかしい。戦の場で、いくら相手が敬愛された武将でも、「殺さないようにしよう」なんてことはありえなかったでしょう。そこは書き手として、当時のメンタルにならなくてはいけないなと。
――だからこそ、それぞれの登場人物の行動にリアリティがあるのですね。
切腹にしても、いまの時代から見ると残酷に思うのですが、当時は腹を切ることが一つの謝罪です。「主君にはすべてをささげる」という考えもまさにそうですよね。
――当時に忠実に描かれた小説でありながら、読んでいると、いまの日本の状況と通じるような怖さをひしひしと感じました。アジアをはじめとする諸外国との関係や国を動かす者の“義”についてなど、現在に照らし合わせて考えさせられることが多かったです。
外からの脅威に右往左往しているところや、政治の状況なども似ているかもしれませんね。
この小説の最後に、「あと百年、百五十年たったら、どれほどかましな国になることじゃろうなあ」という西郷のセリフがあるのですが、いまの政治の状況を見ていると、当時とそう変わらないのではないかと思います。理想の国家を目指した彼らの情熱を思うと切ない気持ちになりますね。いま西郷隆盛を書いた意味も、その点にあるのかもしれません。
――歴史の中に、いまの世の中を考えさせられる要素がたくさん詰まっているというのは、まさに歴史小説の醍醐味のひとつですね。1月からは本作を原作とした大河ドラマが始まります。放送を前にして今のお気持ちをお聞かせください。
大河の原作ということで、身が引き締まる思いです。しかし、中園ミホさんの脚本が素晴らしいので、いち視聴者として楽しみたいですね。
▼『西郷どん!』は、前後編の2冊で刊行された上製版と、上中下巻の3冊で刊行された並製版の2種類が販売されています。
林 真理子 Mariko Hayashi
1954年、山梨県生まれ。日本大学芸術学部卒。86年「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞、95年『白蓮れんれん』(※)で柴田錬三郎賞、98年『みんなの秘密』で吉川英治文学賞、2013年『アスクレピオスの愛人』で島清恋愛文学賞を受賞。13年刊の新書『野心のすすめ』は独自の人生論が多くの共感を呼びベストセラーに。そのほか 『葡萄が目にしみる』『ミカドの淑女』『聖家族のランチ』『RURIKO』『正妻 慶喜と美賀子』『我らがパラダイス』、人気エッセイ「美女入門」シリーズなど、小説、エッセイ両分野で活躍中。
※タイトルの 蓮 は正式には2点しんにょうです。
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